貴方はもう要らない(番外編・ロッテ)5
エルマは一瞬ぽかんとし、慌てて手を振った。
「いやいや、責めるところなんてないじゃないですか! 確かに嘘をつかれていたのは悲しいですけど、そういう事情があるなら仕方ないって思いますよ。……私だけじゃなく、きっと皇妃殿下も」
「エルマ……」
「私がロッテさんのお話を聞いて真っ先に感じたのは、『気色悪い!』です」
エルマはきゅっと唇を引き結び、己を抱き締めながらぶるぶると震えだす。いつも愛嬌たっぷりの笑みを浮かべている顔が嫌悪にゆがむところを見るのは、初めてかもしれない。
「だって、自分から婚約破棄をしたくせに、『ティアナと結婚しても俺たちの関係は変わらないよ』とか、気色悪くてたまらないですよ。私なら横っ面を殴り飛ばしてます」
ニクラスの口真似が芝居がかっているのにやたらと上手く、ロッテは吹き出しそうになってしまった。思わず口を押さえると、エルマはあわあわする。
「あっ、すみません、ロッテさんの元婚約者さんなのに……」
「いえ、こちらこそ誤解させてごめんなさい。ニクラスの口真似があんまり似ていたので、つい笑いそうになってしまったんです。さすがエルマはお芝居がお上手ですね」
「え、えへへ……そうですか?」
照れくさそうに頭を掻くエルマがガートルードのため、『アヴァ・レンボー将軍』の水人形劇の練習に夜な夜な励んでいることを、隣室のロッテは知っている。
アヴァ・レンボー将軍とはガートルードの故郷に伝わる、古代の伝説的な将軍だそうだ。なにかと型破りな将軍で、お目付け役のジイの目を盗み、城下に下りては様々な騒ぎに巻き込まれていた。あくまで弱き民を救うために奮戦した将軍の英雄譚は、ガートルードの大のお気に入りだ。
そこでエルマはガートルードに喜んでもらうべく、水魔法で創り出した水人形によるアヴァ・レンボー将軍の人形劇を練習しているのである。
登場人物の声はすべて自分で当てているから、演技も磨かれる一方だ。ガートルードが再びロッテたちの前に姿を現し、アヴァ・レンボー将軍劇場を観たならきっと喜ぶことだろう。
「……それにしても、どうして侯爵子息はロッテさんがここにいるとわかったんでしょう? アッヘンヴァル侯爵閣下や子爵家の方々がばらすとは思えませんが……」
エルマは首を傾げるが、ロッテにはおおよその見当がついていた。
「おそらく皇妃殿下との謁見を希望される貴族の中に私を知る方がいらして、侯爵子息に伝えたのだと思います。あの人のことだから、きっと『今度こそ真実の愛を貫きたい』とかなんとか言いふらしていたんでしょう」
「それであっさり同情して、ロッテさんのこと教えちゃったんですか? そっちも気色悪いですよ!」
「……仕方ないんです。婚約破棄に関しては、侯爵子息は公爵家の権力で引き裂かれた被害者、あくまで悪いのはティアナ様ということになっていますから」
もちろんアッヘンヴァル侯爵夫妻やロッテの家族、友人たちなど、親しい人々は真相を知っている。ニクラスの今回の行動を知れば『なにを今さら!』と激怒するだろう。
だが大多数の人々にとって、悪者はティアナなのだ。
「ロッテさんは……侯爵子息と、その、よりを戻したいとか、思っているんですか……? 皇妃殿下の侍女を辞めて……」
おずおずと問うエルマの顔には、『辞めて欲しくない』と記されていて嬉しくなる。
「まさか。あの人との関係はとっくに終わりました。皇妃殿下がお許しくださるのなら、ずっとお仕えしたいと思っております」
「本当ですか!?」
ロッテが頷くと、『やったー!』とエルマは万歳をした。ティアナなら『淑女にふさわしくない』と眉をひそめるのだろう。でもロッテの心は温かくなる。
「皇妃殿下はきっとお許しくださると思います! ロッテにはずっといてもらわなくちゃ困るわ、っておっしゃってましたもん!」
「まあ……殿下がそのようなことを……?」
「ロッテさん、宮殿の管理は完璧だし、殿下がアヴァ・レンボー将軍を舞台化したいとおっしゃった時も、すぐに具体的なプランを提案されてたじゃないですか。殿下、『敏腕ぷろでゅーさー』って目をきらきらさせていらっしゃいました!」
この世界にはまだ『プロデューサー』の役職も概念も存在しないが、絶賛されているのは伝わってくるので、ロッテは頬を染めた。
帝国の貴族女性は基本的に一歩下がって男性の言い分に従うのが美徳とされている。女性が家政以外の分野で計画立案などすれば同性からも非難されるのが常だが、ガートルードは違うようだ。さすが代々女王を戴く、由緒正しい王国の姫君である。
「私などをそこまで買ってくださる殿下に、これからも忠義を捧げたいと思います。……でも、侯爵子息が大人しく引き下がってくれるかどうか……」
「侯爵夫妻に報告すれば、止めてくださるのではありませんか? お二人ともロッテさんの味方なんでしょう?」
「確かに止めてくださるでしょうし、なんなら幽閉でもしてくださるでしょう。ですがそうなるとますます『真実の愛』とやらを燃え上がらせ、異様な行動力を発揮するのがあの人なのです」
「障害があればあるほど燃えちゃうタイプ、なんですか。厄介な……」
そう、ニクラスはとても厄介な男だった。婚約破棄する前から、ずっと。
反対されればされるほど、反論されればされるほど、己の主張を通そうと躍起になる。その傾向は酒が入ると手の施しようがなくなり、トラブルばかり巻き起こすため、侯爵夫妻から一定以上の飲酒を禁じられているくらいだ。……もっとも主張を通そうとする相手は、自分より身分も立場も低い者に限るのだが。
(つまり私は、彼より『低い女』と思われているのよね)
気づかなかっただけで、きっと婚約者のころからそうだったのだ。だってニクラスは格上のフォルトナー公爵家からの要求には屈したのに、ロッテには婚約破棄を迫った。ロッテが格下の子爵家の令嬢だったからだ。
「あの人を諦めさせるには、誰がどう見ても私との復縁など不可能だと思い知らせなければならないでしょうね」
「もう貴方のことは愛していません、やり直すなんて無理です、って伝えるだけじゃ駄目……なんですか?」
「きっと『俺のために身を引こうとしている』と思い込んで、ますます燃え上がるでしょう」
なまじ元婚約者でニクラスの気性を知り尽くしているだけに、予想がついてしまう。
(八方塞がりね)
いや、一つだけ方法はある。ニクラスもアッヘンヴァル侯爵すらも敵わない圧倒的高位の存在……ガートルードに『ロッテは渡さない。諦めろ』と宣言してもらうのだ。
だがガートルードはいつロッテたちの前に姿を現すのかもわからない。いや、たとえ今すぐ現れたとしても、こんなことでガートルードの手をわずらわせたくない。侍女のために主人が働くなど本末転倒だ。
ガートルードが現れる前に、自分の力で解決したい。そして真実を打ち明け、これからも仕える許しを得たい。
(でもいったい、どうすれば……)
アヴァ・レンボー将軍のエピソードは、書籍第1巻書き下ろしエピソードや特典でも登場しています。元ネタはもちろん波打ち際を白馬で疾走する上様です。