141・皇子と騎士の推理(第三者視点)
本日は二話更新しております。
こちらは二話目です。ご注意下さい。
見事に使命を果たしたなら、通常の伯爵令嬢の持参金の十倍に相当する金貨を与えると、ブライトクロイツ公爵は約束してくれた。恋人の文官の後ろ楯となってくれるとも。
だがニーナにとって重要なのは報酬ではなく、コンスタンツェに対する嫌がらせそのものだった。
さんざんニーナの幸せを邪魔してくれたコンスタンツェが『エリーゼ様の呪い』を恐れ、泣き叫び、衰弱していく。犯人のくせに何食わぬ顔で心配してやるたび、溜まりに溜まった鬱屈が溶けてゆくのを感じた。
葛藤がなかったわけではない。コンスタンツェは父方の叔母でもあり、幼いころは可愛がってもらった。騎士としての彼女に憧れたこともある。
そんなコンスタンツェをブライトクロイツ公爵の毒牙にかけさせていいのか。
ニーナの心に残ったわずかな良心とためらいは、他ならぬコンスタンツェ自身が粉砕してしまった。
ニーナが中の宮殿で知り合い、恋に落ちた文官。お互い多忙の合間を縫ってわずかな逢瀬の時間を持ち、愛を深めていた。彼がプロポーズしてくれた時、ニーナは天にも昇る気持ちだったのに。
恋人の両親にあいさつをするため、ニーナはコンスタンツェに宿下がりを申し出た。するとコンスタンツェは言下に断った挙げ句、ニーナの恋人は父親が見繕ったのだと決めつけ、あまつさえこう言い放ったのだ。
『お兄様が決めてくる相手では、貴方の歳も考えたら、せいぜい子爵家程度でしょう。式典が落ち着けば、私がもっと良いお相手をあてがってあげるわ。ね?』
ニーナは悟った。コンスタンツェは一生、自分を都合のいい駒として使い潰すつもりなのだと。
式典が終わったって、『もっと良いお相手』を探してくれるわけがない。だってニーナが結婚し、侍女を引退してしまったら、コンスタンツェは信頼できる侍女を失うのだから。
コンスタンツェにとっては、ニーナが一生独り身を通してくれるのが最善なのだ。夫の皇帝に溺愛される自分を見せつけながら、ニーナには我慢させ続ける。それが当然だと思っている。
だったら。
ささやかな意趣返しくらい許される。今まで自分が受けてきた仕打ちに比べたら可愛いもの。
そう、思ってしまった。
……その後に起きた皇禍は、ニーナの予想をはるかに超える被害と結末をもたらした。まさかコンスタンツェが皇帝弑逆に関与し、アンドレアスが『帝位はブライトクロイツ公爵に譲る』と遺言したと偽るなど、誰が予想できようか。
湧いて出た魔獣の群れにより、あまたの使用人が命を落としたが、ニーナは助かった。
それが幸運だとは、彼女には思えなかった。ブライトクロイツ公爵が皇禍の首謀者として捕縛された以上、自分の罪も必ず暴かれるはずだから。
予想は的中し、ニーナは囚われの身となった。
侍女でありながら皇后を裏切ったのだ。本来なら厳罰を免れない。良くて貴族籍を奪われ平民堕ちの上追放、最悪、処刑もあり得た。
しかしながらさらなる大罪を犯したコンスタンツェが廃后もされず、離宮への幽閉だけで許されたのだ。ニーナばかりが厳罰を受けたのではあまりに不公平であり、コンスタンツェに対する非難の激化は必至。
諸々の事情をかんがみ、ニーナは侍女を解雇され、実家へのお預けとなった。常に実家の監視下に置かれ、なんらかの過ちを犯せば今度こそ厳罰に処されることになるが、逆に言えば、問題を起こさなければこれ以上の咎めは受けないということだ。
恋人の文官とはさすがに無理だろうが、平民となら結婚が許される可能性はある。かけられた温情にニーナは感謝し、大人しく懺悔の日々を送っているそうだ。
そんなニーナが再びコンスタンツェに手出しをするとは思えない。そもそも厳しい監視の目を盗むこと自体不可能だろう。
だとすれば、コンスタンツェはなぜあのような死を遂げたのか?
コンスタンツェの遺体を清めさせ、仮の棺に納めた後、ヴォルフラムはジークフリートをひそかに呼び出した。
実家の公爵家を失った彼は皇宮の客室を仮住まいとし、ヴォルフラムのもとで皇禍の後始末の手伝いをしてくれているのだ。今回の一件を相談できるのは、ジークフリートとリュディガーくらいしかいない。ヨナタンには席を外させ、リュディガーにはコンスタンツェの葬儀の準備を進めてもらっている。
「……エリーゼの仕業ではないと思います」
事の次第を聞いたジークフリートはしばし沈思黙考し、ゆっくりと口を開いた。オパールの双眸には驚愕も動揺もない。
「私にはわかります。エリーゼは我が貴婦人ガートルード様のお力により、あるべき場所へ送られました。あれがどれだけこの世に未練を残そうと、もはや舞い戻ることはできないでしょう」
「……そうだな。私もそう思う」
おそらくリュディガーも、いや、あの場に居合わせたなら誰もが同じことを言うだろう。ガートルードが放った清浄な光。あの光にあらがうのは、きっと冥府の王でも不可能だ。
それに。
「エリーゼ嬢は、ブライトクロイツ卿……いや、ジークフリート。貴方にしか執着していなかった」
実家が取り潰されたジークフリートはもはや公爵子息ではなく、ただのジークフリートだが、未だに新しい呼び名には慣れない。
「皇后陛下はエリーゼ嬢が父上を愛していたと、だから父上を奪った自分を恨んでいるにちがいないと思い込んでおられたが、恨むというのは強い執着がなければ成立しない感情だ」
ジークフリートしか眼中にないエリーゼにとって、コンスタンツェは路傍の石に等しかった。少なくともヴォルフラムにはそう思える。石につまずいて転んだからと言って、化けて出るほど石を恨む人間はいないだろう。
「……エリーゼは皇后陛下に、護衛騎士として、歳の近い友人として好意を抱いていたとは思います。ですが死後も陛下を苦しめてやりたいと望むほどかと言われると……」
ジークフリートは節ばった指で顎を撫でながら在りし日の記憶をたぐり、静かに首を振った。
「あの娘は私を縛りつけるために自ら死を選んだのです。そしてずっと私と共に在った。皇后陛下に対する執着も恨みも、そもそも存在しなかったでしょう。しかしそうなると、陛下があのような死を遂げられた原因がますますわからなくなってしまいますが……」
「…………」
ヴォルフラムはまぶたを伏せ、神部薫ではなくヴォルフラムとして覚醒してからの記憶を引き寄せる。
記憶の中のコンスタンツェは、高位令嬢を差し置いて皇后になった、かつての主人の婚約者を奪ったと常に後ろ指を指され、負けまいと必死に背を伸ばしていた。そんな彼女にとって唯一にして最大の支えが、夫の皇帝アンドレアスだった。
あまたの反対を振り切ってまで正妻に求められるほど、帝国最高の男に望まれた女。その自負と自信がコンスタンツェを支えていたのだ。
だがアンドレアスは……彼を操っていた初代皇帝は、コンスタンツェを愛しているから妻にしたわけではなかった。帝国では珍しいほど淡い色合いの金髪。その色彩を、次代に受け継がせたいだけだった。
真実に打ちのめされたコンスタンツェは、今度はエリーゼにすがったのではないか。
夫にとって自分が一番ではなかったとしても、エリーゼに一番恨まれているのは自分だ。幼くして皇太子の婚約者に選ばれた令嬢に、化けて出るほど恨まれている。
そう思うことで、今にも崩れてしまいそうな自分を支えようとしたのではないか――。
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