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1-2.風が臭うんだ(改)

 ギルは年齢の割には背が高い。

 同じものを同じ量だけ食べてきたはずなのに、フィリアよりもはるかに体格がよかった。


 小さなころはお互い同じくらいの背丈だったのに、今ではギルに見下ろされるようになったのが、フィリアには少しばかり気に入らない。


 体格と落ち着いた態度から、ギルは実際の年齢よりも年上に見られることが多かった。


 産まれた日などせいぜい数日しか違わないだろうに、ギルは見上げるような存在になった。

 それだけではなく、様々な場面で兄貴ヅラをされ、弟扱いされているのがフィリアには不満だった。


 だが、そのことにこだわること自体が、幼いという証のように思えて、フィリアはますます自己嫌悪に陥ってしまう。


 不満に思いながらも、ギルが自分を探しに来てくれたことを喜び、甘えてしまうのだから、弟あつかいされても仕方がない。

 ギルの過保護は、フィリアの側にも問題があるといえた。


 ふたりは屋根の上で仲良く身を寄せ合う。


「眠れないんだ」


 しばらくの沈黙の後、観念したかのようにフィリアがゆっくりと口を開く。


「うん。眠れないな……。今日はとくに眠れない。おまけに……嫌な空だ」


 ギルもまたなにかを感じ取っていたようである。


「風が……」

「風?」


 フィリアの独白に、ギルは目を凝らして、風に意識を向ける。


「風が……風が臭うんだ」

「風が? 臭う?」


 ギルは上半身を伸ばすと、動物がするように、くんくんと鼻を鳴らしながら、けんめいに周囲の臭いを嗅ぎ取ろうとする。


「風が吹くたびに……魔獣がまとっているような臭い? 腐臭のようなもの? がどんどん濃くなっているような気がするんだ。空気が濁っていて、息をするのも苦しいんだ……」


 フィリアの独白めいた説明を、ギルは「なにをばかなことを」と笑い飛ばすことも、「気のせいだろ」と否定することもしない。


 少年たちの雇い主が言っていた。


 魔法の才に恵まれたもの、魔力を潤沢に持って産まれたものなどは、感覚が鋭くなるという。


 鋭敏になるのは己の五感や魔力の流れだけでなく、魔の気配、神聖な存在、妖精や精霊の存在など、普通のヒトにはわからないものまでもわかるようになるらしい。


 雇い主が言ったとおり、フィリアは遠くにいる魔物の気配を感じ取ったり、奇襲や不意打ちを事前に察知することができた。

 天候の変化にも敏感だ。


 フィリアは孤児院にいた頃から他の子らとは違っていたが、冒険者になり、生命のやりとりをする極限状態に身を置くようになって、さらに感覚が研ぎ澄まされたようだ。


 帝都に戻ったら、しかるべき魔法の師を探して師事すれば、感覚はもっと鋭くなり、魔法も自在に使えるようになって、よき魔法剣士になれるだろう……と彼らの雇い主は言っていた。


 フィリア自身は師匠をみつけて修行するという話に、あまり乗り気ではないようだが、ギルは雇い主の話を全面的に信じた。


 なぜなら、ギルはフィリアのその『感覚』のおかげて、何度も命拾いをしてきたからだ。

 フィリアがすごいのは、フィリアの一番側にいるギルが一番よく理解している。


 だから、フィリアが「風が、臭うんだ」というのなら、風が臭うのだろう。

 フィリアの苦悶に満ちた表情を見ていると、その臭いは相当ひどいものなのだろう、とギルは沈黙の中で考え、不吉な予感に身震いする。


「こんなのは、はじめてだよ」

「なにか……起こるのか?」

「わからない」


 フィリアは首を左右に振る。


「魔獣とか、盗賊とか……そんなんじゃない。そんなものじゃないんだ……」


 息苦しさを振り払うかのように、フィリアはぶるりと大きく身を震わせる。


「風か……」


 ギルの呟きとともに、夜風がふたりを撫でていく。


 フィリアの顔が嫌悪に歪む。


 全身の産毛が逆立つような、耐え難い臭いをはらんだ生ぬるい風。

 大地の息吹を運ぶ恵みの春風とは違う禍々しい濁った風。


 ギルが少し身体を動かし、フィリアの方へとにじりよる。


 フィリアが考えていること、話すことは、ギルには難しすぎたが、同じ時間を同じ場所で過ごせば、フィリアも少しは元気を取り戻すことができるだろう。


 ギルが身じろいた拍子に、ふたりの肩と肩が軽く触れ合う。フィリアは目を閉じ、ギルの肩へともたれかかった。そのままギルの肩に己の額をこすりつける。


 フィリアに比べるとギルは体格もよかったが、ふたりとも同世代の男子と比較すると、あきらかに痩せていた。


 医者が彼らを診察すれば、発育不全と診断するだろう。


 川で水浴びをしたフィリアたちを見た依頼人は、少年たちの骨がうきでている姿を、驚愕とも悲しみともとれるような表情で眺めていた。


 依頼人はなんとかして、このガリガリな冒険者たちに食事をたくさん与えようと努力したが、旅先では食事も携帯食に頼りがちになってしまう。


 訪問する先々の村や街の食糧事情にも左右され、携帯食よりも貧素な食事がだされることも多い。


 しかも、赤子の頃から少しの食事しか口にしなかったふたりの胃は小さく、たくさんの食べ物を受けつけることができなかった。


 それでもお節介な依頼人はあきらめなかった。

 依頼人の好意によって、食事内容は改善され、飢えに悩まされることはなくなったのだが、幼少期の影響で、食べてもふたりの身体はガリガリなままだった。


 ただ、ふたりの背丈は順調に伸びているので、そちらの成長が落ち着くまでは、痩せたままなのかもしれない。


 こうして互いの躰を寄せ合うことで、ギルの温もりと力強い鼓動が、フィリアへと伝わってくる。

 ギルの鼓動に耳を傾けていると、全身にまとわりついていた嫌な気配が弱まり、空気が軽くなっていくようだった。


「嫌な夜……」


 ここ数日、心がざわついて落ち着かない。

 理由はわからない。

 こんなことは初めてだ。

 心が、いや、魂が重苦しいとでもいうのか、焦燥感にかられ、じっとしているのがとても辛かった。


「今日は……とくに昏いな」


 ギルの穏やかで落ち着いた声が、フィリアの耳元で聞こえる。


「そうだよね。月がでていないから、昏いよね」

「洞窟の中よりも暗くないか?」

「かもしれないね。とっても昏いよね」

「暗くて寂しい村だな……」


 空だけでなく、地上も昏い闇に覆われていた。


 ふたりが滞在しているのは、帝都から徒歩で数日離れた小さな村。


 小さな村だが、帝都と街を繋ぐ街道沿いに村があり、帝都近辺の拡大地図にも載っている。

 旅人相手の宿屋も数軒あり、日中は帝都を目指す者、帝都を出立した者が村を訪れ、それなりに賑わっていた。


 しかし、ここから馬で半日ほど離れた場所に大きな街があるので、この村は休息地点、通過する村でしかない。

 旅人相手の娯楽施設もない村の夜は、とても静かだった。


 魔法の明かりを持たぬ村人たちの夜は早い。

 日の出と共に行動して、日が沈む頃にはさっさと仕事を切り上げて家に戻り、戸を閉める。

 夜にもなると、村はしんと静まり返って、活動を停止したかのようになるのだ。


 たまに、家畜の動く気配や、モーとかブヒブヒといった鳴き声が聞こえるくらいだ。


「今日も待機だったなぁ――」


 フィリアよりも大振りな剣の鞘を触りながら、ギルは穏やかな口調でひとりごちる。


「今日も旦那さまは、部屋にこもりっきりだったし……」


 まったく、どうなっているんだ……とギルは口の中でブツブツ呟く。


「そうだね。なんの進展もなかったね」

「フィリア、旦那さまは、いつになったら、この村をでるって言うのかな?」

「さぁ……」


 フィリアは「わからない」と軽く肩をすくめてみせる。


 フィリアには行き先も滞在期間も決めることはできない。それはギルも同じだ。こうしてただじっと、依頼人の指示を待つしかない。


「……なにもしないって退屈だな」

「いや、ギル、ぼくらはなにもしていないわけじゃないよ。ぼくたちは旦那さまの護衛をしているじゃないか」

「いつもは道中だけでいいって言っているのに、どうして、今回だけ、旦那さまは滞在中も護衛しろって言ったんだろう?」


 ギルは夜空に向かって疑問を吐きだした。

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