Part8(End of chapter)
今度は非現実の悪夢だった。窪原は溜め息をついた。過去の嫌な思い出の夢と、意味不明の恐ろしい夢┄┄。
『夜が耐えられればですけどね』
窪原には耐えられそうもなかった。だが、耐えなければならないことも判っていた。
彼は、ベッドから起き上がろうとした。もう眠りたくなかったからだ。眠らなければ悪夢を見なくてすむ。
しかし、起き上がれなかった。体が全く動かない。
どうやらこの島では悪夢を見続けるような仕組みが、しっかりと出来上がっているらしい、窪原は思った。朝までこのベッドから離れることはできないのだ。
突然、左の壁の方から大きな泣き声が聞こえてきた。隣の少女たちのものだった。窪原と同じように悪夢を見せられたことは間違いなかった。やり場のない怒りが沸き起こるが、それはどうしようもない事だった。彼はもちろん、他の誰も助けてあげることはできないのだ。窪原は少女たちの泣き声が一瞬でも早くやんでくれることを祈った。
それから窪原は二つの悪夢を見た。中学時代に自分のエラーが原因で負けてしまった野球の試合の思い出と、腐乱して膨れ上がった溺死体のような体躯をした紫色の牛に追い駆けまわされる夢だった。
それでもまだ朝はやって来なかった。窪原は眠気に抗いながらも、常に敗れ、悪夢を見せ続けられた。┄┄
┄┄茶色いテーブルに白いカップが二つ。金色の細い線で花が描かれているその両方のカップに、湯気のないコーヒーが半分ほど入っている。
焦げ茶色のイメージでまとめられた喫茶店。乱雑な音の背景に、ピアノソナタが微かに聞こえている。
視線を正面に移すと、女がいる。最初に見た夢とは違う女。
丸みを帯びた輪郭と、すっきりと伸びた鼻筋が、大きな瞳と調和している。ショートの黒髪は、それ以上長くても短くても、彼女の印象をマイナスにするだろう。それほどちょうど良い長さ。全体的にどことなく暖かみを感じる女。けれども今は、うつむいて哀し気な表情をしている。
煙草をくわえて、ライターを探していると、女はポシェットの中からライターを取り出す。
火をつけてもらう。女の顔に少しだけ笑みの輝きが射す。しかし、すぐに暗い表情に変わる。
大きめの窓の外を眺める。
デパートが立ち並んでいる。それらを見ているようで見ていない、と思う。コーヒーを飲む。また眺めるふりをする。
「うまくいかなくなったよね。そう思うでしょ」女がつぶやくように訊いてくる。
答えられない。
「さよならかな。やっぱり」
女が席を立って、店の中から去る。
テーブルの上に、二人の飲み干したカップと、先ほどのライターがある。
ライターを手に取る。じっと見つめる。
銀色のスリムな形。それは小さくもなく、大きくもなく、掌になじむ。
窓の外が急に暗くなる。陽が厚い雲に入ったらしい。
本当にこれで、この女とは終わりなのだろうかという気持ちになる。┄┄