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青白い光の女性が話したことを三公と呼ばれる元公爵達は、寸分違わず覚えていた。
「あまり時間がない」そして「魔力が届く場所」
それがどこかはわからないが、このような姿になった王陛下を救ってくれるのはあの力に違いない。
場所を離宮の側にある中庭へ移し、布を引き王陛下をそっと運ぶ。
もうすでに王都の上空には、あの白く発光する生き物はいない。
間に合わなかったのかもしれない…そう心の中で焦る気持ちを堪えながら、その場にいた者は奇跡が起こるのを待った。
しばらくすると中庭の地面から、小さな青白い光が浮かび上がり、ひとつに集まり女性へと変化した。
黒く変化した王陛下の体をみて、指示を出す。
「…やはり時間がない。まず浴槽を持ってこい。あと広場にいる解呪ができる聖職者を呼べ。司教の願いだと言えば、必ず来るはずだ。」
その場にいた騎士が、すぐに行動に移す。
プラタナス元公爵は、すぐにでも解呪をしてもらえるものだとばかり思っていた。
回りくどいやり方に、苛立ちが募る。
「貴方が解呪をしてくれるのではないのですか!そんな悠長なことをしていては…王陛下は。」
「…其方は、聖女の力が万能だとでも思っているのか?」
今までにない、低く響く声にプラタナス元公爵は怯む。
「(万能ではない?奇跡を受けるということは、そういうことではないのか?)」
「…全ての者を救うなど、それこそ創造者…神の領域。聖女とて、人の身…その魔力は有限。私はただその聖女の願いに、力を貸しているに過ぎない。聖女と司教の願いを受け、出来うる限り力は貸す。だがそれも有限だ。」
三公と呼ばれる者たちは、その場で自分を恥じていた。
自分の力で何も出来ない事を棚に上げ、奇跡を受けることを当然としていた。
だがそれは、聖女の…一人の人間の生命を削って行われているのだ。
黙って俯き、地面を眺める。
「…其方達の力は、この騒ぎが落ち着いてから、発揮できるはずだ。今は力を蓄えておくことも、戦いだ。」
そうしているうちに、騎士が数人で浴槽を運んできた。
王陛下の隣に置き、その浴槽の中へ布ごと担ぎ込む。
そこまでを確認すると青白い光の女性は、その体を青白い光の球体と、浴槽よりも少し大きなサイズの白く発光するバシロサウルスへと分け変化した。
バシロサウルスは浴槽の上を数回旋回して、少し上に昇ったかと思うと体ごと浴槽の中へ飛び込んだ。
浴槽の中は乳白色の湯を飛び散らせ、その縁から湯があふれる出る。
王陛下を包むほどの浴槽いっぱいの白い湯が、墨が水に染み渡るように、あらゆる色を吸収する漆黒へと変わる。
人々はその様子を、黙って見守るしかできなかった。
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王陛下の様子を見守って、しばらくの時がたった。
王陛下の肌の色が少し薄くなったようにみえるが、いまだ呼吸をしているようには見えない。
少しの変化も見逃すことがないようにと、目を凝らし見つめていると、小さな囁きが聞こえてくる。
「かなり侵食されているわ。もう少し魔力を使ってくれて構わないから…。」
「…其方は魔力の消耗が激しい、黙って大人しくしておるべきだ。」
若い女性の声と、先程の青白い光の女性の物に聞こえる。
その場にいた者達は、視線を王陛下に向けたまま、耳は聞こえてくる会話を拾うべく意識を後方へ向けていた。
「でもまだ正常な状態までかなりかかるはず。私なら、もう少しは大丈夫だから。」
「…これ以上無理をして、誓いを破ることになってもいいのか?」
深刻な状態なのだろう、それほどの魔力を消費してこの国を、この国の指導者を救ってくれているのだと知る。
この声はきっと、聖女と言われる者に違いない。
プラタナス元公爵は、そう思うと同時になにか引っかかるものを感じる。
「なんで、なんで知ってるの?そんな恥ずかしい事、こんな所で言うなんて…。」
「…あの男と誓っていたではないか。」
震えがこもった非難する声に、やはり聞き覚えがある。
しかし、こんなしゃべり方をする令嬢だっただろうか?
自分が知っている声の主は、色々な物を諦め、それでも流されまいと悲しそうに微笑む令嬢だった。
「キャーーーーッ!だから言わないでって、言ってるじゃない!馬鹿なの?聖女の意思とか言って、そういう配慮が出来ないから避けられてたんじゃないの?」
「…むっ、馬鹿にするな。確かに出てくるなと言われたことはあるが…。」
今この現状で不謹慎なのはわかっていたが、吹き出しそうになるのを必死に堪える、これは聞いていなかったことにするべきものだろう。
周囲の騎士達も同じ思いなのか、必死に唇を噛みしめた。
「(そうか…やはり、あの令嬢だったのか。)」
プラタナス元公爵は、色々な感情が浮かび上がってきた。
王陛下が無事に意識を取り戻せたら、このことを話して聞かせよう。
そしてまたあの力強い女性とその側で微笑む令嬢に、大きな借りをつくってしまったと、二人で頭を抱えて悩むのだ。
少しして青白い光の球体は、浴槽の縁まで近づくとその光を大きく、眩しく輝かせた。
浴槽の中の湯が大きくうねり、黒く染まった湯の中に白い湯がリボンのように細く揺らめく。
その相対する力は互いに拮抗し、白と黒の色を激しく入れ替えていく。
やがて白い湯の部分が多くなってくると、浴槽の底から薄く黄緑色の光が浮かび上がってくる。
そこからは黒い色の湯が靄のように、霞んでいき、やがて金色の光の粒子となり空に浮かんでいった。
浴槽に横たわっていた王陛下の口から、黒い液体が「ごぽっ」という音と共に流れ出る。
そこからみるみると肌の色は元に戻り、ゆっくりだが呼吸をはじめたようだった。
「…この者の加護に感謝するのだな。そのおかげで、死に至るまでが緩やかであったのだろう。」
一部の者にしか知られていない、ティヨール王族に伝わる「呪詛耐久」、完全ではないが呪詛に対して抵抗力がある。
「…あとは十日もすれば、意識が戻るだろう。それまで一日に一度、聖職者に解呪をかけてもらうといい。」
そう言葉を残すと、青白い光の球体はその姿を消失し、王陛下が浸かっている湯は透明へと色を変えた。
その場にいる者は、みるみる緊張を解いていく。
大きく息を吐き、王陛下の元へ駆け寄る者や、その場に座り込む者もみられた。
そうしているうちに広場に使いに出していた騎士が戻り、聖職者と思われる人物と、とんでもない大物を連れて帰ってきた。
プラタナス元公爵は、先程よりも強い緊張を強いられることになる。
身を固くし、最上級の礼を取る。
足早に近づいてくるその人物に、鼓動が大きく跳ねる。
強く目を閉じて、衝撃に備えるかのように拳を握る。
―――――― ザッザッザッ、ザシュッ!
足音が止まり、剣を地面に突き刺す音が聞こえる。
プラタナス元公爵は、今視線を合わせていないことに安堵の息を吐く。
その振る舞いから、かなりの怒りの感情が伝わってくる。
緊張に喉が渇き、絞るように声を出した。
「この度は本当に申し訳く、言葉もございません…フェイジョア辺境女伯!」
その言葉に周囲にいた者や騎士達は、その人物に視線を向ける。
あきらかにこの場にいる誰よりも、圧倒する力を持っていることを感じる。
自然と皆、その人物に向かい、礼をとり頭を下げる。
腕を前に組み、立つ姿は本物の何倍にも大きく見える。
それほどの存在感と、威圧を放ちながら、エンジュは三公の前に立ちふさがっていた。