91・転生ものぐさ皇妃と二つの魂
リュディガー、ヴォルフラム、ヘルマンの一行が魔獣の群れを突破しながら進んでいるころ――。
「皇妃殿下」
「殿下……、冷たい水を持って参りました。召し上がれますか」
「我が女王……、おいたわしい……」
ガートルードは長椅子に横たわり、エルマとロッテ、モルガンに囲まれていた。エルマは今にも泣き出しそうに顔をゆがめ、ロッテは衣服をゆるめたり楽な姿勢を取らせてくれたり、モルガンは風魔法で心地よい涼風を送り出してくれるが、ガートルードにありがとうとお礼を告げる余裕はない。
「……、う……」
できるのは薄目を開け、小さく呻くくらいだ。頭蓋骨がばらばらにならないのが不思議なほどの激痛が、絶え間なく襲ってくるせいで。
これでもだいぶ、楽になったのだが。
(レシェ……)
こんな時、ガートルードを抱き込んで離さないはずのレシェフモートは部屋の中央に陣取り、魔力を発散し続けている。狼蜘蛛の姿で、狼の顔を苦悶にゆがめながら。
(……レシェがつらそうなところなんて、初めて見た)
レシェフモートが発散する魔力は蜘蛛の巣のごとく張り巡らされ、皇妃の宮殿を支えている。一瞬でも魔力が途切れれば、宮殿は倒壊してしまうだろう。地の底から突き上げてくる衝撃によって。
『来るな』
また、ガートルードの脳内にあの声が響く。脳細胞をひとつひとつ念入りに潰されるような痛みと共に。
『来るな、……私はもう、貴様には縛られぬ!』
溺れながら藁をも掴み、這い上がろうとするかのような声は、ここしばらくずっと聞こえていた艶めかしい男――どこかで生まれたという、新たな魔獣の王のもの。
『放さない』
そして。
『逃がさない放さない逃がさない放さないいいいいイイイイイイい』
怨念にまみれた女の声が追いかけてくる。
新たな魔獣の王はこの女に捕らわれ、束縛から逃れようともがいているのだ。女は逃すまいと必死だが、女の束縛はどういうわけかだんだん弱まっている。
魔獣の王はその機に乗じ、解放されようとしている。彼がもがき、あがくたび地底から大地ごと崩壊しそうな衝撃が突き上げ、レシェフモートの魔力によってかろうじて相殺される。
(……どうして、こんな、ことに)
軋む脳を、ガートルードはのろのろと回転させる。なにか考えていないと、痛みに食いつくされてしまいそうで。
ほんの少し前までは、張り詰めてはいたものの、危険とは無縁の空気が流れていたはずなのだ。皇妃の宮殿には。
『私はモルガン・ブラックモア。我が女王のおみ足にひざまずく下僕にございます』
晴れやかな笑顔で断言したモルガンに、最初、エルマとロッテは揃って変質者を見るような視線を突き刺していた。前世なら『お巡りさん、こいつです』とか言い出しかねない表情で。
しかし中の宮殿での一連の事件について説明されてから、少しずつ変わっていった。モルガンの説明が理路整然として高い知性と気品を感じさせるから、というのも大きいが、なにより。
『絶望し、死の闇に沈みゆくばかりだった私を、我が女王は輝かしいそのおみ足で救ってくださいました。海のごとく果てのない慈悲、慈愛、温もりに包まれ、私は悟ったのです。ガートルード殿下こそ我が女王。このおみ足にひざまずくため、私は生まれてきたのだと』
『うっ……、うぅっ……、良がっだ、良がっだでずねええ』
『……(コクリ)』
エルマはすっかりモルガンの身の上に同情して涙を流し、ロッテは無表情ながらも何度も頷く。頼みの綱のレシェフモートもガートルードを抱いたまま『良きにはからえ』状態で、突っ込み役は相変わらず不在。
(腹が立って踏んづけただけなんですけど! 慈悲も慈愛も温もりもありませんけど! 皇妃であって女王なんかじゃありませんけど!)
突っ込み役続投を余儀なくされたガートルードは、脳内で突っ込みまくる。
(女王はクローディアお姉様だって言ってるのに……はっ! もしかして女王って、おみ足的な意味? 『踏んでください女王様』ってこと?)
鞭をびしばし振るい、高笑いしながらハイヒールでぐりぐりとモルガンを踏みつける自分の姿が思い浮かんでしまい、ガートルードは青ざめる。
(いやぁぁぁぁ! お巡りさん、こいつです!)
思わず脳内お巡りさんに助けを求めれば、モルガンが至福の笑みを向けてくる。
『我が女王、私は領地では犯罪者の取り締まり及び捕縛の指揮も執っておりました。我が女王にはいかなる不埒者も近づけさせません』
(ぎゃあぁぁぁぁ! こいつお巡りさんです!)
脳内お巡りさんの姿が警察官の制服をまとったモルガンに変化し、ガートルードは頭を抱えた。やっぱりあの場に置いてくるべきだったのでは、などと非人道的な考えがよぎる。
『……それにしても』
エルマが涙を拭き、首を傾げた。
『おみ足、いえ、ブラックモア卿のお話をかんがみると、まるで皇帝陛下はブラックモア卿に殺されるため、皇后陛下をかばわれたようですね。突風の魔法を風刃に変化させて……』
『……ですが、他人の放った魔法に干渉するのは、魔力の精密操作に優れた高位魔法使いでなければ不可能です。皇帝陛下は魔力量こそ多くても、フォルトナー卿と違い、魔法使いとしてそこまで優れたお方ではなかったはず』
ロッテも思案顔で頷く。下級とはいえ貴族出身なので、魔法についての知識は一通り備えているようだ。
『あの時、下僕の放った魔法に干渉したのは間違いなく皇帝です』
黙っていたレシェフモートが口を挟んだ。
『レシェ、それは本当?』
『はい、我が女神。騎士の推測通り、あの皇帝は死ぬつもりで下僕の魔法を増幅させ、我が身に受けたのだと思われます。……ただ、それにしては妙な点もございます』
『妙な点?』
レシェフモートが言うには、増幅させた魔法を受けた瞬間、アンドレアスは魔力の障壁を展開させたのだという。
防御魔法としては強度も精度もあまり高くはない。だがその防御魔法にわずかながらも風刃の威力が相殺され、さらにヴォルフラムが治癒魔法をかけたことにより、アンドレアスはかろうじて即死を免れた。
『おかしいですね。死ぬつもりで飛び込んできたのに、防御の魔法を使うなど矛盾しています』
モルガンが眉をひそめる。
『いえ……そもそも皇帝はなぜ、あのような行動に出たのでしょうか。皇后は私が我が女王を新たな皇后に立てるため、自分とヴォルフラム皇子を廃するつもりだと本気で信じ込んでいました。だから私を殺そうとしたのでしょうが、私に殺されたように見せかけて死ぬのが皇帝の目的だったのなら、皇后のあの行動さえ皇帝が手引きしていたことになります』
『……つまり、ブラックモア卿が皇后陛下とヴォルフラム殿下を廃してわたしを皇后にするつもりだと、皇帝陛下自身が皇后陛下に吹き込んだ……?』
次々出てくる情報を整理しながら問えば、モルガンは首肯してくれたが、ガートルードはますます混乱してしまう。
そうまでして公衆の面前でモルガンに殺されようとしたのに、防御の魔法を発動させたアンドレアス。
死の瀬戸際になってとっさに身を守ってしまったのだろうか。コンスタンツェを騙してまで凶行に走らせたのは、モルガンを皇帝殺害の犯人に仕立てるためだった?
『……下僕の魔法を増幅させた魔力と、防御の魔法を発動させた魔力は別人のものでした』
レシェフモートが記憶をたぐりながらつぶやいた。モルガンが藍色の目を見開く。
『それは確かですか、神使様』
『非常によく似てはいるが、別人だ。間違いない』
モルガンのみならずエルマも、ロッテも驚愕をにじませた。それもそのはず。魔力は魂に刻まれるものだ。たとえ一卵性の双子でも同じ魔力にはならないし、一生変化することもない。
なのにアンドレアスが異なる魔力を行使した、ということは。
『……皇帝の中に、二つの魂が存在するということですか……?』




