87・思いがけぬ同行者(第三者視点)
たどり着いたヴォルフラムの部屋で待っていたのは、従者ヨナタンだけではなかった。
「お待ちしておりました、殿下」
「アッヘンヴァル侯爵? ……それに、ヘルマンも?」
武人らしく機敏に礼をするアッヘンヴァル侯爵と、その背後で膨れっ面をするヘルマンに、ヴォルフラムは目を丸くした。
アッヘンヴァル侯爵は夫婦で大舞踏会に招かれていたはずだが、どうして夫の侯爵だけがこんなところにいるのか。ガートルードへの無礼の罰として、大舞踏会への参加は許されず、自室で謹慎中のヘルマンと共に。
「妻アーデルハイトは中の宮殿二階に残して参りました。あれもかつては自ら剣を取った身にして、武人の妻。己の身を守ることくらいはできましょう」
アッヘンヴァル侯爵は単身、中の宮殿を突破して来たのだという。途中、ヘルマンの部屋に寄り、ここまで引きずってきたのだ。
ヴォルフラムはもちろん、リュディガーまでも驚き呆れてしまった。孫のいる歳で、よくもまあ魔獣の群れを突っ切れたものだ。
「申し訳ありません、ヴォルフラム様。勝手に通してしまって……」
「非常事態だ。構わない」
面目なさげなヨナタンに、ヴォルフラムは首を振った。伯爵子息に過ぎないヨナタンでは、現役の武闘派侯爵を追い返すなど無理な話である。
「それで侯爵、なんの用だろうか。私とフォルトナー卿はすぐ出立しなければならないゆえ、手短に願いたい」
「どちらへ行かれるのですかな?」
「答えられない。皇帝陛下のご命令だ」
わずかに目を見張っただけでそれ以上なにも問わなかったのは、侯爵が武人たるゆえんか。『まだ生きていたのか!?』と大声を上げるヘルマンとは大違いだ。
「馬鹿者!」
「ひっ……!」
アッヘンヴァル侯爵がヘルマンの脳天目掛け拳を振り下ろそうとする。慌てるヴォルフラムの目配せを受け、素早く動いたリュディガーが侯爵の腕をすんでのところで掴んだ。
「む……」
「落ち着いてください、侯爵。皇子殿下の御前です」
はあ、と息を吐いたアッヘンヴァル侯爵が力を抜いたのを見て取り、リュディガーは腕を解放した。
ヴォルフラムもほっとする。こちらの世界では当然のように子どもへの体罰が行われているが、見ていて気分のいいものではないし、成長途中の子どもへの暴力は医師としても避けたい。
「皇子殿下に感謝せよ、ヘルマン」
「…………」
ヘルマンは祖父に促され、頭を下げるが、その顔には『不本意です』とくっきり刻まれていた。アッヘンヴァル侯爵も、リュディガーさえも眉をひそめるが、改める気配はない。ある意味、大物かもしれない。
ヴォルフラムの小姓――明確に下の立場として仕え始めたヘルマンだが、傲慢な態度は改善されたとは言いがたい。うわべこそうやうやしく振る舞っていても、こちらを下に見ていることは伝わってくるものだ。
アッヘンヴァル侯爵によれば、ヘルマンは母ティアナから『貴方は皇太子になるのよ』と言い聞かされ、ヴォルフラムの……欠陥品皇子の悪口ばかり吹き込まれて育ったらしい。皇太子になるはずだった自分がなぜ欠陥品皇子に仕えなければならないのか、と不満をつのらせているのだろう。こんな事態になっても。
苛立たないわけではない。お前のしでかしたことのためにどれだけの人間が振り回されたのか、その首がまだつながっているのは誰のおかげなのかと説教してやりたくもなる。
そうしないのは、ヘルマンがまだ周囲の影響をもろに受けやすい子どもだからだ。ヨナタンには『ヴォルフラム様の方がもっと子どもなんですが……』と微妙な顔をされてしまったが、まだ六歳では、責められるべきは育てた親の方だろう。責めたところで、ヘルマンではまだ己の罪深さを理解できまい。
何年かかけ、ゆっくり理解させていく。むろんシルヴァーナとの交渉いかんによっては、その前に身柄を引き渡されてしまう恐れもあるけれど。
そう考えていたのだが、もはやヘルマンの矯正どころではない事態に陥ってしまった。ヘルマンに時間を割く余裕はない。一刻も早くここを出て、そして。
(櫻井さん……)
「殿下。皇帝陛下のご命令に、どうかこのヘルマンも伴って頂きとうございます」
会いたくてたまらない少女を思い浮かべた時、アッヘンヴァル侯爵が予想外の申し出をしてきた。ヘルマンも初耳だったのか、目を見開いている。
「お祖父様!? なぜ俺が……」
「黙れ、ヘルマン」
アッヘンヴァル侯爵は鷹のように鋭くヘルマンを睨んだ。
「お前に発言を許した覚えはない」
「お、お祖父様」
「『侯爵閣下』だ。今のお前は我が孫ではなく、ヴォルフラム殿下の小姓なのだからな」
畏縮するヘルマンにそれ以上なにも言わず、アッヘンヴァル侯爵はリュディガーに顔を向ける。
「いかがだろう、フォルトナー卿」
「……魔獣どもに遭遇すれば、私はヴォルフラム殿下を最優先でお守りします。ヘルマンまで守る余裕はないかもしれません」
「構わん。小姓とは主君に近侍し、我が身を盾としてお守りする存在であり、守られる存在ではない。いざという時には見捨ててくれて結構」
「そんなっ……」
ヘルマンは悲鳴を上げかけ、アッヘンヴァル侯爵に睨まれて慌てて口を閉ざした。ヴォルフラムすら哀れになるほど青ざめてしまった少年に、武人二人は一瞥もくれない。
「それは、アッヘンヴァル侯爵家として、ヘルマンの身柄の扱いを私とヴォルフラム殿下に一任するという意味ですか?」
「そうだ、フォルトナー卿。我が家名だけで足りなければ、我が恩人であられるガートルード皇妃の御名にかけて誓おう。ヘルマンがどうなろうと、一切抗議せぬと」
リュディガーとアッヘンヴァル侯爵のやりとりの意味は、前世の知識と経験を持つヴォルフラムでも正確には理解できなかった。いや、前世の知識と経験を持つからこそか。
ここにいる者は、まだ新皇帝が偽りの即位を果たしたことを知らない。したがってアッヘンヴァル侯爵もリュディガーも、次の帝位をめぐり、ヴォルフラムの対抗馬としてヘルマンを担ぐ貴族一派が出る可能性を危ぶんでいた。
アッヘンヴァル侯爵が『ヘルマンがどうなろうと一切抗議しない』と言ったのは、『どうしても邪魔だと判断すれば、魔獣に襲われたことにして始末してくれても構わない』という意味だ。それに対しリュディガーは『その判断は自分とヴォルフラムに任されるのだな? アッヘンヴァル侯爵家が口出しすることはないだろうな?』と念を押し、侯爵はガートルードの名にかけて口出しはしないと断言した。
人命の重さを教え込まれ、命を助けることを務めとしてきたかつての医師にはない発想だったのだ。ヘルマンがショックを受けているのは、言葉通り、魔獣に囲まれれば見捨てられると受け取ったからだが。
「ど、どうして俺が!?」
「恥を忍んで頼む、フォルトナー卿。この愚かな孫に、最後の機会を与えて欲しい」
叫ぶヘルマンを無視し、アッヘンヴァル侯爵は頭を下げた。はっとするヴォルフラムの横で、リュディガーが息を吐く。
「……顔を上げてください、侯爵閣下。ヘルマンの愚行には、妹ティアナを更正させられなかった私にも責はあると思っております」
「それでは……」
「ヘルマンを連れて行きましょう。……ヴォルフラム殿下がお許しくだされば、ですが」
侯爵とリュディガーが揃ってヴォルフラムを見る。嫌だ、どうして、とわめくヘルマンには一顧だにしない。
『頼む、断ってくれ!』
ヘルマンの茶色の瞳が懇願する。
ヴォルフラムとて、あからさまに自分を馬鹿にする人間をわざわざ伴いたくはない。こんな緊急事態ならなおさらだ。
だが、侯爵とリュディガーがここまで望むからには、これがヘルマンに与えられる最後のチャンスであることは確かだ。それでもなお腐ったままなら本人の責任だが、大人としてチャンスだけは与えてやらなければならないだろう。
「……二人がそこまで言うのなら、是非もありません」
頷いたヴォルフラムに大人二人は安堵し、ヘルマンは膝から崩れ落ちた。




