146・カウントダウン:1
そこから先は、驚くほどスムーズに話が進んだ。それぞれが持つ女神についての情報を提示し、擦り合わせていく形で。
その結果、整理された情報は――。
『界を越え、人間の魂を召喚できるのは神々だけである』
『ガートルード(櫻井佳那)を召喚したのは女神シルヴァーナである。なぜなら歴代王女の誰より濃く強い女神の血と魔力は、召喚された際、女神シルヴァーナによって注がれた力によるものと考えられるから』
『よってヴォルフラム(神部薫)を召喚したのも女神シルヴァーナである。女神にとってはガートルードが召喚の本命であり、ヴォルフラムはおまけに過ぎなかった。その際、女神は『仕方なく』ヴォルフラムに魔獣の核を埋め込み、ヴォルフラムは瘴気を蓄積する体質を持って生まれることになった』
『七百年前、レシェフモートは女神シルヴァーナと遭遇し、血を与えられた。その折、女神が世界に存在を認めさせるだけの力を失っている、すなわち弱体化している印象を受けた』
『女神とは異なる世界から降臨した異質な魂を指す。つまり女神シルヴァーナもまたガートルードやヴォルフラム同様、異世界から召喚された魂である』
『初代皇帝とブリュンヒルデ皇女による呪いには、女神シルヴァーナが荷担していた。カイレンはガートルードに生まれ変わらせてもらった瞬間その事実を思い出したが、初代皇帝とブリュンヒルデ皇女は女神の存在自体忘れ去っているようだった』
『カイレンは生まれ変わった直後、女神シルヴァーナの気配を感じた。カイレンとレシェフモートが探し続けているが、行方はいっこうに掴めない』
「……ねえ、女神シルヴァーナって本当に神様なの?」
ヴォルフラムが書き留めてくれた一覧を一読し、ガートルードはついぼやいてしまった。レシェフモートとの約束を守らなかった女神に対する評価はもとより低いが、こうして女神の言動を列挙されると、女神ではなく犯罪者としか思えない。
「こちらの世界の定義に当てはめるのなら女神なんだろうね。前世だって、品行方正で善意に満ちあふれた神様ばかりじゃなかっただろう?」
ヴォルフラムの言う通りではある。ギリシャ神話の主神ゼウスはあの手この手で若い女に言い寄り、関係を持っては子を産ませ、正妻の怒りを買いまくるような輩だった。日本の神話だって大概だ。
だが女神シルヴァーナは実在しており、その血はわずかながらガートルードの身にも流れているのである。これだけ悪行ざんまいだと悲しくなってくるし、新たな疑問も芽生える。
(……結局、わたしについてはなにもわからないままだわ)
女神シルヴァーナが相当の無理をしてまで、ガートルードを召喚したのは間違いないだろう。
ならばそれ相応の目的があるはずなのに、こちらの世界で目覚めてから三年、女神からはなんのコンタクトもない。
異世界召喚の目的と言えば、たいていは『世界を救って欲しい』だが、女神シルヴァーナの所業をかんがみる限りそんなことは言いそうにない。だって彼女は世界を救うどころか、正反対のことばかりやっている。
レシェフモートに血を与えたのは、『始まりの乙女』のために魔獣を駆逐させるためだったから、世界の安定に貢献したと言えなくもない。けれどその後約束を守らず、魔獣の王たるレシェフモートを怒らせれば、地上が大変なことになるのは女神とてわかっていたはずだ。
幸い、レシェフモートは辛抱強く女神を待ち続けていたが、ガートルードが輿入れの道中に出逢わなければいずれ暴走していたかもしれない。
初代皇帝に協力したことも、ヴォルフラムに魔獣の核を埋め込んだことも、後の世界に混乱しか招かなかった。カイレンを封じたことにより帝国は魔石という資源を得、繁栄を極めたけれど、それを失ってしまった今後は厳しい状況が続くだろう。帝国に抑えつけられていた属国も牙を剥くかもしれない。
なんだか女神の行動は常に行き当たりばったりだ。女神なりになんらかの目的があったのかもしれないが、自分の行動により後々世界にどんな影響がもたらされるか、まるで想像していないように思える。妙に人間くさい。
『でも、それでいい。貴方が笑っていてくれることだけが私の望み。……守るよ。私の力が、必ず……』
……彼は、そんな人ではなかったはずなのに……。
「櫻井さん?」
気遣わしげな視線を向けられ、ガートルードは我に返った。浮かびかけていた面影も、意識に溶けて消える。
「大丈夫。……えっと、ね。わたしがいきなり破邪魔法を使えるようになったのは、女神シルヴァーナが地上に降臨していた影響かもしれないってレシェたちと話していたんだけど、本当かなあって思ってたの」
皇妃の宮殿にこもっていた間のことだ。魔獣の王が二人と侯爵にして一流の魔法使いという豪華なメンバーだったが、ガートルードが突然破邪魔法を使えるようになった原因については、そのくらいの推測しかできなかった。
というのも魔獣は魔力を人間のように魔法として行使しているわけではなく、そのまま己の手足のごとく使っているのだそうだ。魔法は読んで字のごとく魔力の法。魔力に方向性を持たせ、より効率的に活用するための法則である。言わば最適化されたテンプレートだ。
人間が魔法というテンプレートを用いるのは、人間の持つ魔力に限界があるからだ。
しかし魔獣の王ともなれば膨大な魔力の主であり、効率など考える必要がないため、わざわざテンプレートを用いたりしない。だから人間より多種多彩に魔力を操れる反面、魔法についてはさほど知識を持たなかったりする。
優秀な魔法使いをあまた抱えるシルヴァーナ王国の侯爵たるモルガンは、もちろん魔法に造詣が深い。
しかし広大な版図を誇る帝国にさえたった数人の破邪魔法使いしかいなかったように、破邪魔法の適性を持つ者は稀有だ。破邪魔法は治癒魔法と同様、適性がなければ発動すらできない特殊な魔法である。モルガンがいくら優れた魔法使いでも、破邪魔法についてはなんの助言もできない。
「女神シルヴァーナが降臨していた影響、か……」
ヴォルフラムも破邪魔法の適性はないはずだが、凛々しい顔をゆがめる。
「この女神にそんなご利益はなさそうだ。僕の個人的な感情だけじゃなくて、女神シルヴァーナは百年と少し前にも降臨したんだろう? 本当にそんなご利益があるのなら、当時のシルヴァーナの王女にも同じ現象が起きていたはずだけど、櫻井さんは知ってる?」
「……わたしは、ないわ。まだ六歳だから聞いたことがないだけかもしれないけど……」
ちら、とレシェフモートを窺えば、美しい異形は首を振った。
「私も終ぞ聞いた覚えはございません」
「妾も」
カイレンまで断言するのなら、おそらく起きなかったのだろう。
しかし……。
「……お姉様たちなら、なにかご存知かもしれないわ」
クローディア女王は王家にしか伝わらない秘密情報を握っているかもしれないし、国外へ魔獣討伐に出ることの多い王太女ドローレスはもちろん、魔獣と魔法の研究者であるエメライン王女も貴重な知識を有しているはずだ。
中には女神シルヴァーナにつながる情報もあるかもしれない。なんと言ってもシルヴァーナ王国は女神の血を受け継いでいるのだから。
ガートルードの願いなら、姉女王たちは快く教えてくれる可能性が高い。
けれど重要すぎる情報を、手紙でやりとりするわけにはいかないだろう。女王と王女が軽々しく祖国を離れるのは不可能だ。
つまり情報を得たければ、ガートルード自身が姉たちのもとに赴く必要があるのだが……。
「……櫻井さん。実は、今日は君のこれからについても相談しようと思って来たんだ」
「えっ?」
唐突な発言に驚くガートルードをじっと見つめ、ヴォルフラムはおもむろに切り出す。
「父上の葬儀が済んだら、シルヴァーナ王国へ帰らないか?」