貴方はもう要らない(番外編・ロッテ)6
ロッテが告げるまでもなく、アッヘンヴァル侯爵は息子の暴挙に気づいたらしい。その日の夜にはモルガンを通じて詫びの手紙が届けられた。
『息子が申し訳のないことをした。しばし幽閉し、こちらの身辺が片付き次第対処する』
あちらはあちらで、皇禍の後始末に奔走している。特にブライトクロイツ公爵邸で発見されたティアナは、侯爵の孫ヘルマンの生母である。離縁したとはいえ、影響は免れない。ニクラスへの処置が後回しになるのは仕方ないだろう。
ろくに帰宅もできない侯爵の隙をつき、ニクラスは何度か脱出を試みたらしいが、さすがに侯爵が張りつけた衛兵を振り切ることはできず連れ戻された。ならばと、ロッテ宛に手紙を寄越すようになったのである。
それまで阻んでしまえばなにを仕出かすかわからない、という侯爵の判断のもと、手紙はロッテに届けられた。復縁を迫るその内容にため息をついていると、巡回を終えて戻ったエルマが心配そうに尋ねる。
「またアレですか?」
「ええ、アレです」
何十通にも及ぶニクラスからの手紙は、二人の間では『アレ』で通用するようになっていた。開封したそれをエルマに見せるのにも、もはやためらいはない。誰かに読んでもらえば、この居たたまれなさも少しは和らぐというものだ。
「ええと……『ミリヤム、君はまだ孤独という名の暗闇をさまよう子羊なんだね。でも安心して欲しい。俺は今度こそ君の太陽となり、永遠の光となってきらきらと降り注ぐよ。君は子羊じゃなく、大地になって俺を受け止めて。二人で愛の結晶という名の豊穣をもたらそう』……ウッ……くっ……」
「エルマ、もういいの。無理はしないで」
「ごめんなさい、ロッテさん……」
エルマは滑りまくって落ちそうな目をこすり、手紙を控え室の隅に置かれた箱にしまった。この数日、ニクラスのポエム、いや手紙という強敵に共に立ち向かった二人には連帯感が生まれ、言葉遣いも砕けたものになっている。
「……今回も、すごかったですね」
乱れた心を鎮め、エルマはつぶやく。
「ロッテさんを子羊とか言いつつ自分は太陽にたとえるあたり、自分に酔いまくってますよね。しかも愛の結晶という名の豊穣ってなんなんですか? 気色悪いし、先走るにもほどがありますよ」
「一言一句、同意するわ……」
ニクラスの手紙はどれも万事この調子で、ロッテとエルマは想定外の方向から精神をごりごりと削られていた。こんな手紙を受け取り続けたら、自分たちの心はもたないかもしれないと半ば本気で思うほど。
『こちらの身辺が片付き次第対処する』とアッヘンヴァル侯爵が言う以上、幽閉は一時的な処置に過ぎず、なんらかの罰を考えているのだろう。幽閉より重い罰……たとえば廃嫡……?
(いいえ、その可能性はないわ)
ニクラスは侯爵夫妻唯一の嫡子だ。ニクラス以外、アッヘンヴァル侯爵家を継げる者はいない。
彼が廃嫡され、貴族の身分を失えば、貴族令嬢であるロッテとは絶対に結婚できなくなる。だが侯爵とて、ロッテのために唯一の跡取りを失いたくはないだろう。ニクラスもそれがわかっているからこそ、こんな真似をしているのだ。
ならば残る可能性としては領地への強制移住、及び帝都への立ち入り禁止か。それだとていつかニクラスは監視の目を盗み、ロッテの前に現れるかもしれない。
やはりこの手でどうにかするしかない。でも、どうすればいいのかはわからないまま、時間だけが過ぎてゆく。
「おみ足ぃぃぃぃぃぃぃっ!」
宮殿を揺さぶるような歓声がとどろいたのは、何度目かのため息がこぼれそうになった時だった。おみ足隊にあんな声を上げさせるのは、きっとたった一人しかいない。
(もしかして!)
ばっとエルマを振り返れば、同じことを考えていたらしい彼女は大きく頷いた。二人一緒に外へ飛び出していく。今日ばかりは淑女らしさなど忘れて。
「おみ足! おみ足! おみ足! おみ足!」
「我が女王、よくぞお戻りくださいました。このモルガン、再びの拝謁が叶い、歓喜の極みにございます」
踊り狂うおみ足隊と、優美にひざまずく黒衣の侯爵。彼らの前にたたずむのは異国の典雅な衣装をまとった黒髪の妖しい美貌の青年と、神使レシェフモート……そして。
「皇妃殿下!」
異口同音に叫んだロッテとエルマに、レシェフモートの腕に抱かれた小さな皇妃は目を見張り、嬉しそうに笑ってくれた。
「ただいま、ロッテ、エルマ!」
ヴォルフラムから究極の選択と二ヶ月の猶予を与えられ、宮殿に戻ってきたら、モルガンがおみ足ダンサーズを従え、ガートルードを迎えてくれた。
後で聞いたらダンサーズではなく、カイレンが沈めた商船から救い出された元奴隷たちらしいが、ガートルードを今にもお神輿みたいに担ぎ上げてわっしょいわっしょいしそうでちょっと怖かった。
しかしガートルードが引きこもっている間、押し寄せる貴族たちからエルマと一緒に宮殿を守ってくれていたと聞き、『ありがとう』と告げたら、全員が『おみ足ぃぃぃぃ』と叫びながら満面の笑顔で失神するという異常事態が起きた。『見事です』と頷くモルガン……のみならずレシェフモートとカイレンが本気で理解できなかった。
嬉しかったのは、エルマとロッテが元気な姿で迎えてくれたことだ。無事だとは聞いていたが、自分の目で確かめられて心から安心した。
……のだけれど。
「……そのような経緯で、私は名も身分も偽り、殿下にお仕えしておりました。お詫びの言葉もございません。いかなる罰も受ける所存にございます」
「ロッテさんは悪くないんです! あのポエム、いえアッヘンヴァル侯爵子息のせいでロッテさんはひどい目に……どうか、どうかロッテさんをお許しください!」
三十分ほど後、皇妃の居間で、ガートルードはロッテとエルマにひざまずかれていた。
宮殿に入ってすぐ、打ち明けられたのだ。ロッテが本当はヘルテル子爵令嬢であり、ティアナに婚約者のニクラスを奪われたかの悲劇の令嬢ミリヤムだったのだと。そしてヘルマンの一件によりティアナとの離婚を叶えたニクラスが、今さらロッテとの復縁を求めているのだと。
「……ロミオメールって、異世界にもあるのね」
ニクラスから届いたという手紙に目を通すなり、ガートルードは思わずそうつぶやいてしまった。ソファの右隣に座ったカイレンが優雅に首を傾げる。
「妾の姫御子、ろみおめーる、とはなんでしょうか?」
「あ、うん、えっと……お付き合いしていた人に復縁を迫るメール、いえ手紙なんだけど、やたら自分に酔ってたり、ポエムだったり、上から目線だったりする内容のこと……かな?」
ロミオメールは前世のネットスラングだ。『ロミオとジュリエット』のロミオになぞらえた用語だが、もちろんこの世界にシェイクスピアはおらずインターネットも存在しないので、説明に手間取ってしまう。
ひたすら家事と子育てに追われていた前世のガートルードには、交際経験などなかった。しかしパート仲間の苦労話はたくさん聞かされたので、その手の話にはそこそこ詳しい。
「なるほど……ならば確かにこれらはロミオメールでございますね」
ふむ、とレシェフモートが頷き、ポエム、いやニクラスからの手紙をガートルードから取り上げると、小さな手を絹のハンカチで拭った。完全にバイ菌扱いである。
ロミオは気になるが、今はそんなことよりも。
「顔を上げて、ロッテ」
ガートルードが声をかけると、ロッテは裁きを待つ罪人のような顔を上げた。
ロミオメールって初めて書きましたが難しいですね……。




