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番外編3・さいごにひとめ(完璧くん視点)

 自分が『完璧くん』などとたいそうなあだ名で呼ばれていることを、神部(かんべ)(かおる)は知っていた。女子からは恋慕と憧憬をこめて、男子からはやっかみ半分で。



 馬鹿だなあ、と思っていた。



 王子様みたいな容姿に大病院の院長の父、弁護士の母、海外留学中の兄がいて、駅前のタワマンの最上階に住んでいるから『完璧くん』。

 そんなふうに無邪気に呼ぶやつらは、神部家の実態を知れば驚くだろう。



 両親は互いの両親、つまり薫の祖父母が家柄と資産の釣り合いだけで決めた婚約者同士だった。お互い嫌いではなく、他の相手を探すのも面倒だからという理由で結婚したのだ。



 兄と薫が生まれ、しばらくは穏やかに暮らしていたと思う。

 多忙な両親は育児も家事もシッターや家政婦に任せきりで、ろくに帰宅しなかったから、波風の立ちようもなかったと言うべきか。



 風向きが変わったのは、薫が小学生のころ、五歳上の兄のいじめ事件が発覚した時だ。



 兄がいじめられていたのではない。兄はいじめる側、つまり加害者で、しかも首謀者だった。

 兄と薫の通う学校は授業料の高さで知られる私立の一貫校だったのだが、家庭環境に恵まれないが優秀な子どものための奨学金制度があった。その制度を利用して入学した同じクラスの男子を、兄はクラスメイトを煽動していじめていたのだという。



 被害者の男子にとっては幸い、兄にとっては不幸なことに、すべてのクラスメイトが兄に従ったわけではなかった。

 被害者の男子を助けようとする友人がおり、被害者の男子自身も黙ってやられるタイプではなかったのだ。



 彼らは兄のいじめの証拠をしっかり集め、教育委員会まで巻き込んで兄とその取り巻きたちを告発した。



 弁護士の母すら弁護不可能な証拠の前では多額の寄付金もご利益を発揮せず、兄のいじめは白日のもとにさらされ、糾弾されることになった。



 兄と折り合いの悪かった薫は正直なところ胸がすく思いだったが、両親はそうはいかない。



『お前のしつけが悪いからだ!』

『うちの家系にいじめをするような子なんていないわ。貴方の血筋でしょう!?』



 久しぶりに揃って帰宅したと思えば、罵りあってばかり。二人の間で小さくなっている兄はどことなく満足そうで、薫は少し哀れになった。



 兄がいじめなんてしたのは、両親の気を引きたかったからなんだろう。



(無駄なのになあ)



 薫はとっくに諦めていた。両親は最初から子どもに関心なんてないのだと悟っていた。ただ『まっとうな家庭にはまっとうな子どもがいるものだ』と思うから、義務感で作っただけ。



(『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて無関心、っていうじゃないか)



 元々ゼロのものは、何をしようとプラスにもマイナスにもならないのだ。実際両親の罵り合いはいかに兄のやらかしを隠し、医師や弁護士としての体面を保つかに変化していって、兄は被害者たちに糾弾された時より落ち込んでいた。



 両親が被害者の男子に謝罪し、相応の慰謝料を支払ったことで、兄は被害者と和解した。



 退学にもならずに済んだが、プライドの高すぎる兄がそのままのうのうと在学していられるわけもない。不登校になって数年後、体面を気にした両親によってアメリカの全寮制学校へ送り込まれた。兄のような資産家の『問題児』ばかりが集められる学校らしい。



 わざわざ国外を選んだのは兄がまた問題を起こした時、国内ではすぐ炎上してしまうのと、国外なら海外留学と言い張れるからだろう。



 兄が使い物にならなくなった後、薫だけは二の轍を踏ませまいと、両親はやっきになった。



 兄の通っていた私立には兄の悪評が蔓延していたから、公立の中学校に通わざるを得なかった。その分自宅では何人もの家庭教師が付けられ、食事と睡眠と入浴の時間以外は常に勉強させられる。



 唯一解放されるのが学校だった。

 だからかもしれない。彼女……櫻井佳那に目を引かれたのは。

 もっとも彼女の事情を正確に把握したのは、ずいぶん後になってからなのだけれど。



 佳那はいつでも幸せを噛み締めているような、嬉しげな表情を浮かべていた。流行のドラマやファッションなど、クラスの女子が夢中になる話題にはまるで付いていけていなかったが、いじめられるどころかみなから好かれていたのは、そのせいかもしれない。



 一方で両親の教育は過熱するばかりだった。なまじ薫が兄より出来がよかったのが災いしたのだ。

 試験は一位で当たり前、少しでも成績が落ちれば容赦なく睡眠時間を削られた。それでも落ちれば食事を抜かれた。



 完全に虐待だったが、当時の薫は両親に逆らえなかった。逆らってまで生きたいと思えなかった。



 高校受験を控えたころになるとあまり食べられなくなり、無理に食べれば戻してしまうことが増えた。



『嫌っ、汚い! 早く片付けなさいよ!』



 たまたま母に目撃されてしまった時の、嫌悪と侮蔑に染まった顔が忘れられなかった。

 無理やり吐き気を呑み込む癖がついた。

 学校で遠くから佳那の笑顔を眺める時だけ、気持ち悪さから解放された。



 そんな綱渡りのような日々は、長くは続かなかった。



 ある日学校から帰ると、海外にいるはずの兄が暴れ狂い、家中を破壊して回っていた。後で知ったことだが、留学先の学校を脱走し、あちこちで窃盗や強盗を働きながら日本まで帰ってきたらしい。



『俺をあんなブタ箱にぶちこみやがって!』



 あれほど関心を引きたかった両親に監獄同然の学校へ放り込まれ、何年も過ごすうちに兄は憎悪と復讐心の塊になっていた。



 薫の連絡で慌てて帰宅した両親は兄に殴る蹴るの暴行を受け、命に別状はなかったものの、しばらく入院が必要になってしまった。身体より精神的なショックが大きく、それぞれ仕事に戻るにも時間がかかるだろうと。



 成人していた兄は逮捕されたが、両親が罰を望まなかったため不起訴になった。しかし自分のやらかした結果におののいたのか、釈放されてすぐどこかへ姿を消し、行方不明のままだ。



 薫は関西に住む母方の祖父母に預けられることになり、急きょ転校が決まった。



 双方の祖父母が手を尽くし、兄の事件が報道されることはなかったが、両親は一日も早く薫を転校させたがった。

 どうにか頼み込み、最後に一日だけ登校を許してもらったのは、佳那の顔を見て……一度くらい、話してみたかったからだ。



 願いは叶った。進路指導から帰ってきた彼女に、吐いたところを目撃されるという最悪の形で。



 これが佳那に会える最後だと、ずっと両親や兄に振り回されながら生きていくのだと思うと、最近はおさまっていたはずの吐き気をこらえきれなくなってしまった。



『嫌っ、汚い! 早く片付けなさいよ!』



 母のひきつった顔を思い出し、息が止まりそうになった。

 実の母すらああだったのだ。佳那には激しく罵倒されるに決まっていると、覚悟したのに。



『汚くなんかない……わけじゃないけど、誰のお腹の中にだって入ってるんだよ。栄養になってくれるのに、汚いなんて言ったらダメでしょ』

『入ったんだから出ることだってあるよ。理由なんて聞いても意味なくない?』



 佳那は責めるどころか薫をいたわり、吐いたものの始末までしてくれたのだ。

 つなぎとめてもらった。ばらばらになりそうだった心を、こちら側に。



『……ありがとう』



 言いたいこと、伝えたいことは山ほどあった。でも言葉にできたのはそれだけだった。

 連絡先も聞けなかった。まさか生きている彼女と会えるのはこれが最後だなんて、思いもしなかったから。



 帰ってすぐ、闇サイトでひそかに取り寄せていた毒薬を捨てた。両親への当てつけで死ぬなんて馬鹿馬鹿しすぎる。素直にそう思えた。



 逆にこちらが両親を利用してやろう。誰にも指図されずに生きられる大人になるために。



 そしていつか、彼女に会いに行けたら――。



 ……そんな夢物語みたいな妄想をのんきに思い描いていたから、バチが当たったのだろうか。



『え、佳那ぁ? 死んだけど?』



 アメリカで医師として独立し、一人前になれたと自信を持てるようになり、久しぶりに帰国した。比較的仲のよかったかつての同級生から佳那の住所を聞き出し、どきどきしながらおもむくと、彼女の母親はあっけらかんと告げたのだ。



『惜しかったわねえ、ほんの四日前よ。脳梗塞で突然死ってやつ? 前日まではぴんぴんしてたから、あとちょっと早ければ話せたのに』

『あのブサイクにこんなイケメンの男がいたなんて知らなかったわ。何だ、ブサイクのくせにしっかり楽しんでたんじゃない』



 彼女の母親に、娘の死を悲しむ気配はかけらもなかった。ひび割れた唇から飛び出す言葉はどれも身勝手で、不愉快極まりないものばかりだった。



『確か明日、お葬式のはずだけど』



 その情報を除いては。



 いったんホテルに引き上げ、佳那の住所を教えてくれた同級生から色々聞き出した。佳那は何と十三人きょうだいの長女だった。



 近所では有名な一家だったそうだ。両親は無計画に子どもを作っては佳那に養育させ、自分たちはほとんど育児に関わらなかった。



 佳那は高校進学も許されず、中学卒業後はひたすら家族のために働いた。見かねた近所の人々が行政に相談しても、本人が自分の意志でやっていることに口出しはできないと言われておしまいだったという。



 いっそ佳那が家を離れれば良かったのかもしれない。けれど佳那はきょうだいを見捨てられず、家に留まり続けた。



 それでも一番下の妹が義務教育を終え、やっと独り暮らしを始めた矢先の死だったのだ。



 もし、薫がもっと早く来ていたら。

 彼女を無理やりにでも家から引き離していたら。



 悶々とするうちに夜が明け、翌朝、薫は彼女の葬儀が営まれる斎場へ向かった。あの界隈で葬儀が行われるならそこしかないだろうと、同級生が教えてくれたのだ。



 受付をしていた彼女の妹に、薫は途中の花屋で購入した薔薇の花束を託した。



 赤、白、紫、ピンク、青。

 伝えたかった言葉をこめたらとんでもない大きさになってしまったが、彼女の妹は受け取ってくれた。ぜひお焼香を、と勧められたのを断り、お悔やみだけ告げて斎場を後にした。彼女に合わせる顔なんてなかった。



 ホテルへの帰り道、懐かしい中学校に立ち寄ると、校門から制服姿の女子生徒が出てくるところだった。彼女と同じポニーテールの小柄な女子生徒だ。



『……櫻井さん!』



 車道から勢いよく飛び出したトラックが女子生徒めがけ突っ込んでいった瞬間、薫は自分でも驚くほどの速さで駆け寄っていた。

 間一髪で女子生徒を突き飛ばした直後、トラックは薫に衝突し、さらに校門に激突してやっと停まる。



『だ、大丈夫ですか!? すぐに救急車を……』



 泣きそうな顔の女子生徒は、近くで見れば彼女にはまるで似ていなかった。気丈にもスマホで救急車を呼ぼうとしてくれる。



 でもきっと無駄だと医師の直感が告げていた。もう自分は手の施しようがない状態だ。あと数分で死が訪れる。



(櫻井さん)



『ごめんなさい、ごめんなさい……!』



 泣きじゃくる女子生徒に彼女の面影が重なる。



(次があるなら、絶対に間違えないから)



(次は、きっと――)



 黒く塗りつぶされていく視界のすみでポニーテールの尻尾が揺れる。



 かすかに微笑んだのを最後に、薫の意識は闇に呑まれた。



完璧くんこと神部薫視点でした。

これにて間の章は完結。第2章の開始をお待ちください。

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― 新着の感想 ―
ほんのりヴォルフラム皇子は完璧くんかなぁ?と疑ってもみたんですよね。 ドンピシャ正解だったな。 それにしても、タイプは違うけど同じく虐待親育ちだったとは。 なんとなく完璧くんのプロフィールでプレッシャ…
よく言うけどさ。好きの反対が無関心ておかしいよね。じゃあ嫌いの反対は何なの。告白だろうかね。嫌いだったり気に入らないから無関心になるのであって好きの反対では、ありえないと思う。どちらかと言えば無関心て…
完璧くんのお名前が!!
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