125・返しの狂嵐(第三者視点)
本日は二話更新しております。
こちらは一話目です。
残酷な表現がありますので、ご注意下さい。
生身の人間が触れればたちまち焼け爛れてしまう呪いの呼気を、モルガンとリュディガーが結界の魔力を高めて防ぐ。ヴォルフラムは胸を押さえ、呼吸するのも苦しそうだ。
呪いの影響か? いや、あれは……。
「……吹き荒れよ! 返しの狂嵐よ!」
ウオオオォォン!
カイレンに応えるように咆哮し、呪いの竜は突進した。瞑目する初代皇帝ではなく、紅色の緞帳がかけられた棺目掛けて。
堅牢な石の棺はたやすく粉砕され、無数の石片が飛び散った。
あらわになった内部に、初代皇帝の遺骨らしきものはない。そこに納められていたのは人間の胴体だった。
首と四肢をもぎ取られているが、女性の身体だと一目で判別できる。膨らんだ腹のおかげで。
間もなく臨月を迎えるとおぼしきそこには、太い線が縦方向に走っていた。妊娠線とは明らかに違う、紅いインクで描いたような鮮やかな線だ。
むくり、と。
呪いの竜に取り巻かれた胴体が起き上がった。四肢も首もないそれは、膨らんだ腹部の内側なにかがもにょもにょとうごめき、皮膚を波打たせているせいで、異様に太った芋虫にも見える。
うぞ。
うぞうぞうぞ、うぞ。
腹の膨れた胴体は瀕死の芋虫さながら、ブリュンヒルデ皇女のもとへ這っていった。
レシェフモートも眉をひそめずにはいられない、おぞましい光景に誰もが吐き気をこらえる。たった一人、ブリュンヒルデ皇女を除いて。
「あっ……あぁ……」
生首は小じわだらけの頬を上気させ、四肢は拘束されたままびくんびくんと跳ねる。今際の際の飛蝗のように。
「あぁ、来る、来る、来ちゃうぅぅぅん」
「ひっ……」
初代皇帝はさらに後ずさろうとするが、カイレンの魔力の枷が許さない。その一方でブリュンヒルデ皇女を縛める枷は消え失せ、自由を与えてしまう。悦楽にあえぐ生首にも、四肢にも。
「あぁぁぁん! 来る、来る!」
すうっと空中に浮かび上がった生首は黄ばんだ乱杭歯をがちがちと噛み鳴らし、腕はおいでおいでと手招きをし、脚はばたばたともがき、這い寄る胴体を待ちわびる。
そして、よたよたとたどり着いた胴体を、四肢は歓迎するように抱き締め。
ぬちゃ……ぐちょっ……。
耳をふさぎたくなる粘着音をたてながら、接着していった。ただし、正常な人体とは逆の方向で。胴体は正面を向いているのに腕は肘と手の甲が、脚はかかとがこちらを向いている。まるでお人形遊びに飽きた子どもがむしり取り、また気まぐれにつなぎ合わせたような。
「あは、あはっ、あはあはぁぁぁん」
そして最後に、生首がくっついた。
一度正面を向いた後、ぐるんっ、と真後ろに回転する。くすんだ金髪がぞわぞわと広がる。
ぐうぱあ、ぐうぱあ。
何度かてのひらを握っては閉じた後、ブリュンヒルデ皇女は獣のごとく四つん這いになった。背中の代わりに、大きく膨らんだ腹が突き出される。
「うふ、うふうふぐふふっ、ぐふぇぇっ、お兄様、お兄様お兄様お兄様ぁぁぁぁぁんっ」
カサカサカサカサカサカサカサカ、サカサ、カサカサ。
餌を物色する油虫にも似た足音をたて、ブリュンヒルデ皇女はすさまじい速さで愛しい兄に這い寄る。
「い、嫌だ、来るな、……来るな来るな来るなっ、……!!」
初代皇帝が声にならない絶叫をほとばしらせた瞬間。
レシェフモートはガートルードがカイレンの懐にしまわれていることに、ほんの少しだけ感謝した。
だって、ガートルードには絶対に見せたくない。
がばあっ、と。
ブリュンヒルデ皇女の腹が、紅い線から縦方向に大きく裂け。
幾重にも生えた鮫のような牙がさらけ出され。
その奥には、何人分もの生首や四肢がばらばらになった臓物を寝床代わりにぎゅうぎゅうと詰め込まれ。
白目をむき、舌をだらりと垂らし、腐臭を放っているところなんて。
(……歴代皇帝の成れの果て、か)
地底深くでカイレンを封じているブリュンヒルデ皇女にどうやって歴代皇帝の骸を『与えて』いたのか。その答えがこれだ。
すなわちこの皇帝廟に並ぶ棺はすべて空っぽ。
呪具化したブリュンヒルデ皇女の胎こそが、歴代皇帝の墓だったのだ。ガートルードが帝国に輿入れしなければ、超アンドレアスもまたあの中に加わっていたのだろう。
モルガンやジークフリート、リュディガーは青ざめながらも理性を保っている。ヴォルフラムはますます呼吸が荒くなっているが、自分の脚で立っている。
人間にしてはたいした胆力だ。
しかし、本番はこれからである。
「あぁ、嬉しい、嬉しいぃぃぃん、お兄様、お兄様」
裂けた腹をくねらせ、娼婦よりもはしたなく尻を振りたくりながら、ブリュンヒルデ皇女は小じわだらけの顔を悦楽に染める。鼻息と呼吸がだんだん激しくなってゆき、乱杭歯の隙間からよだれがぼたぼたと垂れる。
「やっと、やっとぉぉぉぉ、お兄様もぉ、孕めるのねぇぇぇぇん……愛してますわぁぁ、お兄様ぁぁぁぁん……」
「ぐ……っ……」
必死にもがく初代皇帝は、実体を持つ身であれば胃の中のものを全部ぶちまけ、それでも足りずに胃液をげえげえ吐き散らかしていただろう。ブリュンヒルデ皇女は恍惚と這いつくばり、吐しゃ物を舐め取ったにちがいない。
相手のすべてを我が物としてしまいたい欲望は、レシェフモートにも覚えがある。嫌というほど、今この瞬間さえ我が身を焼いている。
どれほど醜悪で身勝手なものであろうと、相手が受け入れてくれたならそれは愛だ。
だが、この兄妹は。
「誰が……、誰がお前など愛するか! お前のような女を、愛せる者はこの世のどこにもいない!」
徹底的な拒絶に、ブリュンヒルデ皇女が傷ついたような表情をにじませたのは一瞬だった。おそらく初代皇帝は気づかなかっただろう。
「構いません、わぁぁ……」
「ひぃ!」
ニタァッと牙を剥き出しにして笑い、ブリュンヒルデ皇女は両腕だけで全身を持ち上げた。逆立ちの体勢だが、初代皇帝の正面にさらされるのは背中ではなく、逆向きに接着された腹部だ。
ブゥゥゥゥン、ブゥゥゥゥン。
無数の蝿が群れ飛ぶ羽音にも似た耳障りな音は、ブリュンヒルデ皇女の腹の中、歴代皇帝たちの漏らす怨嗟の合唱だ。もはや意味のある言葉ですらないが、呪っていることだけはわかる。
自分たちをこんな目に遭わせた者たちを。
ブリュンヒルデ皇女を。
……初代皇帝を。
ブィィィィィン、ブォォォォォン……!
いっそう激しくなる怨嗟を伴奏代わりに、ブリュンヒルデ皇女は高らかに宣言する。
「たとえお兄様が未来永劫、わたくしを愛してくださらなくても。わたくしは、愛しているから」
「あ、あっ、あっ……」
「ですからお兄様ぁぁぁ、……ずっとずっとずぅぅぅぅっと、わたくしに宿って、わたくしから産まれてくださいねぇぇぇぇぇぇん……?」
ブリュンヒルデ皇女の腹が、怯える初代皇帝に覆いかぶさる。
今の初代皇帝に肉体はないが、レシェフモートだけではないだろう。無数に生えた牙が肉を、骨を断ち、喰いちぎり、むさぼり、咀嚼する聞くもおぞましい音が。
「……っ……ぁ、……だ……」
なんと言ったのかもわからない言葉の断片。
それが偉大なる建国帝アンドレアスの、本当の遺言になった。
……この世においては。