つむぐちから
目頭が熱い。
ゆっくりと目を開けると満月になりきれていない月が目に入る。
久しぶりにあの日の夢を見たな。
ここ最近はあんまり見なかったのに。
えっと、私、確か崖から突き落とされて…。
「紬?目を覚ましたの?」
視線を向けると暗がりの中に明莉さんの姿が見えた。
心配そうに駆け寄ってきて目じりの涙を掬われる。
その手や顔は傷だらけになっていて、不器用な感じに薬と包帯が巻かれていた。
「紬、治せるなら自分の身体を治しなさい」
そう言われて初めて体がまともに動かないことに気がつく。
そして認識した途端に全身を言いようのない激痛が襲ってきて思わず呻いてしまった。
体がバラバラになりそうなほど痛い!
どうにか腕を自分の身体を抱きしめる形に持ってきて、治れ治れと、痛いのは嫌だと力を解放した。
すぐに痛みは引いていく。
本当に死ぬ以外なら何でも治せるんじゃないだろうか。
「っはぁ…、明莉さん、私たちだけなの?」
一息ついて体を起こす。
ついでに側に立つ明莉さんの手を握り、治れと念じた。
「…いいえ、愛もいるわ」
なんだろう?
先程から明莉さんがまともに目を合わせてくれない。
それに、愛ちゃんの性格ならこういう時いの一番に「大丈夫!?」と声をかけてくれそうなのにそんな気配はない。
明莉さんの後ろに目を向けると、布にくるまっている人影が見えた。
時々その背が揺れている。
「…愛ちゃん?」
手と顔の傷はほとんど塞がったというのに明莉さんの顔色は変わらない。
そう言えば、蕾と翼さんはどこだろう?
崖から落ちた時は夕方より少し早いくらいの時間で、今は月が真上にある。
かなりの時間私は気を失っていたようだ。
蕾が突き落としたなんて、私の思い違いだと思いたい。
蕾に「あの時はあぁするしかなかったんだ、ごめん」とかそんな謝罪を聞きたい。
痛かったしショックだったけど、死んでいないのだから謝ってくれれば許せる。
「私、みんなとはぐれたあと合流しようとして、あの時崖下にいたの」
明莉さんが目を背けたままそう言った。
明莉さんのいるところへ私が落下してきたと。
「肝が冷えたわ。助かるような高さじゃなかったもの」
それは私も思う。
よく生きてられたもんだ、と。
「大きめの木にね、紬は引っかかりながら落ちてきて、地面に落ちる前に助けられてよかった。ボロボロではあったけど」
木がクッション代わりとなって、明莉さんが受け止めてくれたから私は死ななかった。
なんとなく、蕾は下に明莉さんがいることを知っていてそうしたような気がする。
命さえ助かれば私は治せるから。
「上に蕾がいることもわかってた。だからちょっと、無理してあの崖を、なんとか、這い上がって」
明莉さんの指の爪がいくつか折れたり、剥がれたりしていたのはその代償か。
痛々しくて見てられなかった。
能力で崖を這い上がるなんてすごいことだ。
「上がった瞬間、間に、合わなっ、くて…っ!!」
今、顔を見てはいけない。
見てしまったら知ってしまう。
理解ってしまう。
だから、声色の変化に気づいても明莉さんを見なかった。
見たく、なかった。
「蕾と、庇おうと飛び出した翼が、重なるように撃たれて反対側に、落ちていったの!」
最後は勢いで絞り出すように言い放った。
明莉さんの目からはとめどなく涙が溢れて私の手を濡らしていく。
見上げれば綺麗な顔が台無しで。
とはいえ、それを見た自分の視界ももうまともに見えていない。
「お兄ちゃん…れーくん…ぅぅっ」
死体を確認したわけではない。
信じたくない。
けれど私が助かったことの方が奇跡で。
挙句、撃たれて落ちて、助かる見込みのほうがない。
これがこのゲーム。
どんな願いでも叶えられるという賞品の代わりに払う代償は大きすぎる。
分かって参加したつもりだったけれど、どことなく皆が死ぬわけない、なんて思っていた。
認識が甘かった。
「そん、な…」
明莉さんのことも愛ちゃんのことももう見ていられない。
私自身が手で顔を覆って受け入れ難いその現実を見るしか無かった。
蕾が突き落としてくれなければ、きっと、私も死んでいた。
でも、もう蕾がいない。
翼さんがいない。
昨日、初めて色んなことを教えてもらったのに。
いつも美味しいご飯作ってくるていたのに。
もう、それが、ない。
また私は無くしてしまったのか。
(紬はもう独りじゃないだろ?)
「!?!?!!!?」
突如として聞こえた声に反射的に振り返る。
もちろんそこには誰もいない。
静寂の夜の中、聞こえるのは私たち3人のすすり泣く音だけだ。
だからこそ、聞き間違えるわけが無い。
その声は、紛れもなくお兄ちゃんだった。
「……ひとり、じゃ、ない」
悲しみで埋め尽くされようとしていた脳が冷静さを取り戻す。
そうだ、今は私は独りじゃない。
あの塔の時のように無力でもない。
目の前には明莉さんがいる、愛ちゃんがいる。
このまま私たちが折れてしまったら、蕾たちは無駄死にになる。
「…愛ちゃん!!」
泣き崩れている愛ちゃんの肩を掴んで無理やり目を合わせる。
普段は可愛らしい顔立ちが泣きすぎて、腫れぼったくなってしまっている。
少し虚ろな瞳がこちらを向いて痛々しい。
「ねぇ愛ちゃん。愛ちゃんたちは死んでもいいから、それでも叶えたい願いがあるからここにきたんじゃないの?」
「そ、それ、は私こんな足だから、私は、絶対死ぬと思ってて…」
ちらりと足を見る。
擦り傷と泥まみれになっていた。
恐らく翼さんに安全な所へ置いていかれて、追いかけようと足を引きずりながら這ったのだろう。
愛ちゃんお手製の服も泥だらけになっていた。
「でも、愛ちゃんは生きてここにいる。3人の願いが何か私は知らない、それでも覚悟してここにいることは知っている」
肩に置いた手を離し、愛ちゃんの細い足首を掴んだ。
私の能力は回復じゃないかもしれない、と明莉さんが言っていた。
愛ちゃんの足は元から動かないから、治すとは違う。
どうして今の今まで試そうとも思わなかったんだろう。
「愛ちゃんは独りじゃない、私がいる。明莉さんがいる。愛ちゃんが叶えたいと望むなら、最後まで私たちは付き合う!」
明莉さんへ視線を投げれば、もちろんだとでも言うように深く頷いてくれた。
愛ちゃんは私と明莉さんを交互に見たあと、自らの足を見た。
私がしようとしていること、伝わっている。
「…勝ち、たい。お兄ちゃんとれーくんを無駄になんかしたくない!」
「それでこそあの2人の妹だね」
『想』をつむぐ能力!
頭に想像したものを紡いで形に出来る能力。
愛ちゃんの足に能力を解放しながら、健康的な足を想像する。
そうだ、愛ちゃんはあの異常な速さの蕾の妹なんだ。
きっと元気ならば負けないくらい運動神経はいいんじゃないだろうか?
細くて白くて綺麗な足。
蕾のように速くて、翼さんのように強いそんな足を想像する。
足全体に解放した力が拡がったのを感じて私は手を止めた。
「愛ちゃん、立って」
そばの壁へ手を付き、愛ちゃんが緊張した顔でその足に力を込める。
ピクリとも動かなかった足が僅かに反応をみせ、ゆっくり、ゆっくりと膝から上がっていく。
次に全体に力を込めると愛ちゃんは壁伝いにゆっくりと立ち上がった。
フルフルと震えてはいるものの、立っている。
愛ちゃんが自力で夢でもなんでもなく、立っている。
「紬ちゃんっ」
「愛ちゃん!」
少しふらつく愛ちゃんをタックルするかのように抱きついて、私たちは嬉しさと、そして蕾と翼さんがこの場にいない悲しさで再び泣いた。
すぐに明莉さんも私たちを抱きしめてくれて、朝日が差し込むその瞬間まで私たちは泣き続けていた。
綯月 「独りぼっちは寂しいもんな」