2・皇妃ガートルード誕生(第三者視点)
「皇帝陛下、皇后陛下、ご入来!」
伝令が高らかに告げ、謁見の間はどよめきに満たされた。
式典などの催しにおいては、身分の高い者ほど後に現れる。それは帝国のみならず、大陸中の常識である。
この式典において最高位は言うまでもなく皇帝夫妻だ。ガートルード王女は他国の王女であり、皇后に次ぐ皇妃になる身。
つまりまずガートルード王女が入場し、その後に皇帝夫妻が現れ、平伏する王女に『面を上げよ』と声をかける。そこでガートルード王女は皇帝夫妻に対面し、皇妃として認められる。そうなるはずだった。
いかに皇帝夫妻がガートルード王女に深く感謝していようとも、身分は身分。伯爵家出身の皇后の立場を守るためにも、ここはガートルード王女に下手に出てもらわなければならない。
むろん後でじゅうぶん穴埋めをするのが前提だが……。
貴族たちの驚きは、それだけでは終わらなかった。
現れた皇帝夫妻はそれぞれの玉座にはつかず、その前に立ったのだ。しかも皇帝アンドレアスは立ったままだが、皇后コンスタンツェは入り口の扉に向かい淑女の礼を取る。
「皇后陛下が……!」
ざわめきが上がる。
立ったままの皇帝はこれから入場する者と同格だと、そして皇后は明確に格下だと、それぞれ行動で示したのだ。帝国最高位の女性、それが皇后なのに。
「シルヴァーナ王国第五王女、ガートルード殿下、ご入来!」
再び伝令が告げ、近衛騎士が入り口の扉を両側から開いた。
まず入ってきたのは金髪の貴公子だ。帝国人には珍しく甘く華やかな容姿に貴婦人や令嬢たちはうっとりと見惚れ、男性貴族は大半が不愉快そうに眉をひそめる。
男は強くあるべきものと考えられ、尚武の気風が強い帝国において、貴公子――リュディガー・フォルトナーは異質な存在である。
帝国男子にあるまじき(他国基準ではじゅうぶんたくましい)細身と甘い容姿は、同性にはさげすまれることがほとんどだが、女性にはおおいにもてはやされる。
魔法使いの地位が低い帝国において高い魔力と魔法技術を持ち、武骨な男ばかりの帝国では珍しくさわやかな弁舌を振るい、夜会のたぐいでは常に美しい女性に囲まれている。
そんなリュディガーは同性の中では浮きがちで、アンドレアスの父方の従弟という出自がさらに立場を複雑にしていた。
リュディガーの父親は先帝の弟なのだ。兄が帝位につくにあたり臣下に降り、フォルトナー公爵家を継いだのである。
低いとはいえ帝位継承権を持つリュディガーを表立って非難するわけにはいかない。ましてやリュディガーは実力で近衛騎士団長を務める男だから、こき下ろせば自分がみじめになるだけ。
そんな帝国男性の心情をガートルードが知ったなら、『非モテ男のひがみかあ』と身もふたもない感想を漏らしただろう。
「フォルトナー卿は、なぜお一人なの?」
令嬢の一人が不思議そうに首を傾げた。
リュディガーがガートルードの護衛役を命じられたのは周知の事実だ。
今日、ガートルードをアンドレアスのもとまでエスコートするのもリュディガーの務めのはずなのに、彼は一人で緋絨毯の道を進んでいる。どこか物憂げな顔で。
もしや幼い王女に嫌われたか。
いい気味だ、と男性貴族たちが内心ほくそ笑んだ時、謁見の間の空気は一変する。一人の少女によって。
リュディガーから少し間を置いて、その少女は姿を現した。大柄な帝国男性でも見上げるほどの長身の青年に抱かれて。
今日一番のどよめきが謁見の間を揺らす。
本物の帝王であるはずのアンドレアスすら見劣りするほどの覇気と褐色の肌、蠱惑的な美貌の青年は、つややかな銀髪を腰まで伸ばしていた。
「ありえない……」
誰かがつぶやく。
そう、神々にゆかりある者しか許されない銀色をまとう『男』などありえないのだ。今の世に神々の血を引く一族は、シルヴァーナの王族だけ。
その中でも直系の女子のみが銀髪を持って生まれてくる。男子はたとえ女王の子であろうと銀髪にはならない。
すなわち青年は、シルヴァーナの王族ではない。
ならば、考え得るのは。
「女神の……御使い……?」
また誰かがつぶやくが、人々の目は青年からその腕に抱かれた少女に吸い寄せられていた。
青年と同じ長い銀髪はゆるやかに波打ち、ミルク色の肌はどこまでもなめらかで、人形のように整った顔は咲き初めの薔薇のあでやかさにほんのひとはけのつやめかしさが混じり、危ういまでの愛らしさを作り上げている。触れれば壊れてしまいそうなはかなさと小ささは、生粋の帝国人は絶対に持たないものだ。
歳を重ねた者は王女の祖母、先々代女王を思い出した。麗容を大陸中にとどろかせた絶世の美女。かの女王を奪い合った男たちの中には、帝国人も交じっていたのだ。
おしゃれに敏感な貴婦人たちは少女のまとうドレスに感嘆した。
フリルとレースをあしらったドレスは白一色で、様々な色を組み合わせる帝国の流行からはかけ離れているが、可愛らしくも神秘的な雰囲気は銀髪の少女の魅力を最大限に引き立てている。
光沢のある白絹に細かな薔薇模様が編み出されたレース、ちりばめられた真珠。どれ一つ取っても並大抵の貴族では手が出ない高級品ばかりである。
小さな頭を飾る花冠は、よく見れば月光石でこしらえた薔薇を連ね、朝露代わりに水晶の粒を散らしたものだ。その細工の見事さにあちこちでため息が漏れる。
食い入るような視線に青年はまるで動じないが、少女は重圧を感じてしまったようだ。
ぴくんと震える少女に青年が微笑みかけ、耳元で何やらささやく。金色の瞳を愛おしそうに細めて。
すると少女はにこっと笑った。花開くようなその笑顔に、誰もが釘付けになる。
「初めてお目にかかります。シルヴァーナ王国女王クローディアの妹、第五王女ガートルードと申します」
リュディガーがアンドレアスの斜め前に立ち、青年が皇帝夫妻の五メートルほど手前で立ち止まると、少女……ガートルード王女は愛らしい声で名乗りを上げた。
ここでも軽いざわめきが上がる。ガートルード王女は青年に抱かれたまま、青年にいたっては立ったままだからだ。
「アンドレアスだ。ガートルード王女、遠路はるばるようこそおいでくださった」
「皇后コンスタンツェにございます。ガートルード殿下に拝謁が叶い、光栄に存じます」
アンドレアスが王女をとがめず、コンスタンツェにいたっては明らかにへりくだったことで、ざわめきは大きくなった。
皇后と王女。
たとえ皇后が伯爵家出身であっても、コンスタンツェとガートルードではコンスタンツェの方が位は上だ。ましてや今日からは皇后と皇妃という上下関係が生じる。言わばガートルードはコンスタンツェに監督される立場になるのに。
「王女がおいでくださったおかげで、我が息子ヴォルフラムは命の危機を脱した。お礼を申し上げる」
「食事も取れるようになり、見違えるほど元気になりました。殿下のお慈悲に心から感謝いたします」
アンドレアスとコンスタンツェの真摯な言葉に、ガートルード王女はにこりと微笑んだ。
「皇子がお元気になられてわたしも嬉しく思います。今日よりは皇妃として、両陛下の障りとならぬよう、この神使レシェフモートと共に皇宮のかたすみで生きることをお許しくださいませ」
「神使……!?」
アンドレアスが手を挙げ、どよめく貴族たちを黙らせる。
「静かに。……みなの者には伏せていたが、王女は輿入れの道中で女神シルヴァーナ様の神託を受けた。シルヴァーナ様は他国へ輿入れする王女を心配され、この神使レシェフモートを遣わしたそうだ」
「神託!?」
「女神自ら神使をお与えになったと!?」
貴族たちは卒倒せんばかりに驚きこそすれ、皇帝の言葉を疑う者はいなかった。この世界において神々と人間の距離は近く、ガートルード……シルヴァーナの王族は女神の存在を証明している。
アンドレアスが神託とレシェフモートについて伏せておいたのも当然だ。帝国に縁戚のない六歳の王女が神託と神使を与えられたと事前に知らされれば、皇宮入りの前から王女に取り入ろうとする者が後を絶たなかったにちがいない。
もっともこの後は、王女の歓心の争奪戦が始まるだろうが。
しかし、と貴族たちはそろって首をひねる。
女神より神使まで賜った王女なら、皇帝が対等の立場を取り、皇后がへりくだるのも当然だ。王女をおろそかに扱えば、女神への不敬を疑われてしまう。
ならば王女はいくらでも尊大にふるまうことが許されように、『両陛下の障りとならぬよう』『皇宮のかたすみで生きることをお許しくださいませ』とはどういうことなのか。
「女神シルヴァーナ様に誓って、余と皇后はこれより王女を皇妃とし、終生掌中の珠のごとく大切にしよう。ここに集うみながその証人である。……良いな?」
「は、……ははぁっ!」
皇帝夫妻とガートルード王女、レシェフモート以外の全員がいっせいにひざまずく。
この瞬間、六歳の皇妃は誕生した。
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