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1-6.半身。魂の片割れだ

 旦那さまの声は囁くほど小さなものだったが、はっきりとフィリアの耳に届き、心へと染み入っていく。


「は、ん、し、ん?」

「そうだ。半身。魂の片割れだ」

「魂の……かたわれ?」


 フィリアの心がわけもなく激しく揺さぶられた。

 痛みが遠のき、意識が一気に覚醒する。


「そうだ。あまりの苦しさに耐えかねたおまえの半身が、無意識のうちにおまえに助けを求めたのだろう。先ほどの痛みは、半身が負ったであろう『死よりも苦しい痛み』を、おまえが少しばかり肩代わりしたのだ」


 半身、魂の片割れ……。

 初めて聞く言葉に、フィリアはとまどいを隠せない。

 旦那さまの言葉の意味はよくわからない。


 今のこの痛みが『少しばかり』ということは、自分の半身とやらは今、どれほどの苦痛に苦しんでいるというのだろうか。


 叶うことなら、もっとその苦しみを肩代わり、いや、共に苦しみを分かち合い、半身の窮地を救いに行きたい。

 本能があらんかぎりに叫んでいた。


「落ち着け、フィリア」


 旦那さまの大きな手が、フィリアの肩におかれる。


「旦那さま……?」


 二年近く行動を共にしても、少年たちは依頼主の名を知らなかった。


 依頼主は『風任せの行商人』とふたりには名乗り、行く先々では違う名前を使っていた。


 その行動の意味と名前を尋ねると、依頼主は決まって面倒くさそうな顔をする。「長く生きすぎて、本当の名前を忘れた」だの「名などさして意味はないものだ」だの「好きに呼べばいい」という投げやりな言葉がその時々に応じて返ってくるだけだ。


 なので、フィリアとギルは彼のことを『旦那さま』と呼ぶことにした。


 装備がまだ整っていない駆け出しの冒険者たちを、行商人の使用人と勘違いする人が多かったからだ。


 だが、フィリアたちは依頼人の名前を知るのをあきらめたのではない。


 しっかりと依頼をこなし、依頼主の信頼を得ることができたら……一人前の冒険者として認めてもらえたら、名前を教えてくれるのではないか……とフィリアとギルは考え、その時は納得したのであった。


 フィリアたちの依頼主である行商人は、過酷な旅にも耐えてきただけあって、肌は日に焼けて小麦色をしており、体格は戦士のように鍛え抜かれて逞しかった。


 実際に野党や魔獣と戦ってみると、驚いたことに、依頼人はとても強かった。


 本当に護衛が必要なのか、自分たちが必要とされているのか、疑問に思うくらいに強かったのだ。


 旦那さまは、どこにでもいそうな、害のない平凡な大人。


 晴れた日の空のような青く透き通った旦那さまの瞳は、人を相手にする商売をしているだけあって、人好きがするような優しい光を宿していた。

 白いものが混じっている髪の色は銀色。

 髪は肩下あたりまで伸びており、飾り紐で無造作に後ろで一つに縛っている。


 いつも柔和な微笑を浮かべ、多弁でも寡黙でもなく、目を惹くような特徴があるようで、ないような……不思議な大人だった。


 風のようにふんわりとして、つかみどころのない依頼主が、いつもとは違って見えた。


 無精髭が剃られ、着ている服が日頃から身につけている旅装姿ではなく、初めて見る裾の長いローブ姿だったからかもしれない。

 手にしている銀色の錫杖も初めて見るものだったが、旦那さまの手にしっかりとなじんでいる。


 旦那さまの着ている服は、色鮮やかで派手なものではない。だが、裾や袖口、衿口には細かな刺繍が施され、上質な生地で仕立てられたものだというのがひとめでわかる。

 まとっているマントのような外套も魔力が込められた上等なもので、旦那さまの瞳と同じ鮮やかな青色だった。


 その威厳に満ちた別人のような姿に、一瞬だけフィリアは気後れしたものの、腹の底から大きな声をだす。


「落ち着つことなんてできません!」


 肩に置かれた手を振り払おうとするのだが、旦那さまの大きな手はピクリとも動かない。

 フィリアの涙に濡れた目に、怒りの感情が灯った。


 幼馴染みがものすごく怒っていることを感じ取ったギルは、気配を消してできるだけ両者を刺激させないように、静かに、ゆっくりと……後退して、フィリアとの距離をとった。


 後退した先には煙突があったので、その陰にこっそりと隠れる。


 今のフィリアは怒りの感情に支配されていた。

 なにに対して、誰に対して怒っているのか、本人にもよくわからないのだが、とにかく、怒りに我を忘れそうなくらい、フィリアは怒っていた。


 旦那さまの言うことが本当のことなら、ここ数日間の苛つき、嫌な気分の核となる部分は『恐怖』だ。

 フィリアの大事な魂の片割れが体験していた『恐怖』だ。


 それがわかったからには、じっとしていることなどできない。


 魂の片割れの名前も年齢も、それこそ性別もわからない。


 それでもなお、その存在はフィリアにとってとても大事な……地上のいかなる宝石よりも、至宝とよばれる宝よりも、価値があり、大切な存在である、と、フィリアの魂は感じ取っていた。


 フィリアの魂の片割れは、とても小さくてか弱い存在だ。今にも消えてしまいそうなのに、必死に助けを求めている。


 なぜ、今まで気づかなかったのか。

 いや、気づかないふりをつづけていたのか。

 もっと、己の直感と向き合わなかったのか……。

 なぜ、ここに留まり続けてしまったのか……。


 様々な後悔が、フィリアの心を苦しめる。


 その感情は大粒の涙となって、次から次へと溢れ出ては落ちていく。


「フィリア、落ち着きなさい」


 旦那さまの手に力がこもる。


「無理です。だって、だって……」


 涙が止まらない。

 力がない自分が悔しかった。

 なにもできないちっぽけな存在だ。


「魂の片割れが傷を負ったことで、フィリアがどれだけ傷つき、どれほどの痛みを共有したのかは……わたしにはわからぬ。文献でしか知らぬが、ある者は身を引き千切られる痛みを感じ取り、ある者は魂が砕け散るほどの悲しみを味わったそうだ。きっと、おまえもそうなのだろう」

「…………」

「フィリアとフィリアの魂の片割れが今、どれほどの苦しみを感じているのかは、わたしにはわからぬ。だから、言えることもある」


 旦那様は低く、甘い響きが残る声で「わたしが言っていることがわかるか?」とフィリアに語りかける。


 フィリアはシャツの袖で濡れた顔を乱暴に拭うと、はっきりとうなずいてみせる。


「おまえは強くなろうと、けなげなほどによくがんばっている。早く大人になり、みなを救おうとがんばっている。だが、まだ、お前は十四だ」

「じきに十五になります」

「十四も十五も、まだまだ……。長い歳月を生きつづけるわたしにしてみれば、おまえなど、くちばしの黄色いひよっ子だ」

「…………」


 旦那さまの手がフィリアの肩から頬へと移動し、愛おしそうに何度か撫であげる。


「その幼き雛鳥に、これから過酷なことを言う……いや、命じるが、おまえはやらねばならない」

「やります! ぼくはなにをしたらよいのか? 命じてください!」


 涙に濡れた緑の瞳が、旦那さまの緊張でこわばった顔を真正面から見上げる。

 その素直で力強い輝きに、旦那さまは微かな笑みをもらした。


「その前に……」

「…………?」

「ギル」

「はぁ? あっ、は、いっ?」


 まさか、自分の名が呼ばれるとは思っていなかったギルが、慌てて煙突の陰から姿を現す。


「わたしに隠れて練習していた【結界】は張れるようになったか?」

「え……っと、十回やって、五回……成功するようになりました」


 自力でフィリアが独学で【移動】の魔法が使えるようになったのなら、自分は【結界】の魔法が使えるような気がする……となんとなく思ったギルは、フィリアと旦那さまに隠れてこっそりと練習をしていたのである。


 勝手に魔法を練習したフィリアが旦那さまに怒られたのを目撃してからは、さらに慎重に、慎重を重ねて、こっそりと練習しつづけていたのだ。


 フィリアはギルがそのようなことをしていたとは気づいていなかったようだが、旦那さまの目は誤魔化せなかったようだ。

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