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婚約破棄、してください。 

作者: 楽野うさ


「アレクシア・ケンプフェルト、本日を以て貴女との婚約を破棄とする」


学園での卒業パーティーにて、周囲の注目を浴びながら…ケンプフェルト侯爵家が長女、アレクシアは婚約者であるこの国の王太子クリストハルトより婚約破棄を告げられた。

7歳の時、同い年の彼と婚約してから10年もの歳月が過ぎていた。決して甘いものではなかったが、お互いに信頼しあった良い関係だったと思う。


10年間、私は彼のそばで過ごす事ができて幸せだった。


そんな事を考えながら、アレクシアは年齢よりも少し大人びたイエロートパーズの瞳を、怯むことなく真っ直ぐとクリストハルトに向けた。群青色の美しい髪が少しだけ揺れたが、誰も気づく事はない。


その隣にいる小動物のように可愛らしい令嬢が、エメラルドのように輝く大きな瞳に涙を溜めながら、アレクシアが愛した男の腕に寄り添っているというのに表情一つ変えていなかった。


先ほどまで楽しげに話をしていた生徒達は口を紡ぎ、多くの人々がいるというのに一瞬にして静寂が辺りを支配する。


金色の髪を後ろに流し、ブルーの瞳はいつも優しく微笑んでくれていたというのに…見た事もないくらいに鋭くさせ、元婚約者を冷たく見下ろしていた。


アレクシアはそれを見て、扇子で隠した口元を少しだけ和らげる。



こんなお顔もできるのね。悲しいけど、立派になられて嬉しいわ。



「…理由をお伺いしてもよろしいかしら」

「貴女は真面目で正しい人だ。だがそれは他人から見れば息苦しいもの。己の価値観を曲げることもせず押し付けることしかできない女性に国母には向かないと判断したのだ。」


そう。

私は国母には向いていない…そのように行動してきたのだから。


私は出会った瞬間から王太子に一目で恋に落ち、それからずっと彼を愛していた。

心優しく、繊細で、正義感の強いところも…いつも彼の一歩先を行く事で『婚約者に負けてなるものか』と必死に勉学に励むという負けず嫌いなところも、私が疲れているのを察して声をかけてくれるところも。

どんなに冷たく接しても、困った顔をしながら微笑んでくれるところも。


「そして、コリンナ嬢を我が婚約者としたいと考えている。彼女は身分は低いが心優しき女性だ。素晴らしい国母となるだろう」


まるで私に見せ付けるようにコリンナ嬢の華奢な体を抱き寄せた。

会場が一瞬ざわめく。


それでも私は彼を嫌うことはできなかった。

心は軋むほど苦しいというのに…少しでも多くの彼の表情を見ていたかった。

記憶の中に、焼き付けておきたかった。


「貴女は事ある毎にコリンナ嬢に辛く当たったと聞く。とても過剰に…それがなければこのような判断はしなかっただろう」


コリンナに辛く当たったのは将来を考えてのこと。男爵令嬢という低い身分でもちゃんとした礼儀作法を少しでも学んで欲しかったから。

多少は身に付いたのではないか、と思う。


そして、この婚約破棄をクリストハルトに実行させるためだった。

全ては計画通り。


そう、予想通りの展開なのだ。

複雑な気持ちの中、私は少しだけ気を緩めてしまう。


すると先ほどから続く胸の痛みの他に、ツキン、という痛みが増え、気付かれないように息を詰める。

心拍数が上がり、少し息が乱れてきた…これは発作の前兆だ…ここまでか。これ以上の長居はできないようだ。


私は自分の不調を気付かれないように、ゆっくりとした動作で扇子を畳み、傍の侍女にそれを預ける。

いつもそばに居てくれる侍女のアンだけは私の異変に気づき、私を気遣おうとしたが目線でそれを制した。

今までは夜だけであったのに、昼間もこうして私の体を蝕むのだから、もう限界なのかもしれない。

思ったよりも長生きできて良かったわ。


深呼吸をしてから最後になるであろう、愛する人の顔を見つめ、やがてゆっくりと礼をする。


「婚約破棄の件、承りました。我が父、ケンプフェルト侯爵に直ちに報告致し今後一切、殿下の前に姿を現さぬ事をお約束いたします」


これが彼との最後の会話になるのだ。

潔く、彼の元から去ろう。


愛され、慈しまれて育った彼の心が私のせいで一ミリも傷つかないように。

貴方は正しい事をしたのだと、自分を信じて素晴らしい王になって欲しい。


私の事など忘れ、心優しく穏やかな女性と一緒に幸せに生きて欲しい。それが私の願いだ。


「…分かってくれたのならそれでいい。だがこれからは良き友として、」

「私は知らないながらも未来の国母様に対し嫉妬に駆られ、辛く当たってしまいました。しっかりとケジメをつけたいと思います」


こう言えば私の性格を知っている彼ならこの場で了承せざる得ないだろう。


「…分かった」


予想通りの言葉に私はゆっくりと顔を上げ、あまり見せたことのない笑顔を向けた。

すると、クリストハルトは大きく目を見開き、口を引き結ぶ。

驚いたときの顔は、幼い頃と同じだわ。



「今までありがとうございました」




⭐︎



「お嬢様!!!」


パーティー会場を出て人目がない事に安堵した途端、私の体は崩れ落ちてしまう。

アンに支えられながら予め準備しておいた荷物を積んだ馬車へと乗り込み、公爵家へと向かった。


到着した時には既に自分で立つ事ができないほどになってしまい、出迎えてくれた執事や召使達が大慌ててで私を部屋まで運んでくれた。


寝巻きに着替えさせてもらい、ベッドに沈む。


青い顔をした父と母がベッドに駆け寄ってきた。


「アレクシア…なんてことなの…」

母が涙を流しながら私の手を握る。弱く握り返すと、両手で包まれた。


「お父様、先ほど殿下に婚約破棄を言い渡されました。」

「…そうか。ご苦労だったな」

父も涙を流しながら私の頬をそっと撫で、そして母の肩を慰めるように撫でていた。


「アレクシア…!!!」

足音と共に現れたのは二つ上の兄だった。


「お兄様…ふふ、慌てすぎです」

「馬鹿か!!大事な妹が倒れたのだ、慌てるに決まっている…何故、お前がこんな目に合わなければいけないのだ…!!」


確かに昼間にこうして倒れたのは初めてだった。いつもは予想する事ができ、ギリギリ手前で自らベットへと倒れ込んでいたのだから。


兄は額を抑え、その場に崩れ落ちてしまった。


「…大袈裟だわ。そんなに落ち込まないで…お父様、お母様、お兄様。分かっていたことだから」


いつも優しく愛しんでくれた家族を励まそうとしたが逆効果だった。

3人とも涙が止まることはなく、使用人達まで泣いてしまう。


私はというと、困ったなと力なく笑うことしかできなかった。




⭐︎



いつの間にか眠ってしまったらしい。

目を覚ますとすっかり外は暗くなっており、枕元のランプが優しく辺りを照らしていた。

少しだけ体力が戻ったようだが、夜は一層体が痛くなる。


「…っ。日に日に動かなくなっていくわ…」


なんとか軋む体を起こし、水差しに手を伸ばした。



この体は呪われし魔法によって蝕まれていた。




15年前に起こった戦争。

激戦の末、我が国が勝利したが…かの国には魔術師が居た。


その魔術師は我が国に命をかけて呪いをかけたのだ。


『国王にもう二度と子供が産まれないように。

たった一人の息子、幼き王太子が成人前に死ぬように。』


呪いは効果を発揮し、当時王妃のお腹にいた子は流れ…二人はその後二度と命を結ぶことはなかった。

そして2歳になるクリストハルト王子は健康体だったにもかかわらず、床に伏せる事が多くなってしまう。


王家は悲しみつつもこの呪いから解放される方法を探し求めていた。



私には生まれた時から魔の力が備わっていた。

5歳の時にそれが判明し、10歳になれば魔力測定を受ける予定だったのだ。


この国では魔力持ちは珍しく、遺伝というよりは魂に付随していると言われていた。

それは神々に愛された力。


将来は神殿にて人々の幸せを願う神子として、全ての人に愛されながら穏やかな一生を送る事ができる。

もちろん結婚もできるし、子供も産む事ができるのだ。

世界の幸せを願い、全てに愛され、歴史に名を残し、そして人より少し長い人生を歩む。


大事な娘の特別な力に、家族は大喜びした。

何より、愛する娘の幸せが確約された事に。

万が一戦争が起こったとしても、神子であるなら命は保障されるのだ。



そして私は7歳の時、王太子であるクリストハルトに出会ってしまった。

私は彼に一目で恋に落ち、心を奪われてしまったのだった。



体が弱いと言われているクリストハルトはその日は調子がいいからと、パーティーに参加していたのだ。

私も父に連れられたまたまそこに居合わせ、その輝くような金色の髪と宝石のような瞳、優しげな表情に心が吸い込まれていくような感覚がしたのを覚えている。


そして彼の周りに漂う黒い霧を見つけ、本能的にそれに手を伸ばし払うと…となんと私の体に吸い込まれてしまったのだ。


体中が熱くなり、痛みが襲いかかってきて…意識が遠のき、あっという間に気を失った。


王宮の客室で目を覚ました私の傍には、国王夫妻がいた。

そして、クリストハルトの婚約者になって欲しいと言われ、私に乗り移った呪いをなんとしても解くと約束してくれた。


だが、私は無理だろうなと判断したのだった。


この根深い恨み、辛み、妬み。

どす黒いこの呪いはきっとこの体が朽ちるまで離れはしないだろう、と。

幸い魂には食い込んでいないようだな、なんて7歳の私は冷静に考えていた。


魔力があるから、私はそれを体内に取り込んでしまった。

魔力があるから、私の魂はその呪いの干渉を受けずに済んだ。


そして、私がこの呪いを追い出そうとすることもできるが、そうすれば誰かが身代わりにならなければいけない。私はその方法を知っていながらも、決して言ってはならないと心に決めた。


両親は激怒した。

幸せが確約されたはずの娘の体は、呪いの力で成人である18歳まで生きる事ができるかどうかだという。


だが、国王夫妻に頭を下げられてはどうしようもない。


「賠償金なんかいらない…っ!!!アレクシア…私たちの大切な娘…なぜお前なんだ!!」


父も母も、乱暴者の兄すらも私が呪いから解放される方法を探してくれた。

他国の書物を取り寄せたり、呪いに効く薬草を飲んだり、有名な神父様のヒーリングを受けたり。


どれもほんの少し楽になるくらいで、大きな成果はなかった。

私は私のために頑張ってくれている家族や、王家の方々に申し訳なく思っていた。


私がクリストハルトを愛してしまったばかりに、こんなに心労をかけてしまうなんて。

だが、この国で唯一の存在を助ける事ができたことに、私は満足していた。


魔力持ちの寿命は150年と言われている。

それがたった18年しか生きられないと、皆は嘆く。


だが、長さなど私にとってはどうでも良かった。

ただひたすらに、愛する人を救う力を持っていたことに感謝していたのだ。



私はクリストハルトにこの事を黙っていて欲しいと懇願した。

彼に傷ついて欲しくない。

負い目になりたくない。


私はただ、彼に幸せな未来を生きてほしいと思った。


私はひたすら勉強に励んだ。

病弱で少し遅れていたクリストハルトに勉強を教えたくて。

そして、いつか私を追い越し、立派な王になって欲しくて。


ある日のことだ。

13歳の時、クリストハルトと王宮のバラ園を散歩している時に私はつまずいて転びしそうになった。

それをクリストハルトは支えてくれ、いつも澄まし顔の私は思わず動揺してしまった。


大好きな人に後ろから抱きしめられるように支えられたのだ。

ダンスの時とは違って、不意打ちで、心の準備ができていない状態で…


「アレクシア、大丈夫?」

「は、はい…っ」


耳元で声がして、私は体中が熱くなるのを感じた。

心臓がドキドキして、ずっとこのまま抱きしめて欲しいと思う。

この時間が永遠に続けば良いのに、と願ってしまうほどに幸せな瞬間だった。



だが、私の中で黒いモノがズズっと動く感覚がした。




私は一気に頭が冷え、背筋が凍る。

呪いが、動いたのだ。

本来の標的を確認するかのように…


私は咄嗟に彼を突き飛ばし、私の名前を呼ぶ彼を無視し…なるべく遠くへ行かなければと走った。

この呪いを逃さないように。彼に渡さないように。


私の中にしっかりと留めておくように、誰も来ないような物置の中で蹲り、必死に自分の体を抱きしめた。

そして私の中にある魔力を集め、ソレを囲う。


力を使いすぎて気を失った私は、夕方、探し回っていた騎士たちによって発見され…そのまま帰宅した。


それから、私は必要最低限しか触れないようにした。

クリストハルトは以前よりも気を使うようになり、私のせいで傷つく彼を見たくなくて…私は少し距離を置くようになった。


時間が経って、その距離にも慣れてきて。

幼い頃はそれなりに親しい間柄だったというのに、私にとってクリストハルトとの時間は宝物のような大切な時間だったというのに…私は彼を守るためにその時間を捨てることにした。


彼のために、私ができることは何かといつも考える。


15歳から王立学園へ通うことになり、私たちの距離はどんどんと開いていった…だから、クリストハルトがとある可愛らしい女性と楽しく話しているのを見て、彼の笑顔を久々に見る事ができて嬉しいと思ったのと、その隣に私が立てない事に悲しみを覚えた。


「良かった…これでクリストハルト様は幸せになれるわね」

「お嬢様…」


いつも私に寄り添ってくれるアンは、私の為に、私の代わりに涙を流してくれた。


「ありがとう、アン。」

「…いえ、も、申し訳…ございませ…っ」


その姿を見て、私は一粒だけ涙を流してしまった。



⭐︎



私は国王夫妻と定期的に連絡を取りあい、クリストハルトには王妃になるための授業だと伝えて月に一度、謁見をしている。

いつもこれと言った報告もなく世間話をしていたが、今日は嬉しい知らせを伝える事ができる。



「陛下、クリストハルト様が恋をしました」



15歳の初夏。

クリストハルトは男爵令嬢に恋をした。

ずっと見ていたから分かる、彼の表情。


それが明るくなってきたのだから、間違いない。


「その令嬢はとても穏やかでお優しい方ですわ」


噂を聞き、それとなく調べてみると身分は低く教養はまだまだだが素質はあると判断した。


「アレクシア…」

「私、殿下と婚約破棄をしたいと思っています」


このままではクリストハルトを残して死ぬことになるだろう。

呪いのことを彼は知らない。


心優しい彼は私の死に耐えられるだろうか。

自分が受けるはずだった呪いで、自分のせいで、と一生気に病むことだろう。

そんな辛い人生を歩ませるわけにはいかない。


私が死ぬことよりも、クリストハルトに傷を負わせて逝く方が心配だった。


国王夫妻は私を抱きしめて、涙を流しながら謝罪してくださった。


「これが、私の愛し方なのです。気になさらないでください」


それに私は思ったよりも症状の進行が遅いように思った。これも私が魔術持ちだからだろう。

成人前というあやふやな設定ではあったが、とりあえずは15歳になった時点でも昼間は普通に動けたのだから。


ただ、この頃から一層夜が辛くなっていた。

日が沈むと体に激痛が走り、気を失うように眠りにつく。

たまに目を覚ますことはあるが、節々が軋み、結構辛かった。

日が昇るとそれは和らぎ、普通に体を起こすことが出来るのだ。


こんなに辛いことを、彼に味あわせずにすんでよかった。


だが、私にはまだ死の兆候は現れていないように感じる。

あと3年、生きられそうだ。


両親に婚約破棄の件を報告すると、また怒らせ、泣かせてしまった。


「親不孝な娘でごめんなさい。でもね、私クリストハルト様を愛しているのよ。不思議だわ…彼が幸せになれるのなら、私はどうなってもいいと思ってしまうの。こんなに人を想う事ができるのは幸福な事よ。お父様、お母様、私のわがままを聞いてくださってありがとう。私、この家に生まれてきてとても幸せだわ」



⭐︎


それから、私は二人を陰ながら応援することにした。

王太子であるクリストハルトと親密になると、周りが黙っていない。


私は彼女に群がる令嬢たちの悪意を遠ざける代わりに、厳しく接することにした。

礼儀作法がまだまだだったので、ことある毎に口を出し注意をする。

最初はメソメソとしていたが、次第に形になっていく事に私はほっと胸を撫で下ろす。


クリストハルトには特に何も告げずに、何か言いたげな彼を無視して…私は私の目標に向かって進んでいく。


二人がどうか幸せになるように。

もっと他の方法があるかもしれないが、私はあと数年の命。

それならば、居なくなって良かったと…思われるような存在にならなくては。


私の死が二人の幸せの邪魔をしないように。

情を残さないやり方が一番良いと思ったのだった。



そして、私は目標を達成する事ができた。




⭐︎




婚約破棄をした日から一ヶ月。

毎日城から医者や神父様が訪ねてきてくれた。


最近では昼間でも怠さがひどく起き上がることもままならなくなり、あとは死を待つだけかと腹を括っていた。


「…私は悔い無く過ごしてきました。あとは静かに死を待つだけです」

「諦めてはなりませぬ。貴女はまだお若いのだから」


70歳を超えている神父様は私を仕切に励ましてくれる。

そして、私の体に手をかざし聖なる光で治癒魔法をかけてくれるので、その時は少しだけ楽になった。


「いつもありがとうございます。おかげで痛みから解放される時間ができて嬉しいわ」

「それは良かった。」


神父様は微笑み、私の痛みを少しでも和らげようと送る力を少し強めてくれた。

きっと、神父様もこれ以上は辛いだろう。無理をさせてはいけない。


「…もう十分ですわ。ありがとう」

「アレクシア様。殿下にはお会いにならないのですか」


その言葉に、少しだけ体が跳ねる。


「もう二度と姿を見せないと約束しました。私はあの方が幸せに生きてくれさえすれば、それで良いのです」

「ですが…」


「彼の中では私は少し融通の利かない、意固地な女性だったと記憶しておいて欲しいのです。思い出す事も嫌だと思われたい。こんな…同情を引くような姿ではなくて」

「ですが、それではアレクシア様が余りにも…!」


私は神父様に微笑みを向ける。

私の周りの人は皆優しい。こうして私を思って心を痛め、思いやってくれるのだから。


「ありがとうございます、神父様。どうか私がこの世から居なくなった後、私の代わりに殿下を見守って下さい。道を踏み外す事なく、幸せな時間を過ごす事ができるように」


その時、ドアが勢いよく開いた。

またお兄様かしら、なんて思いながらそちらに視線を向けると、


「アレクシア…今の話は」


久々に私の名前を、私が愛する人の声で耳に流れ込んでくる。

これは幻覚かもしれない。と、一瞬耳と目を疑ってしまう。


いつも身綺麗にしているクリストハルトは金色の髪を振り乱し、額に汗を浮かべて立っていた。


「…殿下…なぜ」


そう問いかけた私の声はか細く、震えていた。

二度と会えないと思っていたその人の顔を見た途端、涙が溢れてしまう。

視界がぼやけては熱い涙が頬を伝い、それを拭うこともせず私は彼を見つめた。


クリストハルトは辛そうに眉間にシワを寄せながら、ゆっくりと近づいてきた。


「すまない、アレクシア」


その切なげな言葉に、私は正気を取り戻した。



「こちらに来てはいけません!!」



びくっと体を揺らし、クリストハルトは立ち止まる。

今の私は衰弱している。折角ここまで来たのに、弱っている私の体から彼に呪いが移って仕舞えばこれまでの努力が水の泡だ。


「私は流行病にかかったのです。感染るかもしれないので近寄らないでください」


キッパリと言い切ると、いつもの彼なら私の言うことを聞いてくれる。

それなのに、今回は違った。


「アレクシア、何故教えてくれなかったんだい?」


再び、ゆっくりと足を進めながら…クリストハルトはその美しい瞳に涙を溜めながら近寄ってくる。


「何のお話ですか?これは殿下に関係のない病です。神父様、どうか殿下を」

「どうして呪いのことを、教えてくれなかったんだい」


私は驚き目を見開く。

この様子では先ほどの私の話を立ち聞きしただけではなく、どこかで事情を知ってしまったのだろうか。

あれだけ言わないで欲しいと伝えたというのに、誰が彼に教えてしまったんだわ。


「神父様!!お願いです、殿下を遠ざけてください…っ!!呪いが移ってしまうかもしれない…!!」

「殿下、お下がりください!」


ベッドから三歩ほど離れた所で神父様が止めてくれた。

私もなんとか体を起こして、少しでも離れようと広いベッドの上で後ずさる。


「アレクシア…お願いだ、君に謝りたい。そして…君を抱きしめたいんだ」

「あなたには新しい婚約者がいらっしゃるではありませんか!私とあなたのご縁はもう切れております。元婚約者の部屋を訪ね、不必要に触れ合おうなど…そんなこと、絶対にしてはいけません!!」


息を切らしながら強く言う。

それなのに、クリストハルトはいうことを聞いてくれない。


「確かに、私はコリンナのそばに居て安らぎを覚えた。あの時はそう思った。」

「それで良いのです。コリンナ様はお優しい方、きっと素晴らしい国母になられますわ」


涙を拭い、私は深呼吸をしながらなるべく落ち着いた声でそう告げる。

愛おしい人が目の前にいる喜びと、呪いを自分の中に留められるだろうか、という不安が混じり合い…私の体は緊張していた。

冷たい指先でシーツをぐっと掴み、意識を保つ。



「それが不思議なんだ。君が私の前から居なくなってから…世界は色あせてしまったんだよ。なんて自分勝手な感情だろう…私は君に別れを告げたあの日から自分を責め続けていたんだ」



切なげに微笑むクリスハルト。


私の胸がぐっと痛む。

嬉しいような、辛いような。複雑な気持ちだった。


「…それでも一度決めたことです。王となるならば有言実行をし、それがもし誤りだったとしてもやり抜かなければいけません」



「私はアレクシアを愛しているんだ。ずっと前から、君を愛している」



ドクン。

私の心臓が大きく脈打ち、黒い呪いが動き出す。

いけない。


必死に胸を押さえ、押し込めながら叫ぶ。


「殿下!!!ダメです、もう出て行って!!二度と私の前に現れないでください!!!」


その様子を見かねた神父様は一歩前に出た。


「アレクシア様!!ああ、殿下…どうかアレクシア様の願いをお聞きください。これまで必死であなた様をお守りしてきた彼女の気持ちを汲んで差し上げてください!」


ドクン、ドクン、ドクン


頭の中で鳴り響く音は心臓の音なのか、それとも呪いの影響なのか。

私は自分の体を抱きしめ、溢れそうになるそれを必死に押さえ込んだ。


「私が代わるよ」


その言葉に思わず顔をあげた。


「何を…ダメです!」

「アレクシア、君を失うくらいなら死んだ方がマシなんだ」


涙がいく筋も溢れ私の頬を濡らす。

もうぐちゃぐちゃだ。


「嫌です!!お願いです、殿下…生きてください、私の分も幸せになってください、私のことなど忘れてください!!」


神父様を制し、クリストハルトは私に近づいてくる。

やがてベッドにたどり着き、私に手を伸ばしてきた。


夢のような光景…でも絶対に触れてはいけない。

命をかけて、守りたいと決めたのだから。


「やめて、お願い…私に触れないでください…っ」


軋む体、襲いかかる激しい頭痛、私にはもう逃げる体力はない。

もう泣きながら懇願するしかなかった。


「やっと捕まえた」


大きな手が、私の肩に触れた。その瞬間、私の体はびくっと震える。

そして優しく引き寄せられ…あっといまに広い胸に抱きしめられてしまった。


「お願い…離してください…っ」


小さな声でそう言うと、ぐっと抱え込まれてしまう。


理性ではいけない、と思うのに…私の心の方は嬉しい、と叫んでいた。

もうどうして良いか分からず、身動きせずに蹲ることしかできない。


「こんなに小さな体で…ずっと一人で耐えてきたの?何故相談してくれなかったんだ」

「…私は死ぬ運命。あなたには関係ないことです」


彼の大きな手が、私の髪を優しく撫でる。

緩みそうになる気持ちを必死に立て直す。ダメ、絶対にこの呪いは渡さない。


「私にかけられた呪いなのに?」

「今は私のものです」


抵抗する気力もなく、私はされるがままだった。


「私は君に嫌われているのかと思っていたんだ。触れようとしても避けられるし、いつも厳しいことばかり言うし、夕方以降は絶対に会ってくれなかった。夜にしか咲かない花を見せたいと言っても、パーティーがあると言っても、…二人で夕食を取りたいと言っても断られたから」


「申し訳ありません…日が落ちると起きていられなかったのです。必要以上に触れればこの呪いは貴方に移ってしまうかもしれない」


私を抱きしめる手に力が篭る。


「すまない。」

「私が選んだこと。…謝る必要はありません。」


今までのわだかまりがどんどんと溶けて無くなっていく。

嬉しい反面、とても辛い。


そう思いながらも、私は愛する人の腕の中にいる事がやはり、とても…嬉しい。

これ以上ない幸福に包まれていることを、もう否定できなくなる程に感じていた。

胸の中にある呪いを抱えながら、私はふっと体から力を抜いてみる。


そして…この想いを否定できずに受け入れて仕舞えば、思い残すことは何もないと晴れやかな気分になっていった。いつの間にか頭痛も消えているではないか。

すると、魔力が溢れて来るのがわかる…ああ、こういうこともできるのか、なんて心の中で笑ってしまう。


素直になれば…体の力を少し抜いただけで調子が良くなるなんて。


「殿下、私は今とても幸せです。」

「…アレクシア。私もだよ、君を抱きしめる事ができてとても幸せだ。ずっとこうしたかったんだ」


髪を撫で、頭にキスを落とされ…私は愛されているのだと。この瞬間だけは彼は私のものだと、浅ましくもそう思いクリストハルトの温かな胸に寄り掛かった。

そして私は自分の心臓の上に両手を重ねた。


「私はとても幸せな人生を過ごす事ができました」

「…何を言うんだ。君の人生はこれから…」


私は顔を上げ、これ以上に無いほど近くにあるクリストハルトの大好きな瞳を見つめた。

そして、感謝の気持ちを込めて微笑む。


「だから、殿下も…幸せな人生を送ってくださいませ。貴方は国にとって重要な存在です。貴方の気持ち一つで危険に晒してはいけないのですよ。貴方なら素晴らしい王となるでしょう」


「アレク…」

「アレクシア様!!!」


私のやろうとしていたことに気づいた神父が止めようと手を伸ばす。

いつの間にか両親が居て、私の名前を呼びながら駆け寄ってきた。

やだ、お兄様まで来ていたの?クリストハルト様に告げ口したのはきっと貴方ね。仕方のない人だわ。


私の心は落ち着き、全てがゆっくりと動いているように見えるから不思議だ。


「一生お伝えしないつもりでしたが、私はクリスとハルト様をお慕いしております。心から、愛しております。だから、さようなら…私の最愛の人。必ず幸せになってくださいね」


押さえ込んでいた黒い呪いを心臓へと集め、私はそこにありったけの魔力を放つ。

そうすれば、この呪いと共に消滅できるはずだから。


身体中が熱くなり、内側が弾けるような感覚がする。

痛みはない。不思議なものだ。


それにしても…愛する人の腕の中で死ねるなんて、私はなんて幸せ者なのかしら。

ああ、でも。

彼に傷を残してしまった。それだけが心残りだわ。


今までになく穏やかな気持ちのまま、真っ白な世界に私の意識は沈んでいった。




⭐︎



気付けば、私は空の上にいた。

なぜ分かるかというと、抜けるように真っ青な空が頭上に広がっていて、私の足元には普段見上げていた筈の白い雲があったからだ。

足を動かしてみると、ふわふわの雲が思ったよりもしっかりとしていて、驚く。


「お目覚めかな」


不思議な声に私は顔を上げ、辺りを見まわした。

すると、まるで女神様のように美しい人が白いシンプルなワンピースを着て立っている。

銀色の長い髪にアメトリンのような紫と黄色の不思議な色合いをした瞳を持つ女性は、私を見つめて微笑んでいた。


「あなたは?」

「この世界の創造主だよ。神様、とでも言えば分かりやすいかな」


平民のような話し方に、見た目とのギャップがあったが…状況とこの女性の神々しさを見れば彼女が神様であることは間違い無いだろう。


「私は死んだのですね」


神が目の前にいるということは死後の世界ということか。

久々にあの呪いの苦しみから解放されたことに気付き、息を吐く。


…息を吐く?死んだのに?


そのことに疑問を持つと、神様は「理解が早いね」と嬉しそうに言った。


「まだあなたは生きているよ。今は精神世界にいるだけ。ちゃんと肉体は彼方の世界にある。だから体があった時と同じように感覚を感じるんだよ」

「…呪いは…あの呪いはどうなったのですか!?私の体が朽ちない限り、あれは…!!!」


「大丈夫。そのことについてはもう終わったよ。あなたの大切な人たちも無事」


興奮する私を宥めるように、優しくそう言われ…一瞬理解するために固まり、少しだけ息を吐く。


「…申し訳ございません。なんというか、信じられなくて」

「良いよ。時間はたっぷりあるからさ、ゆっくりしていけば?話し相手になるし」



それから、私は神様と話をすることにした。


まず呪いはどうなったかというと、無事に浄化されたという。

神様は仕切りに「愛の力だね」と言っていたが、思わず首を傾げてしまう。


「え、まさか覚えていないの?」


そう言えば、クリストハルトの胸の中で自爆したことはなんとなく覚えているが、全体的に朧げかもしれない。


「あなたが王子に告白をして、あなたは自身に残酷な魔法をかけた。あなたは光に包まれたけど、彼はあなたを繋ぎ止めようとしっかり抱きしめてキスをしたんだよ。みんなの前で…やるよね」

「は!?」


私は真っ赤になって、停止した。何それ全く覚えていない。

え、キス!?

そんな、家族もいる前で!?


一人動揺していると、その様子を見て神様はお腹を抱えて笑い、私はそんな姿を恨めしげに見つめる。


「あの戦争は相手が引き起こしたものだった。あなたの住む国を我がものにしょうとしたから迎え撃ったの。しかもしつこくてね…敵国を滅ぼすまでに至ってしまった。それで呪い飛ばしてくるとか、どこまでしつこいんだよって思わずツッコミ入れちゃった。だから、その呪いも私は消す予定だったのよ?なのにあなたが抱え込んで魔力で防壁を作ってしまうものだから、どうしようもなくて」


はぁ、とため息をつく神様。


「…え!?……ええ!?!?」


もしかして、私はいらないことをしてきたのだろうか。

放っておいても神様がなんとかしてくれたのか!?

私が目を白黒させていると、神様は気にすることなく話を続ける。


「実はこの世界には元々シナリオ…決められた物語があってね。王子様と男爵令嬢の恋の話なんだけど、途中から何故かストーリーが変わってきてしまって。二人の仲を邪魔する筈のとある御令嬢が予想外の動きをしてさ、あれー?と思ったけど、その方が良いなって思って何もしなかったんだ。個人的には大成功よ。ちなみに呪いについては王子が10歳になる時に解く予定だったの」


「そ、そんな…!私はいったいどうしたら良かったのですか!?」


神様はにっこりと微笑む。


「何も間違っていないよ。運命をある程度設定していたけど、個人の意思に任せているからね。元々のシナリオでもあなたは王子を愛することに変わり無かった。ただ、愛し方が違っていただけ。そうだなぁ、もしあなたの魂に魔力がくっついていなければ、今とは正反対の愛情表現をしていたかもしれない。でも、あなたはそうならなかった。それで良いの」


納得したような、できないような。

不満そうな顔をしていると、クスクスと笑われてしまう。


「そろそろ肉体に戻ると良いよ。呪いの影響ももう綺麗に消えたし…魔力も元に戻っているみたいだしね。ちゃんとヒーリングしておいたから、そこまで辛くないと思う」

「あ、ありがとうございます。また、お会いできますか?」


美しい神様の瞳を見つめると、彼女はそれはそれは美しく微笑んだ。


「…そうだね、いつか会えるんじゃないかな」


私が何か言おうと口を開いた時、急に浮遊間に襲われ慌てて辺りを見回した。

晴天だった空は凄い速さで柔らかな夕陽色に包まれ夕闇に包まれていき…今日という日の終わりを告げてくる。


足元の雲が裂け、私は元の世界に戻るのかと察してからもう一度神様に目を向けた。

するとそこには、銀色の髪は黒くなり、アメトリンの瞳は焦げ茶色になった、少し地味な、とても懐かしい顔立ちの女性が立っていたのだ。


「幸せになってね、バイバイ…透子」

「え…?」


神様と同じ声がその女性から発せられる。


トウコ?

どこかで聞いたことのある響きをきっかけに、私の頭の中で膨大な記憶が一瞬にして蘇る。

何これ、…前世の、記憶?


「…有紗?」


ふと浮かんできた名前を口にすると、彼女は顔をくしゃっとして涙を流した。

私は薄れゆく意識の中で彼女に手を伸ばす。


「有紗!!なんで先に教えてくれなかったのよ…!!」

「教えたら、ここに残ろうとしちゃうでしょ。透子はあっちの世界で幸せになってよね」


じゃあね、と彼女は手を振る。

私は必死に目を開けようとするのに許してもらえず、そのまま光の中へと落ちていった。



⭐︎



…私の前世。


蘇りはしたものの、詳細には覚えていない。

地球の、日本という国で生まれ育ち…30代まで生きたような気がする。

どうやって死んでしまったのかも忘れてしまったが、これだけは鮮明に覚えている。


透子の転生先は、社会人になってからハマった乙女ゲームの中だという事。

学生時代からの友達である有紗もそのゲームが大好きで、居酒屋で一緒に語り合った事。

不思議なものだ。他にも好きだったゲームは色々あったのに、今はそれしか思い出せない。


内容は、主人公であるコリンナ男爵令嬢は、5人の攻略対象の中から相手を選んで会話をし、好感度を上げて攻略していく、という王道ストーリーだった。

私は特に王子が好きだった。推しだった!!


物腰の柔らかい、イケメンで優しく素敵なキャラクターだった。

他のキャラの方が人気ではあったが、私はこんな人と結婚できたらなんて思っていた。


そうだ。

彼は呪いの影響で10歳まで床に伏す生活をしていたのだ。

ある日療養に暑地へ行った際、たまたま両親と親戚の家に来ていた幼いコリンナと出会い、話をした事で元気をもらったクリストハルトは「もう一度会いたい!」と思い、気持ちが前向きになった途端に呪いが解けるという奇跡を起こすのだ。


あら、シナリオ逸らしちゃったのね。でも最終的にくっついたから問題ないだろう。


兎に角、クリストハルトとコリンナは再会した瞬間から恋に落ちていき、ラブラブイチャイチャするのだが、それがいつも羨ましいと感じていたのだから重傷だったと思う。

ゲームの中なのに、羨ましいとか…!でも、あんなに愛されたら幸せだろうなって思っていた。


アレクシアは悪役令嬢、というよりかは当て馬的な存在だった。

大人しく控えめなアレクシアはクリストハルトの一歩後ろに居た。穏やかで優しい性格であったが、コリンナの存在に嫉妬してしまい…最終的に殺傷未遂事件を起こしてしまう。

その影響で婚約破棄となり、コリンナたちはハッピーエンド。アレクシアは修道院へ行くことになりその余生を慎ましやかに過ごすという結末だ。


…思い返せばコリンナという女性はいい性格しているよなって思ってしまう。婚約者のいる男性をゲットしちゃうとか…アレクシア目線で考えると納得いかないのも無理はない。

あれだな。これは最初に覚えていたら、ちょっと違う結末になったかもしれない。逆に覚えていなくてよかったな。


確かに私はゲームの中でも、こうして記憶を完全に取り戻す前もクリストハルトのことが大好きで、心から愛していた。


コリンナのことは引っかかるけど、クリストハルトが幸せに過ごしてくれるならもう何も言うまい。


私たちは婚約破棄をしたのだ。

例え、両思いだとわかったところでもう一度やり直す事はないだろう。


目覚めたら何をしよう。

修道院送りにはならないだろうから、お父様に頼んで素敵な婚約者を探してもらおう。

パーティーへ出掛けて自分で探してもいい。


ああ、でも婚約破棄された女なんて良い印象ないだろうな。

それなら、後妻でもいいかもしれない。年上の穏やかな男性と過ごす人生も悪くないわ。


そう言えば有紗は「全員大好きだから、全員幸せになって欲しい!」という無茶振りな願いを口にしていたような?


まさかそのせいで、神様という立ち位置に転生したのだろうか。何それ凄い。

出世した、という事でいいのだろうか。今度会ったらからかってみたい。


あー…一体何なんだろう。

私は今眠っているはずなのに。

また眠たくなってきた。



意識が、保てなくなって行く…

私は目が覚めたら、今度は自分の幸せのために生きようと心に決めたのだった。



⭐︎


ドンっと、急に体が重く感じ目を覚ます。

ゆっくりと瞼をあげるとそこは私の知らない場所のようで…薄暗い天蓋の中で寝ていたようだ。

身じろぎすると体が思うように動かない。

だが、肌触りの良い寝具と柔らかいベッドに大切に寝かされているのが分かって嬉しかった。


声を出そうとすると、喉がひりつき驚いて思わず咳き込んでしまう。

水はないだろうか、と頭を動かしていると急に天蓋が開かれ、午後の日差しが差し込んできた。


「お嬢様!!!!」


アンだ。

彼女は私見つめて震えながら涙を流し、やがてその場に崩れ落ちてしまった。


「ごめんなさい、また、泣かせてしまって…」


掠れた声を何とか振り絞る。声を出すのってこんなに体力を使うものだったのか。

慰めたいのに手も満足に動かない。


悩んでいると、アンはいきなり立ち上がり駆け足で走り去ってしまった。

誰かに知らせに行ったのであろう。


改めて天蓋の隙間から部屋の中を見ると、やはり見覚えのない場所だった。

我が家もそれなりに裕福だけど、ここもかなり豪華な作りをしている。

勿論病院ではなさそう。


そう言えば、アンの雰囲気が少し変わっていたような気がするなぁ。

私よりも二つ年下の彼女は確かまだ…15歳で。何だか大人っぽくなっていたような?


そんなことを考えていると、足音が近づいてきて、ここからでは見えない位置にあるドアが開かれた。


「アレクシア!!」


金色の髪を持つ青年が私を見るや否や、覆いかぶさるようにして抱きしめてきた。


「…クリストハルトさま…?」


脳味噌の処理速度までもが遅くなっているようだ。仕方ないよ、お腹ペコペコだし。

なんだか別人に見えたけど、この声は確かに彼の声。

前世含めて大好きだった王子の声を聞き間違えるわけがない。


だが、抱き返そうにも体が思うように動かないから仕方ないわ。


いつの間にか天蓋が開かれ、気づけば両親もそこにいるではないか。

あれ、二人とも老けた?もしかして心労で…?申し訳なさすぎる。


「殿下、そろそろ良いでしょうか」


父の優しい声がした。その声でやっと私は目覚めたんだなぁ、と実感することができた。

私はそっと解放され、改めてクリストハルトの顔を見てみた。


あれ、なんだか記憶の中の彼よりも大人になっているような。

じっと見つめていると彼の少しカサついた指先が私の頬を撫でる。


「良かった、目が覚めて」


心底嬉しそうな顔で見つめられ、ああ、やっぱりカッコいいなぁ…と見惚れてしまう。

しかしイマイチピントが合わない思考のまま、ぼーっとしていると今度は両親が私を抱きしめてきた。


そして二人は泣いていた。

なんだか、私はみんなをいつも泣かせてばかりだ。


「あぁ…3年も眠っていたのよ…もう二度と目覚めないかと思ったわ」


母のその一言で私は驚いて一気に覚醒した。

そ、そんなに!?本当ですか!!


動揺しているうちに私は水を飲ませてもらい、流動食を食べさせてもらい…そこからは寝ては食べ、手足のマッサージをしてもらい、というような生活を送った。



私は3年、王宮の一室にて治療を受けながら眠っていたという。

あの天国のような場所では精々1日くらいの感覚だったのに。

前世の記憶を少しだけ思い出したおかげで、私の思考回路は目覚める前よりも砕けた感じになっていた。

まぁ、平民としての感覚を持っていれば結構何でも乗り越えていけそうな気がする。


使えるものは何でも使っていこう、うん。



それから…目覚めてから一週間経った。

体力も回復してきた。どうやら魔力持ちだからか頑丈にできているらしい。

実際、生まれてこの方呪い以外の体調不良はなかったし健康優良児なのだろう…と言っても、魔力を心臓に集めて呪いごと崩壊させるという、無茶なことをしていたせいもあって周りは過保護だった。

もう一人でご飯も食べられるし、歩けるし、なんなら散歩だっていけそうなのにベッドに寝ているように言われる。


以前は本当に体が辛くて起きられなかったが、今はまっさらな健康体。

寝ている方が苦痛だった。

しかも3年寝ていたと言うことは、私はすでに20歳になったと言うことなのか?

と言うことは、結婚適齢期の後半なのでは!!ヤバイ。今が旬なのだ、早く売り込みに行かなくては。


現在、呪術の後遺症がないかの確認のため王宮で治療中ということだが、外の情報が全く入ってこないのだ。

アンに聞いても何故か答えてくれない。今後の為に、是非とも教えて欲しいのに…結婚してくれそうな人がいるかどうかを。


そういえば1日一回、何とクリストハルトが顔を見せに来てくれる。

大好きなお顔が見れて嬉しい反面、切ない気持ちになってしまう…が、せっかく来てくれるのを断るわけにも行かない。

世間話でもしようと、何なら外の様子を教えてもらおうと思いながら話しかけるのだが、何故だか決まって足早に居なくなるのだ。

あれかな。自分のせいで、とか気にしちゃってるのかな。

もう平気なのにね、全然気にしなくていいのに。


それに私たちは婚約破棄をした仲だ。


私も彼のことがとても好きだ。一生この気持ちを抱えたまま生きていく覚悟はある。

朧げではあるが告白をしたし、さらには告白をされたような覚えがある。ただしキスは覚えていない。


でもあれから3年経ったと言うし、既にコリンナ嬢と結婚したのかもしれない。

それならば、さっさとここを去った方がいいと思うのだ。


もう何も問題ないし、前世の友達である神様の太鼓判までもらっている。

どうしてもまだ休めと言うのなら、自宅療養に切り替える方がいいと思うんだ。


今日も今日とて、いつもの午後の昼下がりに早速クリストハルトがやってきた。

小さな花束を持って「体調はどう?」と聞いてくる。問題ないと告げると間があき…話しかけようとすると帰ってしまう。


今日こそ、捕まえてみせる。

ベッドの上から彼を微笑みながら出迎えた。

…以前に椅子に座っていたらベッドに行くように言われたことがあるので、一応いつもここで待つことにしている。


今日はピンクのガーベラの花束だった。

「体調はどう、かな?」

「ええ。もうすっかり元気です。そう言うわけで、実家に帰ろうと思っております。今までお世話になりました」


今日は間を開けずに言い切ってみた。

そして頭を下げてからゆっくりと上げ…クリストハルトの顔を見て驚いてしまう。


「な、なぜ」


何故、この世の終わりのような顔をしているんだろう。

疑問に思いながらも、自分の気持ちをちゃんと伝えなくてはいけない。


「私たちはすでに婚約破棄をしております。あれから三年の月日が流れたと言うのなら、殿下にも婚約者がいらっしゃるか、もしくはご結婚されているのではないか、と思います。それならば、私は早めにここを去った方が醜聞にならずに良いのではないか、…と、思い…」


私が話をしている間に彼は私に近づき、更には抱きしめてきてしまった。

爽やかな柑橘系の香りと優しい温もり。

柔らかな金色の髪が頬と首筋を擽る…ただしその細身ながらもしっかりとした体は少しだけ震えていた。


「…殿下、どうぞお離し下さい。」

「行かないでくれ」


かすれた声が耳を擽る。

まるで幼い子供のようで、私はどうしたものかと考えてしまう。

…好きな人に抱きしめられては私の気持ちも揺らいでしまうではないか。


「…私たちはもう赤の他人なのです。婚約破棄をし、呪いから解放され、もう私たちをつなぐものは何もありません。気に病むことはないのですよ…殿下、どうか私のことは忘れてくださいませ。そしてお心のままに、愛する方を大切にして差し上げてください」


抱き返すことも無く、率直に意見を言うとクリストハルトの腕の力が強くなってしまった。


「私が大切に思うのは、君だけだ」

「ありがとうございます。その言葉だけで私は救われますわ」


仕方ない子だなぁ。

そう思いながら、ポンポン、と彼の背中を叩く。

駄々を捏ねる子供のようだ。


「何故私の気持ちをわかってくれないんだ」

「…そうですね、もし私を側妃に迎えたいなどと仰るならお断りしないといけない、と思いまして。私は旦那様を誰かと共有することは避けたいのです。それなら一人で生きた方がマシですわ」


オホホホ、と、ちょっと冗談っぽい口調で伝えてみる。

王族に関しては一夫多妻制なのだ。私には無理だ。それこそそのうち嫉妬に狂って殺傷事件起こしちゃうかもしれないし。

それだったら、穏やかに生きていきたい。


するとクリストハルトは私から離れ、至近距離の真正面から真っ直ぐに見つめてきた。

イケメンの顔面ってすごい破壊力があるわね。カッコいい、素敵。


「何を言っているのだ」

「…もし、そんなことを仰るのであれば…気は引けますが呪いをこの身に受けてきた褒美として、他国に嫁げるよう取り計らって頂きます。」


そうだ、そうしよう。自分で言っておいて感動。

私ったらナイスアイディアだわ!実家を離れるのは寂しいけど、私そういえば魔力持ちだった。

どこでも重宝されるようだし、確か伴侶も選べるって聞いた。


そうだそうだ!それならいき遅れるなんてことはないかもしれない!

世間から幸せを約束された力を持ってたの忘れていたわ!!


と、明るい未来について考えているうちに、至近距離の顔がさらに近づいてくることに気づき、咄嗟に彼の顔を両手で挟んで止めてしまった。

やだ、お肌スベスベ。お髭もあまり生えないタイプなの!?

や…やだ、イケメンなのに目つきが怖い。


「…離せ。」

「…それ以上近づくと、良くないかと」


ベッドの上で、ま、まさかチューしてこようとしているのかしら。

馬鹿か、馬鹿なのか。こんなの見られてしまったらいくら魔力持ちとはいえ醜聞になってしまう!

好きだけど、流されるわけには行かない!!


「私の幸せを思うなら、お手付きなどにしないで頂きたいですわ」

「…言っておくが、私は結婚などしていないし、婚約者は一人だ。そして側妃を娶るつもりは一切ない」


何だよそれ、私に宣言されても困る。

と言うか、それなら近寄って欲しくないのだけど。


「それならばその婚約者を抱きしめて好きなだけキスでも何でもして差し上げてくださいませ。私と周りを誤解させるような行動をしてはいけませんわ」


すると彼の大きな手が今度は私の頬を包み込む。

真っ直ぐに私を見つめる宝石よりも美しいブルーの瞳の奥に、仄暗いものが煌めいていた。




「婚約者は君だけだよ、アレクシア」




…え?

……は?


私の思考が停止している間に、唇に柔らかいものが押しつけられる。

それがクリストハルトの唇だと気づいた時には、私は全力で彼を突き飛ばしていた。

魔力を込めてしまったので、見事に成功し彼は尻餅をついている。


「その手には乗りません!!」

「…本当だ、信じて欲しい」


「あんなに大勢の前で婚約破棄したではありませんか!!しかもこれ見よがしにコリンナ嬢の腰を引き寄せて!!」

「すまなかった。あの時は君は私を嫌っていると思ったから、互いに解放された方がいいと判断したのだ。」


「それならそのまま解放しておけばいいではありませんか!コリンナ嬢となら幸せになれると思いますわよ!!」

「…私が愛しているのはアレクシアだけなんだ!どうか信じてくれ!!」


頭に血が上っていた私はふとゲームの内容を思い出す。

二人でイチャイチャしていた映像が頭に浮かび、そして似たような台詞を言っていた事を思い出し猛烈にイライラしてきた。


「同じ言葉を、彼女にも伝えていたのではありませんか?」

「……。」


はい、図星。

はい、頂きました。

この正直者め!!王族のくせに!!


「お世話になりました」

「待ってくれ、3年間私は君が目覚めるのを待ち続けたんだ…!!アレクシアも私のために命をかけてくれたではないか…あの時、私を愛していると言ってくれたではないか!!」


…最後だと思って告白したんだった。

それで引きずったのかしら。迂闊なことは言えないわね。


「そう言えばそうだったかしら?あの時は本当に体が辛くてよく覚えていませんの。とりあえず今までありがとうございました。おかげさまで元気になりましたわ。アン!馬車の用意をお願い。王宮に長居してはご迷惑になるので帰ることにします」

「あ、はい!!畏まりました…!!」


奥に控えていたメイドのアンは緊張気味に返事をした。

あ!!!そうだ、思い出した。


「そうだわ…私は国母には向いておりませんのでしょう?そんな過去の女の事など忘れてくださいませ」


そんなことを言われたのだった。


「……何度でも謝る。すまなかった」

「王族たる者、簡単に頭を下げてはいけませんわ。」


取り敢えず、私は実家に帰ることにしたのだった。



⭐︎



驚いたのは私に関する噂。

噂というか、物語だった。


この3年間の間で本まで出版されていたとは…


〜〜〜


とある魔力持ちの姫君が、幼い頃出会った王子の呪いをその身に閉じ込めた。

愛する王子を守るために姫君は苦しみに耐えるのだが、王子は何も知らぬまま他の女性と恋に落ちてしまう。


そして18歳目前にして王子は姫君のその愛に気づき、彼女から呪いを奪おうとするがそれを阻止すべく姫君は呪ごとその身を壊そうとした。


その瞬間、眩い光に包まれた姫君に王子はキスをする。

すると光は収まり、彼女は長い眠りについてしまった。


王子は毎夜、決して目を覚さない姫君にキスをした。

そうすればいつか目覚めるのではないかと信じて。


そして、数年経ったある満月の夜…王子はいつものように眠る姫君にキスをすると、突然彼女は眩い光に包まれやがて瞼が震えゆっくりとその美しい瞳を覗かせた。


王子は感動のあまり姫君を抱きしめる。

姫君は驚きながらも、愛する王子を受け入れその身を寄せた。


そして、二人は永遠に幸せに暮らしました。



〜〜〜



合っているような、合っていないような。

そして、外堀埋められた感を感じるのは私だけだろうか。

ごめん、後半が思いっきり違う。


我が家に帰宅してから三日。

私は精神的に疲れてベッドでゴロゴロしていた。

やはり自分の部屋は落ち着くものだ。


こうして落ち着いた場所でゆっくりと考えていると、私は大事なことを聞き忘れていたことに気づいた。


コリンナ嬢はどうなったのだろうか?

ゲームではそのまま王子と結婚して幸せに暮らす、という内容だったけども。

他の攻略者のところへ行ったのかな?


…実際どうなってしまったのか。そして誰に確認したらいいのやら。


コリンナ嬢について調べていたし、実際彼女と交流があったので悪い子ではないと思ってはいた。

というか、クリストハルトが選んだのだからという事で盲目的な部分もあったのは確かだけど…


んー。

そう言えば、他の男子とも仲良さそうだったわ。

彼女の幼馴染みの方とか、私も知っている王宮騎士の方、先生や後輩の魔術持ち…おお。攻略者じゃないかい。

過剰に仲良くしているようには見えなかったから、特に気にしていなかった。

いやいや、今思い返せばちょっと変だよね。女子のお友達はあまりいないのに、男子のお友達が多いとか…

前世の世界では平気だけど、この世界では良く無い。みんなイケメンだったし。

クリストハルトと仲良しになったから、周りの目がキツくなったのかと思っていたが…違ったのかな。


…あの頃って呪いの影響で生き急いでいたから冷静に見れていない部分もあったんだわ、はぁ。



あれから毎日花とメッセージカードが届く…もちろんクリストハルトからだ。

しかも話す時よりも激甘なメッセージを送ってくるものだからつい悶えてしまう…


…結局のところ私はクリストハルトのことが好きだ。

ただ、今まで彼のために呪いを抱え、彼を立派な王になるよう手助けをして死ぬ、という人生設計しかして来なかったため、今更どうしたらいいのか正直分からない。


ちゃんと、話し合ってみよう。



お城から実家に帰ってきてから5日目の朝、私はクリストハルトに手紙を送った。

今後について会って話がしたい、と。

だから、都合の良い日程を教えて欲しい事と、こちらはいつでも良い旨を書き綴り執事に託したのだった。



⭐︎



手紙を送ったその日の昼、クリストハルトは我が家にやって来た。

暇なのか、早すぎる。

いや、暇なはずないよね…私のために時間を作ってくれたのだろう。


「アレクシア、会いたかったよ」


そう言って、私の手の甲にキスをするクリストハルトは本当にイケメンだった。ドストライクのナイスガイだった。

やはり少し離れてみて良かったかもしれない。気持ちも落ち着いたし、ちゃんと向き合える準備ができた気がする。


「殿下、お忙しい中我が家にお越しくださりありがとうございます。」

「…手紙、ありがとう」


うっとりとこちらを見つめてくる彼に、思わず見惚れてしまいしばし見つめ合う。

三年前と比べるとだいぶん落ち着いたなぁ。

彼なりに色々と苦労があったのかもしれない。


これからのことを早く話し合わないと、彼の負担になってしまうわね。

そんなことを考えていると、そっと左頬を撫でられ我に返った。


「…そんなに見つめられては、私は期待してしまうよ」


切なそうに笑う彼の表情に胸がチクッと痛む。

そんな顔をさせたいわけではないのに。


「…申し訳ありません。」

「そこは謝らないで欲しいな?」


茶化すように笑われ、ふっと自分の表情が和らぐのを感じた。

そう、昔からこうして私の緊張を和らげてくれるのだ。

彼の前では完璧な淑女であろうとした私に、肩の力を抜くようにと…いつも気遣ってくれていた。


昔から彼は私をみていてくれたことに、改めて気づいた。


私たちは我が家自慢のサロンへ行き、お茶を淹れてもらってから人払いをした。

両親からはこの件について、私の自由にしていいと了承を得ている。


『お前の幸せを一番に考えるように』


どこまでも優しい両親に感謝しかない。


「…体の調子はどうだい?」


少しの沈黙の後、クリストハルトは優しい声で問いかけてきた。


「はい、お陰様でとても調子が良いです」

「そうか、良かった」


お互いに香りの良いお茶を口に含み、一息つく。


「…お聞きしたいことがあるのです。コリンナ嬢は今、どうしているのでしょうか」


誰に聞いても答えてくれなかった問題だった。

私には学友がいない為、家族にしか確認できないのだが…総じて動揺していた。

特に兄が。


「もう関係のない人だよ、と言っても納得してくれない?」

「…もしかしたら、私のせいで彼女に何かあったとしたら…と考えてしまいます」


「結果を言うと、彼女はもうこの国には居ない。」


その言葉に驚き、クリストハルトの顔を見つめる。


「…君は責任感が強すぎるな。初めに言っておくよ、君は関係ない。…彼女は不特定多数の男性と通じていることが判明したんだ。君との婚約破棄をした日から一週間後に判明したことだよ。」

「そう、ですか」


やはり、と言うか…なんと言うか。


「申し訳ありませんでした」

「なぜ君が謝るんだい?」


「…学園でお二人が幸せそうに微笑んでいる所を見て…コリンナ嬢なら、殿下を支えてくれると判断したのです。他の男性と通じていることを見抜けなかった」

「……まさか、君はわざと彼女に辛く当たっていたのかい?私が彼女を選び、君を捨てるように…」


あ、これバラして良いやつだったかしら。

え、えーと、どうしましょう、どうしたら良い?!


「ど、どうだったかしら?そう言えば今日は良いお天気ですわね!!」


誤魔化せない。なのに忘れた振りをしながら話を変える作戦に出たが、無駄だった。

クリスハルトはその場から立ち上がり、私の横で跪く。


「アレクシア。こちらを見て」


見てはいけない。見たら負ける。

だが、見ないわけにはいかなかった。


ゆっくりとそちらを見ると、真剣な顔をしたイケメンがそこに居た。

しかも跪いているから目線はやや下だ。

少し見上げられるような角度。うう、隠し事ができないよぉ…


「…はい。私はこの世を去る予定でしたので…殿下を隣で支えてくれる女性を見つけたら、婚約破棄をしていただこうと思っておりました」


「…彼女に辛く当たった理由は?」

「少しでも礼儀作法を覚えて欲しいと思いました。それと、私が辛く当たれば他の令嬢は手出しをしませんから…それに、正義感の強いあなたなら、お怒りになるだろうと思って」


「…今、君に触れる許可を得たいのだけど、良いかな」

「は、はい…」


何かを堪えるような顔をしたクリストハルトは、私をゆっくりと抱きしめてくる。

まるで壊れ物を扱うように、優しく。


「…私を憚ったんだね」

「申し訳ありません。時間が、無かったので…」


「今一度聞くが、呪いの事をなぜ教えてくれなかったんだい?」


切ない声に胸が打たれる。

なのに、私の体はふわふわとしていた。


大好きな人に抱きしめられ、今まで話せなかった事を話していると言う現状に…夢心地になっているのだ。

もう、正しい判断ができない自分にため息をつき、彼が知りたいのなら全て教えてあげようと思った。


「…優しいあなたは、私があなたの呪いを受け取ったと知れば絶対に返せと言ってくるだろうと思いました。私には魔力があるから、ある程度食い止められます。」

「そうか。それで?」


「…殿下と初めて出会った日に私はアレを受け取り、その流れであなたの婚約者になる事ができました。あなたに一目惚れした私は、…あなたをこの呪いから守れる唯一の存在だと言うことに、とても満足していたのです」

「…そうだったんだね」


「私は陛下をはじめ、この秘密を知る人達に殿下には知らせないようにとお願いをしました。…あの呪いは肉体が朽ちるまで離れないものだと知ったからです。それならば、殿下は知らない方がいい。あなたが…この先幸せに暮らしていけるのなら、…それでいいと」

「…うん、…」


私を包む腕に力が入り、何かを耐えるような息遣いが聞こえてくる。

私は気づかないふりをして、そのまま話すことにした。


「殿下の幸せは私の生きる目標でした。でも、私がもし死んでしまっても自分のせいだと思って欲しく無かった。私が望んで、選んだ道だったのだから。例え私が恨まれようと、あなたが幸せになればそんなことはどうでも良いのです。だから、三年前のあの日、寝室に殿下が来て驚きました。折角ここまで知られずに過ごしたのに…って」

「…ああ、私は…知れて良かったと、思っているよ…」


王族が泣くなんて、全く。

私はそっとクリストハルトの背中に手を回し、抱きしめ返した。

びくっと彼の体が動いたが、気にせずに優しく背中を撫でる。私が彼を抱きしめ返したのは初めてのことかも知れない。


「…それでもあの時、あなたに気持ちを伝えられて幸せでした。あなたの腕の中でこの体を手放すことに安らぎを感じていました。残酷なまでにあなたを傷つけてしまうのに、私は最後に自分の思いを伝えることで…満足してしまいました。」

「…私のことなどどうでもいいんだ!君はもっと、自分を大事にしないといけない…っ。いや…君の信用に値しない私が悪かったんだ。すまない…本当に、辛い思いをさせてしまった」


苦しいほどに抱きしめられ、涙を流すクリストハルトの柔らかな髪を優しく撫でる。


「一度、こうして殿下に触れて見たかったのです。やはり触り心地がいいですね」

「私だって君をいつも抱きしめたいと思っていたんだ。一度触れた時に逃げ出してしまって…納屋で発見されたと聞いた時には、君に触れた事を後悔した。それから避けられては…完全に嫌われたのだと思ったんだ。それでも私は君のそばに居たかった。…寂しかったんだ。私がコリンナ嬢と親しくすると君は反応してくれた。それが最初は嬉しかった。」


「…そうでしたか。」

「だが、次第に…いや、もう過去の話だ。君に婚約破棄を告げて、君はあっさりと引き下がってしまって…あの瞬間から私の世界から色がなくなってしまった。私が別れを告げたと言うのに、身勝手なことだ。その日以降、私はコリンナと会うことを止めていたのだが…他の男性との逢瀬の現場を監視者が目撃し、追放措置が取られた。不思議と何とも思わなかったよ。」


私たちは長い抱擁を解き、ゆっくりと離れて見つめ合う。

イケメンは泣き顔も素晴らしい。

そっと彼の顔を両手で包み、親指で涙を拭った。


「…私は何をやっているのかと、何がしたかったのかと自問自答をしながら仕事に専念していたんだ。そうしたらあの日、君の兄君がやってきて怒鳴られてしまったよ。『俺の大事な妹が死にそうな時に、何やってんだよ!!なんでそんな顔してんだよ!!』ってね。」

「兄が申し訳ありません…」


「隠し事があるのは薄々気付いていたんだ。でも聞く勇気がなかった。だから…君の部屋の前で話を聞いてしまった時、頭が真っ白になった。ドアを開けて、君のあの姿を見て…自分の愚かさに絶望すら感じた」

「あなたが責任を感じる必要は」


「止めてくれ!!お願いだ…私に、私の問題を関係ないと言わないで欲しい。一緒に、向き合う機会を与えて欲しいんだ。もし、あの日君の兄君が来てくれなければ、君が居なくなってから真実を聞かされてしまったら、私はもう二度と立ち直ることができなかった…後悔しても仕切れない」


縋るよに肩を掴まれ、私はこの時やっと自分の独りよがりさを思い知った。

私は目の前の愛する人に、一生モノの傷を負わせるところだった…いや、もう深く傷つけてしまっているのだ。


「…私はあなたに、幸せになって欲しかった。でも、私は間違えていたのですね」

「君の気持ちは嬉しいよ、とても。無関心だと思っていたのに、こんなに小さな体を張って一人で…私のために何年も痛みに耐えてくれていたのだろう?ただこれからは、相談して欲しい。頼れる男になれるよう努力するから。君を支えられるように、君が悲しい思いをしないように、隣で君の事を守らせて欲しい。」


…私の眦からポロポロと涙が溢れる。

嬉しい。こんなに向き合ってくれる人がいるだろうか。多分この先何度生まれ変わっても、今しか会えないような気がするくらい素敵な人だ。


「私にはもったいない人だわ」

「何を言うんだ。私は君がいいんだ。君以外の女性はいらないよ」




私たちは、涙を流しながら微笑みあい、そっと口づけを交わし永遠の愛を誓ったのだった。













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