2-1.とても似合いすぎているから
とある日の早朝。
開店前の酒場は薄暗く、とても静かだった。
明り取りの窓がない小さな酒場は、必要最低限の照明だけしか灯っていない。
カウンターの席には、酒場のマダムが気だるげに座っており、手にしている書類に目を通していた。
狭いカウンター内部では、バーテンダーが開店準備に追われている。
まったりとした時間がすぎていくなか、突然「バーン」という派手な音とともに、従業員控室に続く扉が乱暴に開いた。
と同時に、陽気な女性の声が、客のいない酒場に響きわたった。
「ジャジャジャジャーン! おはよ――ございまぁ――すっ! リュウフウ登場でぇ――すっ! コクラン! リョクラン! みて! みて――ッ!」
乱入者は胸を反らすと、カウンターにいるマダムとバーテンダーに、誇らしげな笑みを向ける。
「コクラン! どうです? ホラ、ホラ、ものすごく、すごいでしょ――ッ! みてくださいっ!」
作業着らしき灰色のツナギを着た二十代前半の女性が、足音も荒々しく、店内にずかずかと乱入してきた。
リュウフウと名乗った女は、ぼさぼさの赤い髪を頭上でひとつに結い上げ、鉄製の飾り気のないかんざしで軽く留めている。
「繰り返し警告しますが、リュウフウさん、備品は大切に扱ってください。壊したら弁償ですよ」
カウンター内部で準備をしていたバーテンダーのリョクランが、開店前の騒がしい客に注意を促す。
リュウフウが通った後には、たてつけの悪い扉が揺れて、ギィギィと抗議の悲鳴をあげていたが、彼女はペロリと舌をだすだけで、リョクランの文句をやりすごす。
作業着姿のリュウフウの頭には、狐をほうふつとさせる赤い尖った三角形の耳があり、お尻にはフサフサと揺れ動く赤い尻尾がついていた。
酒場に乱入してきたリュウフウは、赤狐族の獣人だった。
赤狐族といえば、知恵がまわるものが多く、叡智の探求を一族の信条としている。
学者や研究者などを多く排出している種族だ。
彼女の家系では、ほとんどの者が例外なく魔導具をいじったり、作ったり、解析したりするのを好み、それを生業としていた。
興味の対象には並ならぬ愛情と熱意を惜しみなく注ぐが、それ以外のことについては、からっきしダメな種族で知られている。
乱れた髪型や、シミだらけの服をだらしなく着崩しているのに加え、化粧っ気が全くなく、お洒落には無縁の人であることがよくわかる。
小さな鼻の周りにはそばかすがあり、らんらんと輝く明るい緑色の目の下には、クマがくっきりと浮かんでいた。
「ホラホラ。ハヤテ、カフウ、セイラン! はやく。はやく! こっちよ! コッチ! コラコラ! そんなトコロにいつまでも隠れてないで、急いでこっちに来なさいよ!」
赤狐族の女性リュウフウはイライラと床を踏み鳴らしながら、開いたままになっている扉の奥に向かって、せわしなく声をかける。
コクランとリョクランは視線だけを動かし、リュウフウが見つめている先……従業員控室の様子を探った。
照明の消えている控室からもぞもぞとヒトの気配がする。
なにやらもめているようだ。「いやだ」「はずかしい」とか「似合っている。大丈夫」「はずかしくない」といったなだめる声も漏れ聞こえてくる。
「も――っっ! なんで? なんで? 恥ずかしがることないのにぃ!」
しびれを切らしたリュウフウの声が一段と高く、大きくなった。
尖った狐耳をヒクヒクさせながら、リュウフウはヒステリックに叫びつづける。
「ハヤテ! カフウ! セイラン! なにモタモタしているのさぁ? はやくでておいでよ!」
その声に観念したのか、三人の子どもたちが、リュウフウの後を追うように、酒場の中へと入ってきた。
先頭を歩くのは赤髪の少年。
足を踏ん張って抵抗している黒髪の女の子の手首をつかみ、ずりずりとひっぱるように歩いている。
「おい、セイラン! いいかげんにしろ! モタモタするな!」
「ヤダぁ……」
片手では無理、と悟った赤髪の少年は、両手で黒髪の女の子の手をつかみ、リュウフウの元へ行こうと足を進める。
「あらまあ……」
「おやおや……」
コクランとリョクランは目を見開き、賑やかな子どもたちの様子を観察する。
「セイラン……あきらめる。抵抗は無駄」
ふたりより遅れて登場したハーフエルフの少女は、軽くため息をつくと、なかなか動こうとしない黒髪の女の子の背を背後から力いっぱい押す。
年上ふたりが力をあわせて、セイランを控室からひっぱりだす。
嫌がるセイランは懸命に踏ん張っているのだが、ずりずりと引きずられ、大人たちとの距離がだんだんと縮まってくる。
「やだぁ。……やだぁっ。こんなカッコウやだぁ」
「なんで? 似合っているからいいじゃないか?」
ダダをこねるセイランを心の底から不思議そうに眺めながらも、赤髪の少年は立ち止まることをやめない。
「ハヤテにぃは、ヒトの機微にうとい。とても似合いすぎているから、セイランは嫌がっている……」
「え――? なんで? 似合ってたら、それでいいじゃないか? なんで嫌がる必要があるわけ? わからないなぁ? あ、カフウのもすごく似合っているぞ」
「……ハヤテにぃ……。そのとってつけたような言い方、金輪際やめた方がいい。レディに失礼極まりない言動」
「…………?」
赤髪の少年ハヤテは「よくわからない」と何度も首を傾げながら、セイランをリュウフウの前に引っ張っていく。
作業着姿のリュウフウの指示に従い、子どもたちがもたつき、もめながらも、最後は行儀よくカウンターの前に整列する。
その拙くて微笑ましいともいえる様子を、コクランとリョクランは目を細めて無言で見守る。
目の前に整列した子どもたちの年の頃は、十歳前後。
酒場の客としては若すぎる三人組だ。
リュウフウのすぐ隣に立ったのは、戦士の恰好をした赤髪の少年ハヤテ。
ハヤテは三人の子どもたちの中では一番背が高く、目元もしっかりしている。
子どもたちからは「ハヤテにぃ」と呼ばれており、三人の中では、ハヤテがいちばんの年長者になる。
リーダー的存在、ふたりの保護者、兄貴分として君臨していた。
今でこそ神妙にしているが、ハヤテは元気にあふれ、じっとしているのを嫌う活発な少年だった。
茶色の瞳は薄暗い中でも力強い輝きを放っており、大人たちを前にしてもひるむことがない。
先頭に立って行動し、弱いもの、年下をかばい、守ることに対して躊躇しない意志の強さを持っている。
近所のガキ大将といったところだ。
赤髪の少年戦士ハヤテの隣には、ハーフエルフの少女カフウが並んでいる。
若葉色の髪をショートボブにカットした少女は、動きやすさを重視した丈の短いローブをまとっていた。魔術師が持つ杖……の子どもサイズを両手でしっかりと握りしめている。
人間よりも少しだけ長い耳が、ピクピクと忙しそうに動いていた。
最後のひとりは、セイラン。
控室から出るのを「いやだ、いやだ」としぶっていた子どもだ。
セイランは、三人の中では一番小さい。
背も低く、肌は白磁のように白い。小柄で華奢な子どもだった。
年齢もハヤテやカフウに比べ、三、四歳くらい離れているようにみえる。
セイランは見た目通りで身体も弱く、熱をだして寝込むことも多かった。
ふたりが年齢よりもしっかりしているぶん、セイランの幼さが際立ってみえる。
セイランは黒革のぴったりと体にフィットするミニスカートタイプのスーツをまとっていた。
黒革のスーツは鈍い光沢を放ち、華奢な身体のラインが強調されるようなデザインになっていた。
それが最大限に活かされ、繊細そうな少女の儚さと危うさがいかんなく発揮されている。
艶やかな光沢を放っているまっすぐな黒髪は短く切りそろえられ、長く伸びた前髪をシンプルな髪飾りで留めている。
人形のように整った顔立ち、天使のように愛らしい容姿の少女だった。
こんなに可愛い子どもが存在してもよいのだろうか……と思ってしまうくらい、可愛くて、しかも、可愛いだけではなく、この歳で謎めいた艶やかさも持ちあわせている。
美男美女で有名なエルフの遺伝子を半分ひきついでいるハーフエルフのカフウも綺麗な少女だが、セイランの凜とした人並み外れた美しさにはかなわない。
セイランの濡れた黒い瞳が、困惑に揺れ動いている。
頬と耳が少し赤らんでいた。肌が白磁のように白いので、すごく目立つ。
大人たちの観察するような視線が耐えきれないのか、さらに顔を赤くさせながら、セイランは首に巻いた大きめのマフラーの中にもぞもぞと顔を埋めた。
大人たちの値踏みするような視線に慣れたころ、子どもたちは意を決したのか、それぞれの表情で、カウンターに立つ大人たちを見上げた。