美しい姫
お祭り本番、昨日の人混みに3割増しくらいの人混み。
呼吸ってこんなに意識してやらないと出来ないものだっけ?
そんな中をいつものように愛ちゃんを背負った翼さんが先導し、蕾が引いてくれる手に私がしがみつき、明莉さんは上手に人混みを歩いていく。
太陽の宴、別名太陽の生誕祭とも呼ばれるこのお祭り。
日の出国とも呼ばれるこの国の建国記念日でもあるらしい。
だから国を挙げてのお祭りなので、賑わいは最高潮である。
開催期間は1週間。
その中で名物のゲームは最終の3日間で行われる。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!あれ見て!あっちあっち!」
今日は書類選考で、明日から3日間予選。
そして残りの3日間で本番だ。
今日は特にすることも無くお祭りを楽しもうと、蕾の提案だった。
1番はしゃいでいるのは愛ちゃん。
珍しい色合いの服や、変わった形の帽子。
見慣れない異国の服など、服を作る上での知識を蓄えたいらしくて翼さんの背中で大興奮だ。
「はいはい。今日一日はゆっくりあるんだから、落ち着けって」
「わぁぁぁ!!すごい、こんなリボンの結び方があるんだ!可愛い〜!わ、こっちのスカートはどうしてこんなふわっと出来るんだろう?」
器用に身を乗り出して商品を物色する愛ちゃんを、これまた器用に人の邪魔にならないように支える翼さん。
長年の兄妹の絆だ。
ちなみに私は人混みに酔ってだいぶ気持ち悪い。
なにか冷たい飲み物が飲みたい、なんて考えつつ声を出すことすら億劫で静かに耐えていた。
「紬、こっち。明莉もくる?」
「そうね」
グイッと手を引かれ、すぐに人の波を離れてなにやら古びた石造りのよく分からない建造物がある所に連れていかた。
ようやく私は座ることが出来る。
グルグルと目の前が明暗して顔が熱い。
「大丈夫?今、蕾が飲み物を買ってくるそうだからもう少し我慢してね」
同じく石段に腰掛け、私の背中を摩って明莉さんが覗き込んでくるが、それに反応できる余裕がなかった。
正直なんて言ってるかイマイチ理解ができない。
今私の思考を埋めているのは、気持ち悪い、吐きそう、という感情だけ。
どのくらいそうしていたのだろうか、「どうぞ」という声と共に目の前に冷たそうな飲み物が差し出された。
「あ!紬、待って…」
明莉さんの制止も聞こえず、差し出された冷たい水を私は喉へと流し込む。
冷たくてすごく美味しかった。
「困った時はお互い様ですわ。ねぇ?アカリさん」
鈴の音のような澄んだ声。
呼吸を整えて見上げたその先には、日傘をさした美しい女性が立っていた。
緩くウェーブのかかった金色の髪。
長いまつ毛と思わず魅入ってきまう緋色の双眸。
金色の髪に合わせた赤と黒がベースのドレス。
絵本の中から出てきたようなお人形さんみたいな人だった。
「お嬢様…」
昨日ティンカーベルと名乗った女の子に会った時と同じ、青ざめた顔で明莉さんが女性をそう呼んだ。
女性はおっとりとした動きで明莉さんを見ると再び私へと目を向けた。
「私今は美姫と申します。貴女が新しいアカリさんの主かしら?」
「ぇ、いや、えっと、ち、違います」
あまりの美しさに呆気にとられた私は吃った調子で答える。
すると女性は日傘の陰の中で残念そうに眉尻を下げた。
「あらそうなの。ではアカリさん?今の貴女の主はどこにいらっしゃるのかしら?」
「今は市場にいると思いますが…、そんなことより何故お嬢様おひとりでこのような所にいらっしゃるのですか?」
明莉さんが少しずつ私に回していた腕に力を込めて女性を警戒する。
この女性が何かをしてくるとは思えなかったが、明莉さんの野生の勘は恐ろしいほど鋭い。
挙句、お嬢様という呼び名から恐らく前に仕えていた旦那様の関係者であることは確かだ。
尚更、経験上の警戒かもしれないと思うと、私も自然と緊張してきた。
「あら。1人じゃないわよ。」
ちらりと壊れた建造物へと目を向ける。
よく見るとそこには影に同化した長身の変人が立っていた。
真っ黒の服に、微笑のピエロのお面。
絶対変人だ。
「あの人は…」
明莉さんの腕にさらに力が込められる。
グラグラしていた頭がだいぶ落ち着いて、呼吸も楽になった。
そろそろ立てるはず。
あの人混みにもう一度トライするのは気が引けるが、なんとなくこれ以上この人たちに明莉さんを近づけちゃ行けない気がした。
「あ、あの、飲み物ありがとうございました。美味しかったです」
さっさと話を切り上げてこの場を去ろう。
そう思ってペコッと頭を下げた時だった。
普段は帽子の中に隠している黒髪。
暑くて緩く被っていたのが悪かった。
ポトン、と地面に落としてしまった。
「あ!?しまっ…」
「…。大丈夫かしら?あまり無理はしない方が良くてよ?」
結った髪の毛を入れることが出来るそこそこ大きめのその帽子は女性の足下へと転がる。
なんでもない様に帽子を拾って心配そうに微笑みながら女性は帽子を返してくれた。
夜族ってバレてない?
「紬?明莉?」
人の流れから飲み物を3つ抱えた蕾が現れる。
その視線は女性へ注がれていて、警戒しているようだ。
慌てて帽子を被り直すと、蕾からこれまた美味しそうな飲み物が渡される。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
ニコリといつもの笑顔を貼り付ける蕾。
「初めまして。私美姫と申しますの。そちらのお嬢さんが困っていたようなのでお水を差し上げただけですわ」
「なるほど。俺は蕾と言います。助けていただきありがとうございます」
ふわりと笑うとまるで花が咲き誇ったような美しさだ。
蕾はその笑顔に特に気にした素振りもなく、ニコニコと返している。
「貴女がアカリさんの主?」
「一応兄と妹と共にそうなりますね」
蕾は突然そんなことを聞かれて訝しげに眉を寄せる。
やっとお目当ての話の通じる相手が現れて、女性は嬉しそうに微笑んだ。
「では、単刀直入に言うのだけれど、アカリさんを譲っていただけませんか?」
「「「は?」」」
私と蕾、そして明莉さんまで呆気に取られた声が出る。
一瞬、明莉さんをなんだと思ってるんだ!と思ったが、明莉さんは奴隷。
私や蕾たちがそういう風に扱わなくてもその事実は覆らない。
彼女の言い方は決して間違いでないのだ。
「私ね、アカリさんの忠誠心を高く買っていたんですの。本当はお父様が要らないなら私にちょうだいとお強請りする予定でしたのに」
ビクッと明莉さんの肩が揺れる。
顔を見上げると明らかに動揺している。
蕾はまた眉根を寄せて、言動の意味を計っているようだ。
「私アカリさんの前主人の養女ですの。訳あっていなくなったアカリさんを買い戻そうと思っていたのですわ」
聞くに絶えない。
私が世間を知らないだけかもしれないけど、人を物として扱うその言い方がとても気に食わない。
この場に愛ちゃんがいたら「明莉ちゃんは私たちといるんだからあげない!」と怒っていそう。
「俺たちは色々あって彼女を結果論として購入しましたが、彼女を奴隷と思って接している訳じゃありません。明莉が望むなら、帰りたければ帰っていい。俺たちは強制はしないよ」
キッパリと蕾は言い切った。
その言い方は少し冷たいように聞こえたが、蕾たち3兄妹は常に一貫している。
自由に選択できる機会を必ず与えてくれる。
明莉さんへ目を向けると蕾と女性を交互に見ていた。
どうしたらいいか迷っているのだろうか。
「アカリさん?彼はこう言っていますけれどどうしますの?」
「わ、私は、今のところ、帰る気は無いです。彼らにも恩がありますから」
カタカタと僅かに手が震えながら明莉さんも言い切った。
「あら、それは残念ね」
そう言った女性の顔は一瞬だけ真顔で、突然背中に氷が付けられたのかと思うほど恐かった。
血の気が引くとはこういうことを言うのか。
けれど本当に一瞬で、すぐに微笑みに戻る。
「アカリさん、ゲームに参加するのでしょう?ベルに聞きましたわ。私も参加致しますの」
「えっ」
「お互い正々堂々と頑張りましょうね?失礼致しますわ」
女性は一瞥を明莉さんに向けたあと颯爽と影と同化している人物の所へ歩いていきそのまま消えた。
綺麗だけど恐い人。
そのあとしばらく明莉さんは何を話しかけても上の空で。
蕾からもらったジュースは暑さに参った時に効くものらしいが、味がわからなかった。
あとで興奮のあまり翼さんの背中から落ちた愛ちゃんが足に擦り傷を作って帰ってくるまで、私たち3人の間に気まづい沈黙がながれていた。