Part2
広場では島の影に向かって北に歩いている者が、二人いた。男女のカップルだが、年齢の差がかなりあった。老いた男と中年の女。肩を寄せ合いながら歩いている。現実の世界では訳ありの二人のようだった。
置部は北に向かう人たちを目にするつど、ある種の優越感を抱くのだった。彼は思う。僕はこの島のルールを超越しているのだ。夜の夢の苦しみに耐えていける特別な人間なのだ。僕は現実の肉体が朽ち果てるまで、この島に留まることができる。もう体さがしをする気には、とてもなれそうもないが。
彼の体をさがすことのない一日が、また始まろうとしていた。
広場を離れて、南西の方角にある平地に向かう。そこは置部にとって、お気に入りの場所であった。三日に一度はそこに行って、ぼんやりと時を過ごすのが好きだった。
道が南に曲がって伸びているところから、置部は歩道を外れた。膝の高さまで生い茂った雑草を押し分けながら、十五分ほど歩くとその地に着いた。
そこで体さがしをしている人は少なかった。通常の道からは離れた場所にあり、見つけにくいことに加えて、場所が特異な景観であることも理由のひとつだった。
扇を逆さにしたような奇妙な巨岩がいくつも並んでいる平地。地面に向かうにつれてどんどん細くなり、それらはみな今にも倒れそうだった。岩の下で落ち着いて体さがしができるような雰囲気ではなかった。
置部はここに来て、岩がいつ倒れるかという不安に怯えながら体さがしをする人々を眺めるのが好きだった。今朝もまた、薄笑いを浮かべながら、血眼になっている人たちを次々に見つめてゆく。
岩を避けながら足早に歩くジョギング姿の細身の男──岩の真下で急ピッチに土を掘り進める太った老婆──なぜか地面にスコップで絵を描いている少年──ふと置部の視線が、ある一点に集中した。視界の中央に置部と同じくらいの歳の女がいた。
少し茶色がかった髪が陽光に照らされ、輝いている。彼女は土を掘るでもなく、スコップで土いじりのようなことをしていた。何か考え事をしているように見える。瞳は暗く沈んでいるが、それが彫りの深い少し悲しげな顔だちと、よく合っていた。一瞬で、置部は彼女に強い興味を覚えた。惹かれてゆく衝動を抑えきれなかった。
彼女の服装はパジャマ姿ではなく、紺の半そでのワンピースを着ていた。この女はおそらく紺が一番似合うに違いない、置部はそう思った。紺の色が持っている生真面目な雰囲気に似つかわしかった。
置部はその女をしばらく眺めていたが、やがてゆっくりと、近づいていった。
「あの。どうしました。ぼんやりして」
置部は女に、おそるおそる話し掛けた。
不意を突かれて、女はびっくりしたような顔をした。
「僕はこの島の生活がとても長いんです。何か困ったことがあるんでしたら、相談に乗りますよ」
彼は、意識してやさしげな表情をつくりながら話した。
「えっええ┄┄」
女は置部を警戒しているようだった。ちょっと、気軽に話し掛けすぎたかもしれない、と置部は思う。
「気が向いたら声を掛けてください。僕はしばらくこの近くにいますから」
静かな口調で話し、置部は彼女の近くを離れた。
彼は体をさがすふりをした。あちらこちらを歩き回り、時折立ちすくんだりした。座って土を掘ったりもしてみた。そして、たまに女の方に顔を向けた。置部は彼女が話し掛けてくるまで待つつもりでいた。この機会を逃したら、彼女と知り合うことはできなくなる気がしていた。この大きな島で、再び彼女を見かけるのは難しそうだった。
やがて、女はためらいながら、置部に近づいてきた。
「あの┄┄」
「はい」
置部は笑みを浮かべながら、女の方に顔を向けた。
「┄┄相談に乗ってくれますか」
「ええ、いいですよ。どんなことでしょう」
「┄┄わたし、迷ってるんです。もう島の影に入ろうと思って」
「それはまた┄┄どうしてですか」
「わたし┄┄おそらく自殺したと思うの。こんな格好をしているし┄┄。普通の服を着ているなんておかしいわよね。だから、すぐに島の影に入るのが、なんとなく自分の気持ちに素直なことだと思うの」
「普通の服を着ているからって、すぐに自殺と決めつけるのは良くないですよ。事故かもしれないし、あるいは殺されたのかもしれない」
「そう言われれば、そうだけど┄┄」
「体はどのくらい見つかったんですか」
「まだぜんぜん」
「ここに来て何日目なんですか」
「昨日来たの」
「それなら、あきらめるのは早いですよ。これから見つかる可能性は、まだまだあります。自殺したかどうかなんて分からないんですから」
「そうね。そうかもしれない。あなたに話したら何だか元気が出てきたわ。がんばってみることにする。この写真もあるし┄┄」
女は写真をワンピースのポケットから取り出して、置部に見せた。
その写真には女と窪原が写っていた。
異国の城のような建物を背景にして、ふたりは満面の笑みを浮かべて横に並び、肩を抱き合っていた。それは、ふたりの幸福な瞬間がストレートに伝わってくる良い写真だった。
「この写真が、あなたにとって大事なものなんですね」
置部は一瞬驚いたが、何も知らぬふりをした。
「ええ┄┄。この写真を見ていると、とても気持ちがなごむの。わたし、この写真を撮った時が、一番幸せだった気がする。┄┄このいっしょに写っている人にもう一度会いたいの。体を全部さがし出して、現実に戻りたい──そういう気持ちも確かにあるんです」
「そうなんですか」
昨日、僕に煙草をくれた男は、この女と関係があるらしい、置部は思う。
彼は窪原にこの女が会いたいと思っていることを知らせたくなかった。もし窪原に会わせたら、そのまま置部のとことなど忘れられてしまいそうだった。




