砂糖菓子のお姫様(番外編・ティアナ)1
ティアナのその後のエピソードです。
リュディガー、ジークフリート、ヘルマンも登場します。
全4話の予定です。
ヘルマン・アッヘンヴァルの母ティアナは、輿入れ前、『砂糖菓子のお姫様』と呼ばれていたそうだ。
皇族の血を引く数少ない令嬢であり、甘く華やかな美貌と小柄な肢体の主だからだろう。皇后も夢ではなかったのに敢えて格下の侯爵家に嫁ぎ、ヘルマンを産んだ。すべては父ニクラスを愛していたからこそだ。
だが厳格な祖父母はなにかとティアナにつらく当たり、父ニクラスもかばってはくれなかった。
『貴方だけがわたくしの支えよ、ヘルマン』
いい匂いのするやわらかな胸に抱き締められるたび、自分が守らなければならないのだと思っていた。頼りにならない父の分まで……『砂糖菓子のお姫様』を。
母を守れるのはヘルマンだけなのだから。
ヘルマンはティアナの騎士で、王子様なのだ。
(……って、本気で思ってたんだよなあ……)
数ヶ月前の自分を思い出し、ヘルマンは居たたまれなくてたまらなくなった。穴があったら入りたい、とはこういう時のことを言うのだろう。
皇妃ガートルードに不注意から剣を向けてしまったことにより、ヘルマンの運命は一変した。
甘ったれた性根を叩き直すため小姓としてヴォルフラムのもとに出仕し、その後、皇禍に巻き込まれた。立て続けの危難、なによりべったりだった母と離れ離れの日々はヘルマンを確実に変化させた。
自分より圧倒的に劣ると思い込んでいたヴォルフラムの強さ。母に厳しいから避けていた伯父リュディガーの懐の深さ。……処刑されて当然の自分をかばってくれたガートルードの慈悲。
侯爵家の子息ではなくただのヘルマンとして人々に関わるたび、ヘルマンは思い知ったのだ。自分がどれだけ甘やかされていたのか……母の影響を受けていたのか。
侯爵家の子息ではないヘルマンなんて、ただちょっと剣を振り回せるだけの生意気なクソガキに過ぎない。皇禍はヘルマンにそう教えてくれた。
ブライトクロイツ公爵とその一派が捕縛されてからは、忸怩たる思いはいっそう強くなった。ガートルードと共に魔獣の王に立ち向かい、女神の祝福により凛々しい少年に成長したヴォルフラムと、ずっと震えていただけの自分。こんなざまで、よくヴォルフラムよりも皇太子にふさわしいなどと思えたものだ。……自分も、母も。
今までのヘルマンなら、そこで腐ってしまっていたかもしれない。どうせなにをやっても無駄なのだと。
でも、自分より小さいのに必死に戦っていたヴォルフラムを……伯父リュディガーの言葉を思い出せば、心は奮い立った。
自分は多くの人の慈悲によって生かされている身だ。シルヴァーナ王国との交渉如何によってはあちらに引き渡される可能性もあるが、それまでは精いっぱい生きなければならない。
助けてくれた人たちに報いるためにも。
『ティアナがブライトクロイツ公爵邸で発見された』
その一報がもたらされた時、祖父母アッヘンヴァル侯爵夫妻はもちろん、ヘルマンも驚いた。ヘルマンは皇禍の後、いったん皇宮を離れ、情勢が落ち着くまでは侯爵邸で世話になっている。
(お母様は、実家に戻っていたんじゃなかったのか?)
伯父リュディガーが直々に侯爵邸に乗り込み、フォルトナー公爵邸へ連れ帰ったのだ。その後は厳重な監視のもと、軟禁されていたはずである。
あのリュディガーに手抜かりがあったとは思えない。ティアナを溺愛する母方の祖父母もすべての権限を剥奪され、娘共々閉じ込められた。誰からもそっぽを向かれた彼女を助ける者はいなかったはずなのに……ブライトクロイツ公爵が手を差しのべたというのか?
(ありえない)
幼いヘルマンでもわかった。ブライトクロイツ公爵がティアナを助けても、なんの得もない。
ブライトクロイツ公爵はフォルトナー公爵、つまりリュディガーとティアナの父親の兄だから、ティアナはブライトクロイツ公爵の姪に当たる。だがブライトクロイツ公爵は次弟である先代皇帝とも、三弟のフォルトナー公爵とも親交が絶えて久しかったはず。ヘルマンもブライトクロイツ公爵と言葉を交わした記憶はない。
しかしか弱い貴族令嬢に過ぎないティアナが、誰の助けもなくフォルトナー公爵邸を抜け出すのは不可能だ。ブライトクロイツ公爵が手を貸したのは間違いない。
(っ……、ひょっとしてお母様は、ブライトクロイツ公爵にさらわれたのか?)
その可能性を思いついてしまうと、ヘルマンは居てもたってもいられなくなった。
ティアナが父を本来結婚するはずだった女性から奪い、妻の座についたのは、小姓として働く間に嫌というほど周囲から聞かされた。……自分にはひたすら甘く優しかった母が、自分以外にはそうではなかったことも、公爵令嬢たる母を嫌う者の方が多いことも。
それでもティアナはヘルマンにとって……まだ六歳の幼子にとって愛すべき母親、守らなければならない『砂糖菓子のお姫様』だったのだ。か弱い母がブライトクロイツ公爵に抵抗むなしく拉致されたのではないか、と心配するのは当然ではあった。
……それがどんなに真実とはかけ離れていても。
「どうしたものか……」
ティアナ発見の一報に思い悩んでいるのは、彼女の兄リュディガーも同じだった。もっともこちらはヘルマンとは悩みの種類が違う。
ティアナがブライトクロイツ公爵邸にかくまわれていることを、リュディガーはすでに知っていたのだ。公爵子息である従兄ジークフリートの密告によって。
だが大舞踏会から皇禍と、立て続けに起きた事件によりティアナの身柄を取り戻す余裕は失われ、ブライトクロイツ公爵の捕縛以降、公爵家が所有するすべての資産の所有権は凍結された。そして公爵邸にヴォルフラムの派遣した調査隊が踏み込んだ結果、大量の証拠品と共に捕らわれたのがティアナなのである。
(いや、ティアナも証拠品の一つと言うべきだろうな)
『放しなさい! わたくしは皇太子妃になる女よ! 下賤の者が触れるなど許されると思っているの!?』
捕らわれた時、ティアナはそうわめき散らしたそうなのだ。さらにその後の取り調べにより、彼女はブライトクロイツ公爵の野望が成就したあかつきには、皇太子となったジークフリートの妃に……皇太子妃に収まるつもりであったと判明した。
つまりティアナはブライトクロイツ公爵の謀反の計画を知った上で、公爵邸に滞在していた。
ティアナ自身が積極的に謀反を支援したわけではない。彼女がいてもいなくても、計画に影響はなかっただろう。だが仮にも皇族の血を引く令嬢が反逆者と行動を共にしていたのだ。謀反に荷担したと判断されても文句は言えない。
しかもティアナは息子の養育失敗によりアッヘンヴァル侯爵子息ニクラスと離縁されたばかり。そのニクラスとの結婚も元々の婚約者から奪い取ってのものであった。
かてて加えて、帝国を揺るがす謀反への荷担である。無知な令嬢のしたこと、と大目に見てもらえる段階は過ぎた。
元より、皇禍が起きなければ領地へ送り、両親共々生涯幽閉するつもりだった妹だが、今となってはそれすらも生ぬるい処罰と言わざるを得ない。婚家から追い出され、息子も取り上げられたティアナに残された最後のよすがさえも奪わなければならないだろう。
しかし……。
「まだ悩んでいるのか?」
何度目かのため息をついた時、皇宮の執務室の扉をノックもなしに開け、長身の従兄が入ってきた。
担当さんがティアナ親衛隊の一員なので書いてみました。一部の方に人気のティアナの顛末を見届けて下さい。




