1-4.キャンセル料とペナルティ……それと、方向音痴……(改)
「信じてついていったらひどい目にあっちゃったし、これからもそういうことがあるってことだよ?」
「う――ん。あんなことがしょっちゅうあるっていうのは、ちょっと嫌だなぁ……」
「ちょっとで済めばいいんだけどね。とにかく、あの行商人は変なヒトなんだよ。その変なヒトの変な依頼を受け続けてもいいと、ギルは思うの?」
フィリアの問いに、ギルは困ったような表情を浮かべる。
「う――んん?」
ギルは目を細め、顎に手をやり首をひねる。彼なりに必死になって考えているようだ。
「キャンセル料とペナルティ……それと、方向音痴……」
どちらが自分たちにとって不利益になるのか、ギルは天秤にかけはじめる。
ギルにしては珍しく熟考した結果、天秤の傾いた方に従うことにした。
「あの依頼人、方向音痴がひどいだけで、フィリアの予想では、害意はないヒトなんだろう? だったら、フィリアがこのままこの依頼を続けたいというのなら、続けていいんじゃないかな? 嫌なら、この依頼はキャンセルしよう!」
「…………」
ギルの天秤は「フィリアの意志を尊重する」というあらぬ方に傾いたのであった。
ギルにしてみれば、兄貴分として、弟の望みを叶えてやるのが、兄としての役割だとでも思ったのだろう。
難しいことはフィリアに丸投げ、ともいえたが、ギルが依頼人に対して警戒心を抱かなかったのには、それなりの根拠があった。
彼らの雇い主は、とんでもないヒトではあったが、方向音痴であること以外に関しては、意外にもまっとうな人格者だったのだ。
孤児院時代に難癖をつけたり、虐めてきた大人たちとはあきらかに違う。
依頼人は人様に恥じるような……縛について牢屋に入れられるような悪いことを行っているわけでもない。
誠実で、善良。真面目をとおりこして生真面目な商人で、人を騙して儲けようという様子は全くみられなかった。
どちらかといえば、騙すよりは騙される側の人だろう。
人の足元をみて粗悪品を高値で売りつけたりするような悪徳商人ではなかった。
ひと月くらい一緒に行動すれば、情もわいてくるし、行商人の方向音痴にもいいかげん慣れてくる。
方向音痴の行商人をひとりっきりで帝国の荒野に放り出すのも、なんとなく薄情なようで気が引けた。
食費も宿泊費も移動にかかる費用も依頼人もちで、フォルティアナ帝国中を旅することができ、さらに報酬ももらえる……と、考えると、この依頼が一気に楽しいものに思えてくる。
ようは、考え方だ。
壊滅的な方向音痴にさえ目をつむればよいのだ。
一度、腹をくくってしまえば、後はただ与えられた仕事を確実にやりとげるだけだ。
考えたところで、幼い駆け出し冒険者の選択は「このまま依頼を請け続ける」しかない。
こうして、フィリアとギルは、方向音痴の行商人についていき、フォルティアナ帝国の国境付近、辺境と呼ばれる領地や、秘境とされる土地にまで赴いた。
こんな辺鄙なところで、どうやって暮らすのか、というような場所で集落を見つけたときは、とても驚いたものである。
帝都では見ることのできない巨大な湖や、対岸が見えない大きな川、さらには本物の海を見ることもできた。
野生ドラゴンが群生する渓谷にも行き、本物のドラゴンにも遭遇した。
行商人は恐ろしいほど方向音痴だった。
が、とても強くて魔法も使え、知識も経験も豊富にそなえていた。
たまに【転移】魔法の移動先を間違えて秘境のような場所に行きついたり、無茶な行程を組むことはあるが、依頼人という立場を利用して、フィリアたちに威張ることも威嚇することもない。
報酬の支払いもしっかりしており、方向音痴さえなければ、よい依頼人といえるだろう。
そう、方向音痴さえなければ……。
護衛任務の間、帝都に戻ることは一度もなかったが、この仕事は初心者冒険者にしては報酬も高く、月がかわるごとに最寄りの冒険者ギルドで報酬のやりとりがあり、孤児院に送金もできた。
親に捨てられた大勢の子どもをかかえる孤児院において、駆け出し冒険者の月々の送金額などたかが知れているだろうが、確実に送金できる金額は増えている。
見習い冒険者から初級冒険者へとランクアップした直後のこと――二年前のこと――を考えると、大きな進歩だった。
振り返ってみると、フィリアたちは『当たり』の依頼を引き当てた。
なにしろ『食費も宿泊費も移動にかかる費用も依頼人もち』の依頼だ。
それだけでも、貧しい初級冒険者にはありがたい話だ。
さらに、フィリアたちは行商人の行動を注意深く観察し、ときには質問をして、旅先で様々なことを学ぶ機会を得た。
行商人は見かけによらず博識だったのだ。
変わり者の行商人と共に旅をすることで、フィリアも【転移】の魔法が使えるようになり、それに付随する魔法も覚えた。
だが、そのときばかりは、行商人は渋い顔をした。「魔法は見よう見まねで覚えるのではなく、しかるべき者を師とし、基礎の部分から順を追って師から教わるものだ」と珍しくフィリアを叱った。
だったら、魔法を教えて欲しいと願ってみたのだが、行商人は「自分には許されていないことだ」といって、首を横に振るばかりだった。
行商人は剣術も教えてはくれなかったが、行商人の構えや戦い方を真似しても特に怒られることはなかった。
少年たちの依頼人は、護衛というよりは、ひとり旅の寂しさを紛らすための連れが欲しかったのかもしれない。
「帝都はもうすぐなんだけどなぁ」
帝都の方角を指さしながら、ギルが残念そうにぼやく。
そう、ギルが言う通り、帝都は目と鼻の先にある。
徒歩でたった数日の距離だ。
産まれて数日で両親に捨てられ、貧しい孤児院暮らしで、人々からはさげすまれる存在で、ひもじい記憶しかなくても、フィリアとギルにとって帝都は、故郷と呼べる特別な場所だった。
孤児院にいる『おとうと』や『いもうと』たち。
孤児院を卒業して独立した『あに』や『あね』たち。
そして、自分たちを保護し、貧困と戦いながらも懸命に育ててくれた厳しくも優しい孤児院の院長。
会いたいヒトはたくさんいる。
みんなはかわりなく暮らしているだろうか?
元気だろうか?
なつかしい人たちのことを思うと、フィリアとギルは心が踊った。
が、帝都を目前にして、どういうわけか行商人の歩みがぴたりと止まってしまったのである。
(もうすぐしたら、この仕事も終わりなのかもしれない……)
行商人はなにも説明しない。
確信があるわけではないのだが、なんとなくそうなるような気がした。
その別れの予感も、フィリアの心を乱す一因となっていた。
ふたりの雇い主である行商人は、村に到着すると、迷うこと無く宿屋へと直行し、二週間分の宿泊代を前払いしていた。
行商人は特にコレといった商売をすることもせず、宿泊先に選んだ宿屋に籠ってしまったのである。
方向音痴の依頼人はなかなか「村をでる」とは言わなかった。
村どころか、宿屋からもでようとはしなかった。
客室の椅子に腕を組んで座り、難しい顔で壁の一点を睨んでいるだけだ。
今まであれだけ活発に動き回っていたのに、あきらかに様子が変だった。
「なぜ、旦那さまはこの村からでないんだ? 商売をしている様子もない。宿屋の外にもでない」
あまり細かなことにはこだわらないギルでも、今回ばかりは気になるようだ。
いつもは無口なのに、今日に限って言葉が多いのも、そのせいだろう。
「さぁ……どうしてかな? わからないよ。もともと、旦那さまって、なにを考えているかわからないヒトだし、ぼくにわかるわけないよ」
「そうかなぁ」
ギルは大仰に首を傾けてみせる。
「フィリアだったら、わかりそうな気がするけど?」
「いやいや、わかるわけないじゃないか」
ものすごく真面目な顔で言われてしまったが、フィリアは全力でギルの勘違いを否定する。
「あんなハチャメチャな依頼人の思考回路なんてわかるわけないじゃないか」
「わからなくても、予測はできるだろ?」
ギルの目に力がこもる。
これはなにか言うまでしつこく問われつづけるパターンだった。
「なにかを待っているんじゃないか? だから、ここから動けないんじゃないか?」
「なにを?」
「いや……それはわからないけど……」
「なにを待っていると思う?」