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王妃を捕えるため、その後の必要な手筈を整え、エンジュとプラタナス元公爵達は王妃の私室へ向かう。
プラタナス元公爵は宰相という職務柄、何度か王妃に会い、話をする機会があったが…正直、人間として苦手な部類だった。
生まれた時から王族として育ち、周囲が常に自分の為に動くのを当然として受ける。
異を唱えることは許さず、けっして懐を読ませない表情とその振る舞いは、他の者との違いを浮き彫りにし、人種として、種族としての違いを強調していた。
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私室の入り口で侍女に取り次いでもらい、中に入る許しをもらう。
部屋へ入ると、先程あんな騒ぎがあったというのに、王妃は部屋で悠然とくつろぎ、お茶を飲んで過ごしていた。
侍女達もそれに従い、いつもと変わらぬ光景だ。
改めて表情を引き締め、事の重大さを醸し出しながら声を発する。
「王妃…申し訳ございませんが、王陛下の事で伺いたいことがございます。お話を聞くために、部屋を移ってはいただけませんでしょうか?」
王妃の機嫌を損なうことのないよう、プラタナス元公爵は言葉を選び、丁寧にお願いをする。
「そう、陛下は助かったのね…。」
少しこちらに視線を向けたかと思えば、すぐにカップの中に視線を戻し、湧き上がる湯気を満足げに眺める。
「話をするのであれば、ここで構わないでしょう?」
視線を上げずに、銀食器に入れられた可愛らしい小さな花の形の砂糖を摘まみ、紅茶へ落とす。
そうしてまた一口、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
「しかし、それでは…。」
「私はこの国の王妃です、逃げたり隠れたりは致しません。」
女性の曲線を綺麗に現した、薄い布を重ねたドレスの袖を持ち、柔らかい動作でこちらへ向き合う。
そして滑らかな手つきでティーカップを置き、手を頬に添えゆっくりと頭を傾げて口元を上げる。
微笑みとも違うその姿は、王族としての気品を放ち、観た者は頭を下げねばならないとさえ思ってしまうほどだ。
王妃はお気に入りの物でも失くしたかのように、少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「陛下が悪いのですよ…婚姻を結んでこの方、一度も私の方を向かず。そして息子であるオルトリーブの縁談が決まれば退位を決め、ひとりで隠居しようとする。どこまで王妃である私を、無視すれば気がすむのでしょう?」
まるで感情がこもっていない口調で、さらりと自分の考えを口にする。
「古き賢人の血が流れるエートゥルフォイユの正当なる一族、その私を王妃に迎え、至高の宝とするならばまだしも、置き去りにしようとは。…その加護により死ぬこともできぬまま苦しみ朽ちる…彼の者に相応しい最後ではありませんか。」
詩を朗読する様に、他の者の苦しみを願い、死を乞う。
その様子にその場にいた一同は、背筋を凍らせた。
「その貴女の勝手な想いが、王太子を暴走させたとは、思わないのですか?」
瞼の裏に浮かぶ古い友人の呪いにかかった姿を思い浮かべ、拳を握る。
プラタナス元公爵は、この二人の関係が互いを愛し結ばれたわけではないと知っていた。
しかし優しい友人はそれでも、良好な関係を継続しようと、心を砕いて日々を過ごしていたはずだ。
「何故、陛下にそう申し上げなかったのですか!貴女から陛下に寄り添うことはできなかったのですか!」
声を荒げてみても、王妃に届くことはない。
ただ、無表情な顔に少しだけ不機嫌さが伺えるだけだった。
「…何故この私が、そのようなことをしなくてはならないのか…理解に苦しみます。」
疑問に対し、疑問で答える。
ふっと汚い物でも見るように角度をつけ、視線を背ける。
やはり自分たちとは、捉え方も、考え方も違うのだろう…こうも言葉が通じないとは、思っても見なかった。
「そう、オルトリーブ…私の可愛い子。」
王妃の思考はすでに陛下にはなく、王太子であるオルトリーブへ移っているようだった。
「あの子は私の心情を細かく汲み取ってくれました。あの子こそ、この国の王になるべき器。それを一つ一つ掌を返すように、嘲笑いすり抜けて行く。あの令嬢も、そこの女…その女伯も滅びてしまえばよい。その為ならば私は、私の故郷の力をつかっても惜しくはありません。」
たくさんの装飾があしらわれた扇子をゆっくりと上げ真っすぐに、エンジュへ向ける。
何故か王妃の憎しみの対象にはエンジュも含まれていた。
エンジュは自身に向けられた憎しみに対し、片眉を上げるだけだった。
自分はいい、この性格だ…敵が多いのはわかっている。
しかしその標的がシュロールにむくことだけは、我慢ができなかった。
王妃から向けられる上目遣いの視線、その視線は感情を隠した表情よりも、雄弁に憎悪を語っていた。
その行動に鼻を鳴らし、言い分を含め全てを嘲笑う。
「だから、なんだ?」
エンジュにとって、王妃の思想、言葉、行動、どれをとっても理解できるものではなかった。
いや理解したいとも思えない、だからこそ出た言葉なのだろう。
はじめて、王妃の表情が崩れた。
変わらずエンジュを見つめているが、その目は大きく見開き、さらなる怒りを滾らせる。
「陛下は、陛下は…あの領や其方には、特別な感情を向ける!それが私にとって、どれだけの屈辱か分かりますか!」
今までこんな大きな声を出したことはないのだろう、王妃は震える声を切れ切れに叫んだ。
「ははっ…はははっ…。」
三公や貴族が緊張し見守る中、突然エンジュは笑い出した。
プラタナス元公爵だけは、この笑い声を聞き過去の記憶がよぎり、体を固くする。
引きつりながら笑うエンジュは、体を反らしその手で顔を覆いながら笑い続ける。
肩で息をつくほどに、大きく息を吸い込み顔を覆っていた手を、少しだけはずす。
エンジュの表情は笑ってはいなかった、ただその目に赤い光を宿している。
―――――― バーーーーーーーーーーァンッ!
苦痛に顔を歪ませるエンジュは、その手を後方に振り下ろし、大きな光が見えたと感じると同時に、背後にある王妃の私室の壁を抉った。
「…だから?だから、なんなんだ。」
瞳を赤い光で輝かせるエンジュに、表情はない。
ただその場に大きな恐怖の感情を振りまき、けっして怒らせてはならない獣を解き放ってしまったのだと、感じさせるのには十分だった。