95・重なりゆく真実(第三者視点)
――また、間に合わなかったのか?
かたくまぶたを閉ざした幼い顔に、たくさんの花々が敷き詰められた棺に横たわる、もの言わぬ遺体のそれが重なりそうになる。
(……違う!)
ヴォルフラムは首を振った。
情けない自分は……かつての神部薫は、苦労しかせず亡くなった彼女と最期に顔を合わせる度胸すらなかった。彼女がどんな顔で旅立ったのか、知らないまま自分も命を終えた。
だから、ガートルードが死ぬわけがない。
必死に己に言い聞かせながら見れば、ガートルードの細い胸元はゆっくりと上下していた。……生きている。呼吸をしている。当たり前の事実に、凍りついていた四肢が溶かされていく。
「……では皇妃殿下は、こちらに戻られて間もなく倒れられたと」
「はい。神使様は宮殿の崩壊を防ぐために全力を投じられており、打つ手のない状態です」
同時にリュディガーとモルガンの会話も聞こえてきた。突然駆け込んできた皇子一行に、女騎士のエルマと侍女ロッテは『皇妃殿下を捕らえるつもりでは』と警戒をあらわにしたが、モルガンが冷静に対応してくれたおかげで事なきを得たのだ。
リュディガーはガートルード一行が大舞踏会から去って以降の状況を、モルガンは逆に自分たちが皇妃の宮殿に帰還してからの状況を説明した。おかげで互いの欠けていた情報が補われ、ぼやけていた真実がくっきりと浮かび上がってくる。
(彼女も、皇帝陛下が別人だと思っていたのか)
しかもレシェフモートはアンドレアスがモルガンの放った魔法を増幅させ、さらにコンスタンツェをかばった時は異なる魔力で障壁を発動させた、と証言したそうだ。
これでアンドレアスの肉体の中に、本来のアンドレアス……ガートルードが『超アンドレアス』と呼ぶ本来のアンドレアスと、もう一人の魂が存在することは確定した。
(……なんで『超』アンドレアスなんだろう?)
小さな疑問よりも、重大なのはアンドレアスの肉体にひそむ『もう一人』だ。
ガートルードの経験からして、彼女を皇帝廟へ伴い、『不朽の屍櫃』の暗号を設定させたのは超アンドレアスだ。ガートルードはその時、いつものアンドレアスとは別人のようだと思ったという。
加えてリュディガーの証言だ。コンスタンツェを皇后に選んだ時から――すなわち即位間もないころから、アンドレアスの肉体は『もう一人』に支配されていた。そう考えるべきだろう。
超アンドレアスの意識はほぼ完全に『もう一人』によって抑え込まれていたが、ヴォルフラムが知る限り二度、その支配から脱し『もう一人』の意に反する行動を取った。
一度目は、ガートルードを皇帝廟へ導いた時。
二度目はコンスタンツェをかばい、障壁を発動させた時。つまり今日。
ヴォルフラムとガートルードを皇帝廟へ向かわせ、『不朽の屍櫃』を開けさせるために、超アンドレアスは『もう一人』の支配から抜け出した。おそらくは大きな犠牲を払って。
『……父が生きていられるうちに、皇妃と共に、皇帝廟へ、向かえ』
超アンドレアスの言葉を思い出し、ヴォルフラムははっとする。
「……急がなければ、手遅れになる」
つぶやいたヴォルフラムに全員の視線が集中した。背後に控えるヘルマンがびくっとする気配を感じながら、ヴォルフラムは冷静に説明する。
「たぶん、皇帝陛下の身体を支配していた『もう一人』は、皇帝陛下がさく、……皇妃殿下を皇帝廟へ連れて行かれたことを知らないのだと思われる。なぜなら……」
「……もし知っていたら、皇帝廟を破壊してでも皇帝陛下の計画を阻止したはずだから、ですね」
指先で顎をなぞりながら言うモルガンにヴォルフラムが頷くと、リュディガーが痛ましそうに眉を寄せる。
「皇妃殿下を殺めるのが、最も確実な手段ではありました。……もしも皇妃殿下が女神の愛し子であられなかったら、今ごろ、お命はなかったかもしれません」
リュディガー、モルガン、エルマ、ロッテ、ヘルマン。狼蜘蛛姿のレシェフモート。
この場に居合わせたすべての者……ガートルードに思いを寄せる者たちが、『もう一人』に怒りを燃え上がらせる。ヴォルフラムは懐かしさを覚えた。かつての彼女もあまたの友人に囲まれていたから。
「理由はわからないが、皇帝陛下は『もう一人』の行動を把握しており、『もう一人』は皇帝陛下の行動に気づかなかった。……皇帝陛下は、唯一と言っていいその利点を最大限に活用した」
ヴォルフラムはさらに続ける。
『もう一人』はなんらかの目的のため、超アンドレアスの肉体を支配した。その肉体を今になって死なせるのは、目的を達成したから。そして、次に乗り移るための肉体を確保したからではないか――。
「……次に乗り移る、肉体……」
エルマがぶるりと身を震わせた。背中をさすってやるロッテの顔色も悪い。
「『もう一人』は皇帝陛下の即位から長い時をかけて目的達成のために動いてきた、非常に用意周到な人物です。実体がないのなら、次の宿主くらい確保しておくでしょうね」
モルガンはさすがに冷静だった。
貴公子然とした顔に懸念をにじませるのはリュディガーだ。
「では『もう一人』はすでに、新たな肉体に乗り移ってしまったと?」
「いや、その可能性は低い」
もし『もう一人』が新たな肉体に乗り移っていたなら、ヴォルフラムとリュディガーをむざむざここまでたどり着かせはしなかったはずだ。
それに。
「自分が生きていられるうちに皇帝廟へ向かえ、と皇帝陛下はおっしゃった。つまり『もう一人』は皇帝陛下が……陛下の肉体が死なぬ限り、陛下の肉体を離れられないのだと私は思う」
「っ……、アンドレアス様……」
リュディガーが悲痛に顔をゆがめ、他の面々も悲しみをにじませる。みな、理解したのだ。超アンドレアスが一秒でも長く生き延びることで『もう一人』を我が身に封じ込め、ヴォルフラムたちが皇帝廟までたどり着くための時間を稼ごうとしていることを。文字通り、必死の覚悟で。
そうまでしてたどり着かせたい皇帝廟へ、なんとしてでもヴォルフラムは赴かなければならない。ガートルードと共に。
だが、ガートルードは――。
「……け、たい……」
ぴくりともしなかったガートルードの唇がかすかに動いた時だった。ドゴオォォォン、と地の底から不可視のエネルギーが巨大な矢のごとく放たれたのは。
(……地震だ! 大きいのが来る……!)
前世で甚大な被害を出した巨大地震を経験しているヴォルフラムは、とっさに踏ん張ろうとした。だが地盤を激しく揺さぶり、引き裂くはずのエネルギーは寸前で散らされてしまう。
「グオオオォンッ!」
レシェフモートの咆哮によって。
(なんて魔力だ……)
狼蜘蛛の全身からほとばしる魔力が地下に吸い込まれ、地盤を打ち砕こうとするエネルギーを相殺している。
前世で地震の恐ろしさを体験し、刷り込まれたヴォルフラムだからこそ、レシェフモートのすさまじさがわかってしまう。天変地異を抑え込んでしまうなんて、もはやレシェフモートは神使……神の使いではなく、神そのものに近いのではないか。
だがそのレシェフモートをもってしても、ガートルードを救えない。
「オォォオオオオオン……ッ……」
魔力を放出しながらも、レシェフモートの金色の双眸はずっとガートルードに向けられている。ヴォルフラムたちなど眼中にないかもしれない。
愛しい人が苦しんでいるのに救えない。そのもどかしさと己の胸を引き裂いてやりたくなるほどのもどかしさは、ヴォルフラムにも……神部薫にも理解できる。
異世界から転生した魂と神使。
決してわかり合えないと思っていた存在に、ヴォルフラムは少しだけ親近感を覚えた。




