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1-1.嫌な夜(改)

 とても暗い夜だった。


 冒険者のフィリアは、宿屋の屋根に登ると、膝を抱え込むようにしてその場に座る。


 【灯り】の呪文を唱える。

 短くて簡単な詠唱が終わると周囲がほんのりと明るくなり、フィリアは吐息とともに肩の力を抜いた。


(嫌な夜……)


 まだ幼さの残る少年の緑の瞳は、深い憂いに沈んでいる。

 居心地の悪さを感じたフィリアは、無意識のうちに手にしていた中剣を胸にかきいだいていた。


 痛みが目立ちはじめていた革鎧は、脱いで部屋の片隅に置いてきた。

 サイズ直しも限界がきており、そろそろ買い替え時なのかもしれない。

 その出費を考えると、気が重くなる。


 初級、中級冒険者は、もともと報酬額も少ないが、それに加えて怪我の治療や装備への投資など、手元に残る金は少ない。


 だが、その苦しい時期を乗り切って、上級、もしくはそれ以上のランクの冒険者になると、依頼の危険度も増すが、報酬額も桁がかわってくる。


 傍若無人で自由気ままに生きているように見える冒険者というのも、大変なんだなと思ってしまう。


 身寄りのない孤児院出身の孤児が高収入を得たいのなら、冒険者になるといい……という話に飛びついたのは否めない。


 さすがに「楽に一攫千金」とまでは考えなかったが、雇われ職人や下働きとして働くよりは、収入がよいと考えていた。

 しかし、その考えは安易だったと、フィリアは少しばかり反省している。


 貧困生活から抜け出すには、まだまだ時間がかかりそうだ。


 フィリアはなにをするでもなく、ただ屋根の上で座り込み、ひとりきりの孤独な時間を過ごす。


(風が……)


 頬に当たる今日の春風は、不気味なほどに生暖かく、身体にべっとりとまとわりつくような生臭さをはらんでいた。


(気持ち悪い……)


 眉間に深いシワをつくりながら、フィリアは先が見えない昏い虚空を睨みつける。

 剣を抱える手に自然と力がこもった。


 ここ数日、漠然とした不安が胸を締めつけ、フィリアを無性にいらつかせていた。


 その不安は日をおうごとに増大し、決して晴れることがない。


「くそっ……」


 フィリアは光のない夜空に向かって悪態をつく。


「フィリア……ここにいたのか?」

「――――!」


 爆発寸前だったフィリアの感情が、その声を聞いたとたん、落ち着きを取り戻してゆっくりと冷めていく。


「……ギル?」


 剣を抱えたフィリアの相棒が、自由になる片手と両足を使って、ひょいひょいと身軽に壁を登ってくる。


 この少年も鎧は身につけておらず、着古したシャツとズボンという就寝時の格好だ。

 もう眠ったと思っていたのだが、ギルもまだ起きていたようである。


 フィリアとギルのふたりは、同じ孤児院で育った。いわゆる幼馴染みだ。


 ふたりを育ててくれた孤児院では、孤児を保護してくれるのは十五歳までだ。

 十五歳になったら、容赦なく孤児院を追い出される……そういう決まりだ。


 十五歳までに養子縁組が決まればよいのだが、そうでなければそれまでに独立し、自分で生計を立てる方法を見つけなければならない。


 住み込みの職人や使用人の職を捜す孤児が多い中、フィリアとギルは険者になる道を選んだ。


 ふたりは十二歳になると、誘い合うようにして冒険者になり、それから二年間、行動を共にしている。


 冒険者登録を終えて二年。

 フィリアとギルは、駆け出しの戦士として活動していた。


 孤児のふたりに剣や魔法の師匠はいない。

 見様見真似で剣を振るい、魔物や野盗といった討伐対象と戦ったりしている。


 この二年間、試行錯誤を繰り返した結果、ギルが相手の注意をひいて攻撃を受け止めている間、フィリアがその隙をついて攻撃し、倒すという連携ができあがっていた。


 ふたりで協力しあい、お互いの短所を自分の長所で補うようにして、経験を積んだ。


 ひとりでは早々に魔物の餌食となっていただろう。ふたりだからこそ、こうして今までやってこれたのだ。

 お互いにとって、欠くことのできない大切な相棒だ。


 ギルは危なげなくあっという間に屋根の上にたどり着くと、当然といったような態度でフィリアの隣に腰かけた。


「フィリア……」


 灰色の瞳が気づかわしげにフィリアをのぞきこんでくる。


「なにか用か?」

「フィリアがいつまで待っても戻ってこないから、心配した。それだけだ」


 マイペースで思いやりにあふれるギルの声が、不安に苛立っているフィリアの心にじんわりと染み入る。


 フィリアの冷え切った体内に温かなものが宿り、それがゆっくりと溶けるように拡がっていくのがわかった。


「ごめん。悪かったよ。行き先も告げずに黙ってでていったから……心配したよね……」

「別に心配はしていない。気になっただけだ」

「…………」

「でも、いつもの場所に、フィリアがちゃんといたから安心した」

「……わかったよ。そういうことにしておこうか」


 フィリアの顔に苦笑が浮かぶ。

 

(心配してたから、安心したんじゃないのかなぁ……)


 ギルはここ数日のフィリアの様子を心配して、屋根の上まで追ってきたのだろう。


 ただ、あまりにもすごく真面目な顔で言われたので、反論する気にもなれなかった。フィリアはギルの言葉と好意をそのまま素直に受け止めることにした。


 フィリアが辛いとき、悲しいとき、苦しいとき……ギルはいつもフィリアの側に寄り添い、余計なことは言わずに静かに支えてくれる。


「どこか、具合が悪かったりするのか? 辛いことがあるのか?」

「ぼくが? どうして、ギルはそう思ったの?」

「このところ、顔色が悪い。すごく悪い。だんだん悪くなってる。それに、食欲も減っている。夜も眠れていないんだろ?」

「……よくぼくのことを見てるね。それによくしゃべる」


 フィリアはため息をつく。感心するというか、呆れ返ってしまった。


「だって、オレはフィリアの『お兄ちゃん』だからな」

「三日だけだろ?」


 わずか三日ではあるが、ギルの方が早く孤児院に拾われたということで、ギルは自分の方が年上で、兄貴分であると思っているようだった。


 周囲もふたりをそのように扱っていたので、仕方がないことといえなくもない。


「三日だけであっても、お兄ちゃんはお兄ちゃんだ。おとうとのことはしっかり見ていないといけないって院長さまも言ってた」

「…………」

「屋根の上にいるときのフィリアは、絶対にひとりにはできない」

「……なんだよそれ……」


 いつの頃からか、どうしようもなく辛いことがあると、フィリアは孤児院の屋根に上り、空を眺めるのが習慣となっていた。


 広くて大きな空の下にいると、自分がちっぽけな存在に思えてきて、さらに、自分を苦しませ悩ませることが、とても小さなコトであると気づくことができる。


 だからフィリアは、屋根に登って空を仰ぎ見る。


 姿が見えなくなったフィリアを捜してギルも屋根に登り、ふたりでしばし語り合ってから部屋に戻るということが、幼い頃より幾度となく繰り返された。


 なので、屋根に上るのは、魔物退治よりも慣れている。


 ふたりは十四年前、産まれて数日くらいの状態で、孤児院の門前に捨てられていた。


 ふたりともボロ布にくるまれた状態で、身元がわかるようなものは、なにも身につけていなかった。


 同年で出自も不明。


 同じ時期に捨てられ、捨てられていた場所も同じ。


 当然のことながら両親の名も判らない。


 両親に名前も与えてもらえないまま、産まれてすぐに捨てられた身寄りのない子ども。


 似たような境遇だったこともあり、幼い頃よりふたりは互いに離れがたい強い絆のようなものを感じ、本物の兄弟のように仲良く育った。


 常に一緒に行動し、支え合って生きてきた。

 そして、ふたりの関係は、孤児院をでて冒険者になってからも変わらない。


 ギルは常にフィリアを気遣い、なにかと世話を焼きたがった。

 世話好きな性格とはまた違う。

 ギルの中では、フィリアを中心に世界がまわっている、といってもいい。

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