Part9(End of chapter)
窪原は不思議な感情に囚われていた。美咲のためにしているこの行動が、何か自分のためにしているような気になるのである。一歩一歩、足を進めるつど、生の世界が近づいてくるような気がするのである。どうしてそんな心持ちになるのか自分でも分からない、予感のようなものだった。
二人が同時に目覚めていることは少ないので、窪原が起きている時は、美咲を抱えながら進んだ。逆に、美咲が起きている時は、窪原が見失わないであろう場所まで、とりあえず進むという調子だった。
何度目かの夢の幕間、もう夜明け近くなった頃、ついに置部の小屋が見えた。偶然、二人とも起きていて、共に歩いているところだった。
「あの小屋だよ」
小屋を指差し、美咲に向かって話し掛ける。
「ほんとなの? やったあ」
美咲の声が弾んだ。
しかし無情にもそこで強烈な眠気が二人を襲い、あわてて走り出したが、すぐに足が止まってしまった。
*
置部が瞼を開けると、天井で皮膜が揺れているのが目に入った。と同時に、真菜の嗚咽が聞こえてきた。
今夜二人が、いっしょに目覚めているのは、これが初めてだった。
真菜はベッドの上で、うつ伏せになったまま泣きじゃくっている。
置部は、ゆっくりと立ち上がり、彼女のそばに行った。
「もうすぐ夜明けです。耐えて下さい」
「置部さん」
かすれた、かぼそい声がした。
真菜は彼に抱きついてきた。思わず震える肩をきつく抱き締める。
「もうすぐですから。悪夢は、あと一つで終わりですから」
真菜は顔を上げた。
「怖くてしかたがないんです。自分のしたことが」
「だいじょうぶですよ。現実に戻れば、きっと何とかなる」
真菜が何をしたか知らないが、置部は心底そう思った。自分が現実に戻りさえすれば、必ず真菜を探し出して、支える。支えてみせる。
泣き濡れた真菜の顔が間近にあった。
置部は口づけた。まるで、そうすることが自然であるかのように。
真菜の唇に触れると、今まで抑えてきた彼女に対する想いが、一気に胸から溢れ出した。
置部は、真菜を抱いたまま、ベッドに倒れ込んだ。真菜の涙は止まり、微かに笑っていた。
「┄┄抱いてください。わたしで良かったら」
置部は、うなずいた。そして、もう一度静かに口づけた。真菜が小さい声を上げる。
ふたりは愛し始めた。
不思議と眠気は、やって来なかった。眠くならないものなのだろうか、置部は思う。彼は、これが島での禁断の行為であることは、うっすらと判っていた。しかし、そんなことはどうでも良かった。この後、どんな罰が待っていようと関係なかった。
時が流れ、ふたりは互いの身体を離れた。
置部は至福な気分に満たされていた。これほどの充実を感じたことは、この島に来てから、一度もなかった。彼は、その思いの中で眠りに落ちて行った。┄┄
┄┄新築の自宅のリビングルームで女と向き合って座っている。
今までも夢に何度か出てきた女。妻だ。
「あなた。わたしね、子供ができたの」
絶句する。子供なんて憂鬱なものだ。少なくとも、今は欲しくない。だいち、育てる金はどうするのだ。
妻は無邪気に喜んでいるようだ。それを見ると、余計に憂鬱になる。
今は自分たちだけで食べていくのが精一杯なのに。
場面が転換する。
新生児たちが、たくさん寝ている病室を、外からガラス越しに眺めている。
とうとう生まれてしまった。これからどうしたらいいのだ。
「女の子ですよ」
突然、かたわらにいた看護婦が声を掛けてくる。
「┄┄あ、ありがとうございます」
「名前は、もうお決めになっているのですか?」
「ええ、妻が決めてました。女の子だったら、真菜と」┄┄
──真菜もまた、この夜の最後の夢を見ている。過去の出来事の夢を┄┄
┄┄右隣に母がいて、いっしょに鋪道を歩いている。
しとしとと雨が降っている。赤い傘と薄暗い街の光景。
セーラー服を着ている。
やがて、白く大きな建物に着く。回転扉の出入口から、静かに行き交う人々。大学病院のようだ。
「今日は、真菜ちゃんの本当のお父さんに会わせるわ」
その言葉を聞いて、涙が出そうになる。
母親が自分を連れて再婚したことは、なんとなく前から知っている。
ずっと、ほんとのお父さんに会いたいと思っていたのだ。
母親といっしょに広い病院の中を歩く。
「お父さん、病気なんだね。重いの?」
「ええ」
母親が受付を済ませて、階段を昇る。
ナースステーションを通り、病棟に入ってゆく。立ち止まると、個室の扉。
中に入り、様々な機材に囲まれ、ベッドに寝ている父親を見る。
それは置部だ。┄┄




