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1-7.己の魂が傷つくことを恐れるな

 旦那さまのお説教がはじまるにちがいない。

 ギルは悲しそうに目を伏せる。


「ただちに【結界】を張りなさい」

「え? ここで? 今? ですか?」


 呆けた顔でギルが問い直す。


 ここは、宿屋の屋根の上。


 このような場所で【結界】の魔法を使うと、屋根が……宿屋がどうなるかわからない。


 見様見真似で覚えた成功率の低い【結界】魔法を発動してよいのか、ギルに迷いが生じる。


 魔法の発動に失敗した惨状を旦那さまは見たことがないから言えるのだろう。とギルは思った。


「気にするな」

「い、いや……」


 旦那さまはさらりと言ってのけたが、それは気にするところだ。


「仮に、結界が失敗して、屋根に大穴が空いてしまったとしても、結果として宿屋が崩壊してしまったとしても、わたしが責任を持って後始末をする。だから、安心して、全力でやりなさい」

「……あ、あの……旦那さま?」


 宿屋には自分たちの他にも、従業員や宿泊客もいる。それはどうなるのだろうか。


「できないのか? フィリアを護るためにはギルの【結界】が必要なのだが、できないのなら、仕方がないな」

「できます! やります! やってみせます!」


 そう答えると、ギルは己の剣を抜き払い、迷うことなく剣先を屋根の上に突き刺す。


 そして、ブツブツと口の中で祈りの言葉を唱え始めた。


 ギルの足元が輝き出したのを見届けると、旦那さまはフィリアの方へと向き直った。


 手にしていた銀色の錫杖の先を、フィリアの額に当てる。


 チリっとかすかな痛みが額に走り、フィリアは反射的に目を閉じた。


「フィリアよ、ただ感情に流され、魂の片割れと共に堕ちることは許さぬ。堕ちるな。流されるな」


 錫杖の先端がじんわりと熱をもっているのが感じられた。


 旦那さまの言葉はまだまだつづいた。


「おまえの片割れの痛み、苦しみを真正面から受け止めるのだ。逃げるな。ただ、淡々と。それがどのようなものであっても、どんなに残酷なものであっても、心をしっかり保て」

「わかりました」

「決して、取り乱すな。狼狽えるな。己の魂が傷つくことを恐れるな。おまえの魂が頑強であれば、あるほど、片割れの魂が負うであろう傷も少しは減らせる」


 荘厳な響きを秘めた旦那さまの言葉に、フィリアは軽く身震いする。


「安心しろ。魂の片割れの身柄を護れる者は、すでに側にいる。そして、救い出すことができる者もすぐ側にまで迫っている。だが『魂』を護ることができるのは、同じ『魂』を持つ、おまえしかいない」

「ぼくの魂の片割れは助かるのですか?」


 少年の問いに「ちがう」と旦那さまは首をゆっくりと左右に振る。


「フィリア、おまえが魂の片割れを助けなければならないんだよ。助けるのはお前だ」

「はい。わかりました」

「ただ……受け止めるだけでいい」

「わかりました」



これだけは……奪われてはいけない


 フィリアは屋根の上にあぐらを組んで座りなおすと、呼吸を整え気持ちを落ち着かせる。


 これからどうすればよいのか、なにがおこるのかは、フィリアにはわからない。


 ただ、余計なことは考えず、魂の片割れのことだけを想い、じっと、その瞬間がくるのを待つ。


 フィリアはそれだけを考えていた。


 つっかえつつもギルの詠唱がなんとか終わり、【結界】が完成した。


 ギルを中心として光の半球が出現し、その中に旦那さまとフィリアがふくまれる。


 本人は失敗を恐れていたようだが、旦那さまがつくる【結界】よりも堅牢で美しい、とフィリアは思った。


「見た目は完璧だな。さて、それで、強度はどうかな?」


 暗闇の中にできあがった光り輝くドーム型の結界を眺めやると、旦那さまは珍しく意地の悪い笑みを浮かべた。

 しかし、すぐに真顔に戻ると、虚空を睨みつける。


「くるぞ!」


 叫ぶと同時に、旦那さまは結界の中心で錫杖を天に向かって掲げる。


 錫杖が高らかな音色を発し、銀色の光線が周囲に放たれる。


 その瞬間、世界が激しく揺れ動き、フィリアは屋根の上に倒れ込んだ。


 薄れゆく意識の中、フィリアは「ちがった」と呟く。


 世界は揺れていない。


 世界は恐ろしいくらいの静寂に包まれている。


 激しく揺れ動いたのは世界ではなく、フィリアの魂だった。


 少しの間をおいて、フィリアの魂に向けて、引き千切られるような衝撃が伝わってくる。


「――――!」


 空気が激変するのをフィリアは感じていた。


 全身を駆け巡る激痛に、声なき悲鳴がフィリアの口からほとばしる。


 誰かがフィリアの名を呼んだが、なにも聞こえない。

 なにが起こっているのか、自分の身になにが起こったのかわからない。


 ただただ、粉々に砕け散りそうになる魂を必死に繋ぎ止めることしかできない。


 薄れゆく意識の先……。


 はるか遠くに小さな光が見えた。


 その光を喰らいつくそうとする、逆らってはいけない大きな存在がある。


 アレに飲み込まれたら、ひとたまりもないだろう。


 光は逃げようとしない。

 あまりにも巨大すぎる存在に抵抗する意志を奪われ、最後の一片までをもアレに捧げようとしている。


(だめだ――!)


 フィリアの声は光には届かない。

 力なきモノのあがきを嘲笑うかのように、闇が大きく膨れ上がった。


(間に合わないっ)


 絶望に身を震わせながらも、フィリアは光に向かって懸命に手を伸ばす。


(届け――っ!)

 

 フィリアの想いが通じたのか、一瞬だけ、真っ白な光が世界を貫いた。


 漆黒を純白に塗り替えた光に、闇は驚き、その拍子に隙が生じる。


 それはほんの瞬きの間。


 だが、フィリアの想いが光の元へと届くには十分すぎる時間だった。


 わずかに生じたほころびの隙間を縫って、フィリアは今にも消えてしまいそうな光の粒を拾い上げる。


 儚く脆い存在に触れると同時に、フィリアの大切な『なにか』が乾いた音をたてて砕け散った。


 時間と距離をゆがめ、魂の片割れに触れるための代償……対価を払わされた、とフィリアは瞬時に理解する。


 息する暇もなく、魂がズタズタに引き裂かれる痛みと苦しみに、フィリアの全身が硬直する。


 痛みに朦朧としながらも、フィリアは小さな光を己の懐に掻き抱いた。

 小さく、弱々しい存在に、フィリアの心が深い悲しみに震える。


 よく、消えてしまわずに、今のこの瞬間までがんばっていてくれた……と思わずにはいられない。


(こ、これだけは……奪われてはいけない。なにがなんでも、守り抜かないといけないものだ!)


 大事なものが奪われる感覚。

 魂の奥底まで蹂躙される嫌悪に、フィリアは必死に堪える。


 魂の片割れに代わって、自分がその痛みを代わりに引き受ける。


 巨大で圧倒的な力を秘めた闇が、ゆるゆるとフィリアの内側に触れてくる。

 人であるなら、決して触れてはならぬ闇の存在がそこにはあった。


 闇は久しぶりの自由と、珍しい玩具を手に入れ、悦び愉しんでいるようであった。


 圧倒的な力の差に怯えが走る。


 それはフィリアが感じたものなのか、魂の片割れのあきらめなのかわからない。


 なにかを引き換えにしなければ、ヒトではない、ヒトを超越したあの巨大な存在からは逃れられない。


 闇がフィリアの存在に気づき、フィリアが必死に護ろうとしているモノになみならぬ興味を持った。


 緊張で身を硬くするフィリアに、闇は嗤いながら取引を……対価を求めてくる。


 それは、諦めの悪い小さな存在を面白く思った、大きな存在の気まぐれだ。


 ならば……と、フィリアは迷うことなく、己に求められた『もの』をその存在へと差し出した。


 そうすることで、自分と、自分の魂の片割れが助かるのなら、それはとても安い取引だった……。





 フィリアが屋根の上に倒れ込んだ直後、ギルの【結界】が激しく輝き、悲しげな音をたてながら無惨にも粉々に砕け散った。


 【結界】が壊れたときの衝撃派をまともに浴びてしまい、ギルの皮膚に無数の切り傷ができる。


 うめき声をあげながらその場に跪くギルに旦那さまは「よくやった」と短く声をかける。


 さらに強い圧が三人にのしかかり、旦那さまが掲げていた錫杖が「ばきん」と乾いた音をたてて粉々に砕け散った。


 【結界】が破壊されたときよりも激しい衝撃が襲ってくる。


 ばしゃり、と濡れたような音がして、大量の鮮血が周囲に飛び散った。


「だ、旦那さま――っ!」


 ギルの絶叫が闇夜に吸い込まれる。

 フィリアの灯した魔法の灯りはいつのまにか消えており、ギルの作った【結界】が壊れ、微光を放っていた旦那さまの錫杖も砕け散ってしまった。

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