貴方はもう要らない(番外編・ロッテ)4
思えばティアナはミリヤムを可能な限り貶めることで、少しでも自分の評判を回復させようとしていたのだろう。
幼馴染みの恋人同士、しかも結婚寸前だったミリヤムとニクラスを引き裂き、実家の権力にものを言わせて割り込んだ。その諸行はたとえ公爵令嬢でも、いや、公爵令嬢だからこそ白い目で見られることになった。
ニクラスと娘の結婚式を誰よりも華やかに彩るため、悪評をはねのけるため、フォルトナー公爵夫妻は金も伝手も惜しまなかった。格式高い神殿から神殿長を招いて式を司らせ、帝国一と名高い料理人に贅を凝らした料理を作らせ、引き出物には貴族でも購入をためらうほど高価な魔法道具を用意した。
そんな、後々の語り草になるはずだった華燭の典に参列した貴族は……予定の半分ほどだった。招待状を受け取った貴族の半分はうわべこそ若い二人の未来を言祝ぎつつも、当日には名代だけを遣わしたのだ。ティアナの暴挙に対する無言の非難として。
新婦に付き従う付添人、ブライズメイドもいなかった。帝国では新婦の同年代の親族か友人が務める慣習なのだが、ティアナが心当たりに声をかけるそばから、当たり障りのない理由をつけて断られたのだ。よほど困ったのか、最後にはなんとミリヤムに打診がきたが、もちろん断った。
そんなこんなで、ティアナ一世一代の夢の舞台は心から祝福してくれる者はほぼおらず、お義理の拍手と愛想笑いに満ちた寒々しいものになったのである。
ティアナが寄越した縁談は、格下の子爵家からは断れなかっただろうが、妹と両親の暴挙を知ったリュディガーが伯爵に断りを入れてくれた。
ミリヤムと両親には『妹と両親が申し訳ないことをした。こちらにできることならどのような償いでもさせてもらう』と丁寧な詫びがあり、この人は本当にティアナと血がつながっているのだろうかと何度も疑問に思ったものだ。
……ニクラスとティアナが結婚してから、ミリヤムは領地の屋敷に移り住んだ。帝都は見たくないものや聞きたくないものだらけだろう、という両親の配慮によって。
それでもすっかり悪評にまみれてしまったティアナの消息は、遠い領地にも流れてきた。
結婚式からほどなく、二人は嫡男に恵まれ、ヘルマンと名付けたそうだ。早々の慶事に『身体の相性は意外と悪くなかったらしい』などと人々は面白おかしく噂したが、時が経つにつれ流れてくる噂は二人の不仲をあげつらう内容ばかりになり、やがてはそれすらも聞こえなくなっていった。
そのころにはミリヤムも領地での穏やかな暮らしにすっかり馴染んでいた。いずれ兄が子爵家の家督を継ぎ、妻を娶れば、ミリヤムは実家を出て行かざるをえなくなる。けれどミリヤムにはアッヘンヴァル侯爵家とフォルトナー公爵家、双方から莫大な慰謝料が支払われたため、生きていくのに困ることはない。
ミリヤムに落ち度はなかったと、誰もが知っている。
だが客観的に見ればミリヤムは一方的に婚約破棄された傷物令嬢だ。皆ミリヤムを哀れんではくれるが、娶りたいと望む者はいなかった。たまにいても、かつてティアナに紹介されたかの伯爵のような訳ありばかり。
……それでいい、と思っていた。
もう誰かと添い遂げるなんてまっぴら。一人静かに穏やかに生きていければそれでいい。
だが過去はミリヤムを放っておいてはくれなかった。
ヴォルフラム皇子を救うため、皇帝アンドレアスが拝み倒すようにしてシルヴァーナ王国から迎えた幼き皇妃ガートルード。ある意味皇后よりも重要な存在である彼女に、ヘルマンが剣を向けてしまったのだ。
むろん故意ではなく、事故である。しかし事故だろうと皇族の血を引くヘルマンがガートルードに剣を向けた、という事実は帝国と王国を巻き込む大問題に発展した。最悪の場合、ヘルマンの身柄はシルヴァーナ王国に引き渡され、残虐な方法で処刑されることになる。
可愛い一人息子を守るべく、ティアナは手を尽くしたらしい。だがそれが殊勝に許しを乞うのならまだしも、この期に及んで実家の威光を振りかざし、まるで反省の色が見えなかったため、さすがのアッヘンヴァル侯爵も我慢の緒が切れた。
ティアナは離婚を言い渡され、実家に帰された。今後の彼女の処遇は兄リュディガー次第だが、彼女がどうなろうとミリヤムには関係のないことだ。
問題は……ニクラスだった。
ティアナとの離婚が成立するなり、ニクラスは『今度こそ真実の愛を貫く!』と息巻き、ミリヤムの行方を探し始めたのだ。アッヘンヴァル侯爵からひそかにそう知らされた時、ミリヤムは頭を抱えた。今さら。思い浮かんだのはそれだけだ。
帝都にいないミリヤムが領地にいることくらい、誰でも簡単に察しがつく。
ニクラスは早晩領地に現れ、ミリヤムに再び求婚するのだろう。ミリヤムが断っても構わず、彼女もまた『真実の愛』の成就を望んでいるのだと信じて疑わず、しつこく絡み続ける。ミリヤムの穏やかな暮らしはぶち壊しにされるだろう。
息子の度重なる暴挙に胸を痛めたアッヘンヴァル侯爵は、ミリヤムに提案した。
『ガートルード皇妃殿下の侍女にならないか?』
聞けばガートルードは幼いながらも女神の愛し子らしく慈悲に溢れた少女で、ヘルマンとアッヘンヴァル侯爵家に救いの手を差し伸べてくれたのだという。
礼として侯爵は侍女と騎士を差し出すこととし、その侍女にミリヤムを任命したいそうだ。礼をしたい気持ちは本物だろうが、敢えて侍女と騎士にしたのは、きっとミリヤムのためでもある。皇妃の宮殿には、いくらニクラスでも入り込めないから。
「……かくして私は領地の屋敷を出て、皇妃殿下にお仕えすることになったのです」
ミリヤムが――ロッテが長い話をしめくくると、固唾を飲んで聞き入っていたエルマは『はあっ』と息を吐いた。
どんな事情があれど、ロッテが彼女を、そしてガートルードまでも騙していたのは事実だ。どんなに非難されても仕方ない。そう覚悟していたのだが。
「あの、……ロッテさん? ミリヤムさん? どちらのお名前で呼べばいいんでしょうか?」
エルマが口にしたのは、ロッテの予想外の言葉だった。そこに苛立ちはない。戸惑いがあるだけだ。
「……ロッテ、と。亡くなった祖母の名前ですが、私の花名でもあるので」
ミリヤム・ロッテ・ヘルテル。それがミリヤムの正式な名前だ。
帝国には子どもが生まれた時、親が贈る名前に加え、その子の人生が花開くようにと願いをこめ、親族や親しい人から名前をもらう風習がある。それが花名だ。古い風習なのでどの家でもつけるわけではないが、祖母を慕っていたミリヤムの父は、娘に花名として祖母の名を贈った。
花名は普段の名乗りでは略されるため、知るのは身内くらいである。ティアナはもちろん知らない。ニクラスには結婚したら教えるつもりだったが、その機会はついぞ訪れなかった。
フライ男爵家は祖母の実家で、今も親族として付き合いがある。現当主であり四人の娘の父親でもある伯父はロッテの境遇に同情し、五番目の娘ということにしてくれた。おかげでロッテはロッテ・フライとしてこの宮殿に出仕できたのだ。
ロッテの説明に、エルマはふむふむと頷いた。
「わかりました。ではロッテさんと呼びますね」
「……、私を責めないのですか?」
「責める? どうしてですか?」
きょとんとするエルマは、わからないふりをしてさらなる情報を引き出そうとしている……わけではない。そういう腹芸ができる人物ではないと、短い付き合いの間に理解している。
ロッテは苦笑した。
「私は貴方と皇妃殿下を騙していたのですよ。なのにあんな騒ぎまで起こして、貴方にもおみ足隊にも迷惑をかけて……責めるのが当然でしょう?」




