103・転生ものぐさ皇妃と緑色の眼をした怪物
「次の分かれ道を右です。その次はまっすぐ」
ガートルードの指示に従い、一行は狭い通路を進んでいく。
今のところ魔獣とは一度も遭遇しておらず、魔沼も湧いていないが、誰も気を抜かない。時折足元に響く揺れが、少しずつ大きくなっていくから。
「我が女王」
「……っ!」
通路に入ってから一番大きな揺れに足を取られかけたガートルードを、背後からモルガンが素早く支えてくれた。揺れはすぐにおさまらず、一行はしばしその場に立ち止まる。
「……ずいぶん大きかったですね。大事ありませんか、ヴォルフラム殿下、皇妃殿下」
ようやく震動を感じなくなると、リュディガーが年少組を案じた。ヴォルフラムはちらりとモルガンを悔しそうに見やり、頷く。
「私は大丈夫だ。……皇妃殿下は?」
「ブラックモア卿が支えてくれましたから平気です。ありがとう、ブラックモア卿」
「当然のことをしたまでにございます。さあ、お気をつけて」
そっと立たせてくれるモルガンを、ヴォルフラムはほんの少しだけ面白くなさそうに見つめている。どうしたんだろうと首を傾げ、ガートルードはすぐに合点した。
(ヴォルフラム殿下、自分がブラックモア卿に支えて欲しかったのね)
どんなに大人びていてもヴォルフラムも三歳児だ。父親でもおかしくない年齢のモルガンに、頼りたいと思うのは当然……などとヴォルフラムが聞いたら『どうしてそうなるんだ!?』と頭を抱えそうなことを考え、勝手に納得する。
「また大きな揺れが来ないうちに、急ぎましょう」
リュディガーに異議のある者などおらず、一行は再び通路を進んでいった。
幸いにもさっきほど大きな揺れは襲ってこず、とうとう覚えのある階段にたどり着く。
「……この階段を下りた先の扉をくぐれば、皇帝廟です。どうか皆、用心してください」
ガートルードが忠告すると、他の三人は真剣な面持ちで頷いた。リュディガーを先頭に、大人二人がやっと並べる狭さの階段を下りてゆく。四人分の足音が異様なまでに静かな空間にこだまする。
この階段を超アンドレアスに導かれ、レシェフモートと共に下りたのはほんの少し前のことだ。こんな事態が起きるなんて、あの時は思いもしなかった。
(でも超アンドレアスは、きっとあの時、もうわかっていたのよね)
自分の命が長くないことを。
だからこそレシェフモートに制裁されるのも覚悟で、ガートルードに助けを求めたのだ。そして今も、少しでも長く初代皇帝を捕らえておくため、必死に生き延びようとしている……。
現れた重厚な扉の前で、リュディガーが肩越しに指示する。
「まずは私が。両殿下は私が安全を確認するまで動かないでください。ブラックモア卿、後方の警戒をお願いします」
「心得ました」
モルガンと共に、ヴォルフラムとガートルードも頷いた。最悪、扉を開けたとたん魔獣の群れがあふれ出し……などという事態もありうるのだ。
モルガンの発動した風の防壁が淡い光を帯び、ヴォルフラムとガートルードを包むのを確認してから、リュディガーは扉を押し開けた。ごくり、と誰かが息を呑む音が響く。
ガートルードも全身に緊張をみなぎらせていたが、現れた空間――歴代皇帝の眠る廟は、超アンドレアスに連れてこられた時と少しも変わらなかった。奥の祭壇に安置された『不朽の屍櫃』も、左右に安置された五つの棺も、神聖な空間でありながらまがまがしい空気まで。
「魔獣の気配はありません。お入りください」
先行して安全を確認したリュディガーが戻ってくる。一行は再び年少組を大人が挟む体勢になり、祭壇に向かった。ここからがガートルードの出番だ。
「これが『不朽の屍櫃』です。中に収めたものはありとあらゆる変化から守られ、取り出されない限り永遠に同じ状態を保ち続ける。超アンドレアス陛下はそうおっしゃっていました」
「これが……」
ヴォルフラムが唸り、リュディガーとモルガンも驚嘆の眼差しを棺に注ぐ。どちらも一流の魔法使いだ。棺から放たれる異質な魔力を感じ取ったのかもしれない。
「少し、離れていてください」
ガートルードは腕を伸ばし、祭壇に嵌め込まれた大粒の翡翠に触れた。そこを起点に複雑な網目状の光が走り、がこん、と棺のすぐ横の壁がせり出てくる。
「……ご?」
現れたおむすび型のころんとしたフォルムのそれに、ヴォルフラムが背後でなにかを小さくつぶやいた。
(ヴォルフラム殿下……今、『林檎』って言った?)
ガートルードははっとして、そんなわけない、とすぐさま思い直す。前世、ガートルードの同世代なら知らない者はいないほど有名だったアイテムとシンボルマークだが、この世界で知る者はガートルードだけだ。ただの聞き間違いだろう。
「我が女王、これはなんなのでしょう?」
モルガンが興味津々で質問してくる。
「これは『不朽の屍櫃』を開けるための、端末……いえ、鍵のようなものです」
「鍵、ですか。これが……」
まじまじと見つめるリュディガーは不思議そうではあっても、驚いてはいない。帝国への道中、『不朽の屍櫃』と同じくアダマン王国時代から伝わるという魔法道具を使いこなしていたから、この手のものには馴染みがあるのかもしれない。
「『起動せよ』」
ガートルードが手をかざしながら唱えると、モニターがぱっと点灯し、手前にキーボードが出現した。くるくると何度か白い円が回転した後、切り替わった画面に懐かしい日本語が表示される。
『現在、不朽の屍櫃は封印中です。解除するにはパスワードを入力してください』
「……これは、なんと書いてあるのですか?」
隣に並んだヴォルフラムが画面を覗き込む。
「ええと、『不朽の屍櫃』の封印を解くには、パス……暗号を入力しろ、と」
「皇妃殿下はこの文字が読めるのですか? 私はこちらでは初めて見る文字ですが」
「え、ええ。その、超アンドレアス陛下に教えて頂いて」
なぜだろう、ヴォルフラムはごく普通に質問しているだけなのに、とんでもない圧迫面接を受けているような気分になるのは。
「……で、では、暗号を入力しますね」
キーボードを操作する手に、ヴォルフラムの視線がじっと絡みつく。一挙手一投足を見逃さないぞ、とばかりのそれに内心ヒイイと悲鳴を上げながら、超アンドレアスの前で設定したパスワードを一文字ずつ入力していく。
『3』
ごくん。
息を呑む音が聞こえ。
『A』
小さな身体は震え。
『1』
わななく手が伸びてきて。
『7』
ぐっ、と肩を掴まれる。
「……やっぱり、君だった……」
「ヴォ、ヴォルフラム殿下?」
翡翠色の瞳が、きらきら……いや、ぎらぎらと輝いている。およそ三歳児が、否、皇子様だろうと皇帝だろうと、人間なら絶対にしてはいけない表情に、ガートルードは震え上がった。
緑色の眼をした怪物。
前世の知識が脳裏をかすめる。
この時、ガートルードはまだ知らなかった。
前世の神部薫――そのパーフェクトぶりから『完璧くん』と呼ばれていた同級生が、櫻井佳那の出席番号はもちろん、生年月日からその日の友人たちとのおしゃべりの内容まで、逐一記憶していたことを。
「殿下、どうなさったのです?」
「殿下、我が女王に無体は……」
リュディガーとモルガンも異変を察知して注意するが、ヴォルフラムは振り返りもせず、ただひたすらガートルードだけを見つめている。
(な、な、なんで?)
おののいたガートルードの指がキーボードのエンターキーを押し込んだ瞬間、『不朽の屍櫃』の蓋がごとんと大きな音をたてた。




