砂糖菓子のお姫様(番外編・ティアナ)2
呆れ顔のジークフリートは、大きな藤のバスケットをぶら提げていた。どすんと遠慮なくリュディガーの執務机に置かれたそれの中身は、サンドイッチや一口サイズの焼き菓子など、手軽につまめるものばかりだ。厨房で作らせたのだろう。
「食え」
腕を組み、ジークフリートは命じる。
「どうせろくに食べていないのだろう? お前は思い詰めるとすぐ食事を忘れるからな。空腹で考え事にふけっても、悶々とするだけだぞ」
「ジーク……」
バスケットから漂ういい匂いに、忘れ去っていた食欲
をそそられた。リュディガーはため息をついて立ち上がり、バスケットを正面の応接用のテーブルに運ぶ。
「座っていてください。お茶でも淹れます」
「おや、ポットを溢れさせずに淹れられるようになったのか?」
「……いつの話をしているんですか」
にやりとするジークフリートを肩越しに睨み、リュディガーはミニキッチンに備えつけの魔法道具で湯を沸かし、手早く紅茶を淹れる。
茶葉とお湯を大量にぶち込み、ティーポットを溢れさせてしまったのはもう十年以上前の話だ。今さら当てこすられた照れ臭さと、覚えていてくれた嬉しさが心の中で混ざり合う。
「美味いな」
出してやった紅茶をすすり、ジークフリートは唇をほころばせた。
素直な賛辞にわずかな意地も溶かされ、リュディガーも対面のソファに座ってサンドイッチを頬張る。分厚いステーキとオムレツが挟まれたそれはボリュームたっぷりで、飢えを癒してくれる。
「美味しいですね」
「だろう?」
ジークフリートもバスケットに手を伸ばし、サンドイッチを食べるのかと思えばチョコレートのかかったマドレーヌをつまむ。硬派な見た目に反し、甘いもの好きなところは変わらないようだ。焼き菓子はリュディガーではなく、自分のために持ってきたのだろう。
(……また、この人と一緒に食事をしているのか)
ジークフリートが辺境へ旅立ってしまってからは、二度とないのだろうと思っていた。食事はおろか、親しく語らうことすら。
自分もジークフリートも饒舌な質ではないから、会話はほとんど弾まないけれど、向かい合って食事を取る時間はリュディガーの心を慰撫してくれた。
少年のころと同じだ。両親は妹に夢中でろくに顧みてくれなくても、自分を気にかけてくれる身内がいる。その事実に心が満たされるのだ。
「……ティアナはもう、絶縁するしかないと思っています」
バスケットが空になり、新しい紅茶を淹れると、リュディガーはぽつりとつぶやいた。
「だろうな」
突然の話に面食らうでもなく、ジークフリートは頷いた。新しい紅茶にミルクを足し、口元にティーカップを運ぶ仕草は戦場を居場所とする者とは思えぬほど洗練されている。
「むしろよく今までかばってやったものだ。俺ならとっくに身一つで放逐している。……優しすぎるのは相変わらずだな、リュー」
「……優しくなどありません。ただ悪く思われたくないだけの八方美人です」
たぶん、リュディガーは無意識に恐れていたのだろう。妹に厳しくすることではなく、そうすることで受ける両親からの叱責や冷たい眼差しが。
『リュディガー、お前は兄なのだ。か弱い妹を守ってやらなければならないぞ』
『そうですよ、リュディガー。ティアナは繊細で感じやすい子です。周囲が気遣ってやらなければなりません』
ティアナだけを溺愛する両親は、リュディガーや弟たちがティアナのわがままを咎めるたび責めたてた。ティアナではなく、リュディガーたちを。
弟たちは『やっていられるか』と早々にティアナを見放してしまったが、跡取りであるリュディガーはそうもいかなかった。たとえ公爵令嬢という身分があっても、あのわがままぶりではいつか取り返しのつかない過ちを犯すのは確実である。
ティアナしか見ていない両親にはもうなんの期待もしない。そう思ってはいても、どこかで恐れていたのだ。両親に失望されることを。
だからリュディガーが自分に強く出られないことを、きっとティアナは見抜いていた。だからここまで堕落してしまったのだろう。
「じゅうぶん優しいと思うがな。大罪人の息子と、以前と変わらず接してくれるのだから」
「……、ジーク……」
ジークフリートの端整な顔に浮かぶ微笑みはやわらかく、オパールの双眸は穏やかだ。
まるで少年時代に戻ったような錯覚に陥りそうになるが、今の自分たちは近衛騎士団団長と大罪人ブライトクロイツ公爵の息子。時間は前にしか進まないという当たり前の事実が、リュディガーに重くのしかかる。
「それで? 処分をもう決めたのなら、もう迷うところなどないだろう。なにを悩んでいる?」
ジークフリートが首を傾げる。
貴族が実家から絶縁されるということは、貴族籍からも存在を抹消され、平民に堕ちることを意味する。ティアナはティアナ・フォルトナーではなくただのティアナ、公爵家とは無縁の平民の女になるのだ。
無関係の女に公爵家が援助することはありえないから、ティアナは住む家も働く場所も自分で見つけ、食い扶持を稼がなければならない。だがちやほやと甘やかされて育ち、これといった特技もないティアナが自活するなどほぼ不可能だろう。
ティアナに限らず、そうした元令嬢のたどる末路は決まっている。裕福な平民の商人の妻あるいは愛人になるか、娼館に身売りするか、修道院に身を寄せるか。どれも叶わなければ、場末の路地あたりに骸をさらすことになる。
ティアナの性格からして、平民用の修道院の清貧な暮らしなどまず耐えられまい。ならば妻あるいは愛人、娼館に身売りコースしかないが、今のティアナでは……いや、捕縛されてからずっと牢に閉じ込められているのだから、あるいは……?
「言っておくが、期待するだけ無駄だぞ。ここに来る前に牢にも寄ってきたが、ますますひどくなっていたからな」
リュディガーの淡い期待を、ジークフリートは容赦なく打ち砕いた。
「牢では必要最低限の食事しか出ないが、取り調べ中にけっこうな量の菓子を与えられているようだ」
「な……、なぜそのようなことを……」
「与えなければなにも話さない……だけならまだしも、泣きわめいたり暴れたりして手をつけられなくなるそうだ。あれでも一応若い女性だから、力ずくで吐かせるわけにもいかないのだろうな」
幼いころから甘いものが好きな娘ではあった。アルコール同様、甘いものにも依存性があることはリュディガーも職業柄知っているが、まさか妹がこんなことになろうとは……。
「お前が気に病むことではないぞ、リュー。ティアナはもう大人なんだ。自分の仕出かしたことの意味くらい本当はわかっているはずだし、そうでなかったとしても他人に尻拭いはさせられない」
「……私もそう思います。だからこそヘルマンに会いたがっているのでしょう」
ヘルマンはこれからアッヘンヴァル侯爵家で祖父母に養育されることになる。シルヴァーナ王国の出方次第ではあるが、今のところ彼がニクラスの次の後継者だ。
離縁によりティアナはニクラスの妻ではなくなった。しかしヘルマンの生母であることは、たとえ平民になろうと変わらない。そしてヘルマンはまだ六歳、母親が恋しい年ごろだ。
ヘルマンがティアナと会い、母親と別れたくないと泣き叫べば、こちらも一定の配慮はせざるを得ない。
ティアナはそれを狙っているのだ。




