115・呪われた夜(第三者視点)
本日は二話更新しております。
こちらは二話目です。ご注意下さい。
『ずっとお慕いしておりました……』
寝台に乗り上がりながら夜着の胸元のリボンをほどくエリーゼは、けなげで純真無垢な妹ではなかった。ジークフリートの知らない『女』だった。
『やめろ……!』
潤んだ蜂蜜色の瞳に寒気を覚え、ジークフリートはエリーゼを突き飛ばした。……当たり前だ。妹に欲情する兄などいない。しかもエリーゼは間もなく皇太子の花嫁になる身ではないか。
『どうして?』
なのにエリーゼは、きょとんと首を傾げた。幼いしぐさと裏腹の甘い匂いと豊かな胸元にめまいがした。
『どうして抱いてくださいませんの?』
『兄妹だからだ。当たり前だろう!?』
『けれど、血はつながっておりませんわよね?』
あっさりと告げられ、ジークフリートは血の気が引いていくのを感じた。
エリーゼの出自の秘密を知るのは自分と父公爵を除けば、解雇した専属侍女と産婆だけのはずだ。専属侍女はとうに『病死』しており、平民の産婆が公爵令嬢たるエリーゼに近づけるわけがない。
ならば、残るは。
(まさか……)
『お父様がおっしゃいましたわ。わたくしはアンドレアス様の婚約者となり、初夜の床でアンドレアス様のお命を頂戴するため公爵家に引き取られたのだと』
『な……ん、だと? ……父上が!?』
当たって欲しくなかった予想が的中したばかりか、衝撃的な事実まで明かされ、ジークフリートの頭はまっ白になった。
初夜の床でアンドレアスを殺す? ……エリーゼが?
そのために……公爵家に引き取られた? それを知っていて彼女は、ジークフリートを兄と呼び、寝所に忍び込んで……。
『……父上! どういうことなのですか!?』
すがるエリーゼを振り払い、半ば無理やり侍女に預け、ジークフリートは父の私室に駆け込んだ。
『どうもこうも、エリーゼの申した通りよ』
悪びれもせず、ブライトクロイツ公爵はあっさりと認めた。しかもその態度は、まるでエリーゼがジークフリートの寝所に忍び込んだことを察しているようだった。
『アンドレアスめは皇帝にふさわしくない。なにせあの惰弱な弟の息子なのだからな。世継ぎが生まれる前に死ねば、帝位は私のものになる』
『っ……、アンドレアスは良き為政者であろうと懸命に努力している! その治世を支えることこそ我ら臣下の務めではありませんか!』
『臣下ではない!』
息子と同じオパールの瞳が狂気を帯びた。
『私こそが皇帝になるべきだったのだ! それをあの愚鈍なるルドルフが奪いおった!』
『……叔父上が奪ったのではありません。お祖父様……先々帝がお決めになったことです』
『父上は病で弱っておいでだった。そこをルドルフの奴が甘い言葉でそそのかしたにちがいないわ。あやつは幼いころからそういう小狡い男だった』
ジークフリートにはとてもそうは思えなかった。叔父ルドルフは為政者として優秀とは言いがたいが、本人も自覚しており、だからこそ帝位など荷が重すぎると悲鳴を上げているような人物だったのだ。譲れるものなら喜んでブライトクロイツ公爵に帝位を譲っていただろう。
ジークフリートのみならず、多くの貴族が察していたはずだ。だが降り積もる嫉妬と憎悪に曇ったブライトクロイツ公爵の目に、真実は映らない。
『エリーゼには閨房で男の欲望を搾り取り、夢うつつのまま逝かせるすべを教え込ませた。むろん乙女のままな』
ほくそ笑むブライトクロイツ公爵が、父の姿をした化け物に見えた。
『新婚の男が張り切りすぎ、新妻の腹の上で息絶えるのは昔からよくあること。公爵令嬢が手練手管の主とは誰も思わぬから、我が公爵家が咎を受ける恐れもない。……アンドレアスにふさわしい最後よ』
『考え直してください、父上。私はアンドレアスを……陛下を支える右腕になるべく、研鑽を積んで参りました。エリーゼとて……』
『エリーゼが思っておるのは、お前だろう。ジークフリート』
ブライトクロイツ公爵がにやにやとジークフリートの全身を眼差しで舐め回した。決して良好な親子関係ではなかったが、こんなにも実の父親に嫌悪を覚えたのは初めてだった。
『エリーゼはな、潔癖なお前は知らぬであろうが、帝国の花街では名を馳せた高級娼婦の産み落とした娘だ。楚々としたたおやかな美貌とは裏腹の、男を昇天させる手管の主だった。血は争えんな』
にやにや、にやにや。
いやらしい眼差しが絡みつく。エリーゼの実母だというその高級娼婦を、父も買ったことがあるのかもしれない。
『抱いてやれば良いではないか。あれには母親と同じ手管を仕込ませた。きっとこの世のものとは思えぬ快楽を味わえるぞ』
『……父上……』
『エリーゼは首尾よくアンドレアスめを仕留めたら、お前の閨にはべりたいと前々から望んでおった。本番を前に、多少前払いしてやっても良かろう』
『……父上!』
これ以上父のおぞましい言葉を聞いていたら、頭がおかしくなってしまいそうだった。
そうだ、父もエリーゼもおかしい。床で男を殺すため娼婦の娘を引き取る公爵も、兄に抱かれたい一心で手管を身につける令嬢も。
『いい加減になさってください! エリーゼは妹です。たった一人の、大切な妹を抱けるわけがありません。アンドレアスを殺させることも許しません!』
『……この欠陥品が!』
ブライトクロイツ公爵は拳を振り上げ、ジークフリートの頬を殴りつけた。
『アンドレアスさえ死ねば私が皇帝になり、お前は皇太子になれるのだぞ!? 正しき嫡流に生まれながら帝位を望まぬなど、お前は欠陥品だ!』
ジークフリートが抵抗しないのをいいことに、ブライトクロイツ公爵は何度も息子に拳を振るった。『欠陥品』と連呼しながら。
先祖返りの身体能力に恵まれ、鍛練を怠らないジークフリートだ。父をねじ伏せるくらい簡単だったが、そうしたところでさらに興奮させるだけだとわかっていた。
『……なんとおっしゃられようと、私の考えは変わりませぬ』
やがて体力の尽きたブライトクロイツ公爵が息切れを起こすと、ジークフリートは父と同じオパールの双眸に力をこめた。ぎくりとするブライトクロイツ公爵は、この時になってやっと気づいたらしい。自分の拳が息子に露ほどの痛手も与えていなかったことに。
『エリーゼは私の妹です。絶対に抱くことはありません。アンドレアスも殺させません』
『ジークフリート、この欠陥品が……』
『欠陥品、大いに結構。このようなことで父上に認められたくはありませんからな。……失礼します』
殺気のこもった目で睨みつけ、ジークフリートは父の部屋を後にした。エリーゼがアンドレアスを殺すための刺客として育てられたなど信じたくなかったが、父がそんな嘘をつく必要はない。ならば二人の婚儀はどうあっても阻止するしかない。
それにはまずエリーゼに、父の命令に従わないよう言い聞かせなければならない。
あるいはジークフリートにあんな真似をしたのも、婚約者を殺せと命じられたことが重荷になり、心をゆがめてしまったせいかも――いや、きっとそうだ。そうにちがいない。
半ば祈るような気持ちで自室に戻り、ジークフリートは立ち尽くす。
ジークフリートの寝台の端に、エリーゼが腰かけていた。首筋に抜き身の短剣を押し当てて。蜂蜜色の双眸を夢見るように潤ませて。
『わたくしは本気よ、おにいさま』
『……エリーゼ……』
『わたくしの愛しいお方はおにいさまだけ。……愛しているわ、おにいさま。いつまでも……いつまでも』
『やめろ……!』
制止は間に合わなかった。
うっとりと微笑んだまま、エリーゼは首筋をかき切った。




