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たった一日の出来事で、王都の状態は随分と回復していった。
動けずに家に籠っていた者は、積極的に外にでて熱気のこもった霧に身を預ける。
動けるようになった者、そして聖女の力を信じた者は、広場や神殿で祈りを捧げていた。
◇◆◇
神殿の建物の中でも一番高い場所で、王都へ向かって篝火を焚く。
この場所からでも良く見える…王都の上空で長い尾をなびかせ、ゆったりと旋回をしている白く発光する生き物は、変わらずに漂っていた。
今や神殿は奇跡を信じる者と、救いを求める者であふれかえっていた。
聖堂は解放され、入り口やその周辺にも、たくさんの人々が集まり、祈りを捧げている。
そして聖堂の手前の広間では、食べることが出来ない者に食べ物を配り、状態が回復しきれていない者に、聖職者が解呪をかける。
そんな慌ただしく、人手も多く必要な中、司教であるアシュリーはフェルナンだけを供につけ空を見上げる。
アシュリーはフェルナンに視線を向け頷くと、膝をつけ、王都にいる聖女の力と呼べる物にむかい祈った。
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どのくらいの時間、そうしていたのだろう。
熱気のある霧の中、ずっと姿勢を変えず祈り続けていたせいなのか、髪の毛から水滴が流れ落ちる。
着ている衣服も水分を含み、かなりの重さを感じていた。
聖堂や広間にいた人々も、ぽつぽつと家に帰ったり、近くの宿に戻ったりしている。
神殿に灯る明かりもひとつ、またひとつと消えていった。
フェルナンはその様子をずっと後方から、見守り続けていた。
ふと目の前がぼんやりと明るくなった気配がして、アシュリーの元へ視線を戻すと青白い光がアシュリーの頭のすぐ上に浮かんでいる。
「…っ!」
フェルナンは驚きで叫びそうになるのを、唇を噛みしめて堪えた。
そのフェルナンの気配で、アシュリーはうっすらと目を開け、自分の目の前が明るいことに気がついた。
祈りの体制のまま顔をあげ、その明るさの元を見上げると、青白い光はゆっくりとアシュリーの前に降りてきて、その形を女性の姿に変えた。
「私の祈りを聞き届けていただき、ありがとうございます。ですがてっきり、私はシュロール嬢がこられるものだとばかり…。」
アシュリーは青白い光の女性に話しかけた。
自分の予想とは違い、見知らぬ女性の姿をしたその力の源に、少し困ったような顔で訊ねてみた。
「…人の身で…そこまでの力が使えるはずがない。彼の者の願いにより、魔力を預かり、発動をしているのは確かだが…。」
「そうでしたか、やはりシュロール嬢の力…。」
アシュリーはそれを聞くと、湧き上がってくる感情を感じた。
あの時に感じた魔力を、彼女は正しく使ってくれている。
誰が認めなくとも、自分は彼女が聖女だと疑わなかった…やはり、やはりそうだったのだ。
アシュリーは両手を胸の前で交差した格好で膝をつき、頭を下げた。
「この国をお救いいただきありがとうございます。失礼な質問かもしれませんが、この呪いは収まるのでしょうか?」
その問いに青白い光の女性はアシュリーの頭に手をかざし、今まで短剣で見た記憶と、シュロールの考えをアシュリーに見せた。
アシュリーは頭を下げたまま目を見開き、小刻みに震えていた。
「では、この騒ぎは全てっ!」
「…じきに彼の地の者達が、真相にたどり着くため、この地へ到着するはずだ。」
そうか、そうだったのか…すべてが王太子の仕業、そして王妃の差し金。
しかしこの国が救われるためには、このまま真相を明かすだけではだめだ。
そしてそのことを託すことは、アシュリーにとって縋る思いでもあった。
「救いをいただいておいて、これ以上のことを求めるのは間違っているのはわかっています。しかしこの国が本当の意味で救われるためには、今ひとつ足りないものがございます。…今この国は国としての機能が回っておりません。人々を救うのであれば、なにとぞ王の行方を!王を救ってはいただけませんかっ!」
青白い光の女性は再び、アシュリーの頭に手をかざし、その意図を読み取った。
「…言いたいことは分かった。しかしそれは思った以上に力を使う…彼の者を無事に返す誓いをした上で、それを成すには…。」
しばらくの沈黙が流れる、青白い光の女性は急に動かなくなっていた。
「…相分かった、それで其方がかまわぬのなら…力を貸そう。」
そういうとアシュリーへ向かいあう。
「彼の者の願いにより、その願いも引き受けよう。ただし彼の地の者達へ、戻りが遅れる旨を伝えてほしいとのことだ。」
そこまで話すと青白い光の女性はただの光に戻り、その光を三方に分け飛び立っていった。
今起こったことをアシュリーは省みる。
自分が無理な願いを言ったことに対して、答えた者は誰だったのか?
今…目の前にいた者は広大な力を持っているとはいえ、万能な存在でもなんでもない…ただ誰かの意思に応え、力を貸しているにすぎない存在だった。
自分たちが奇跡として当たり前に受け取っている恩恵は、誰かの有限な能力を極限まで酷使している物なのだと悟る。
アシュリーは青白い光の女性が対話している者が、シュロールだと仮定して考えてみる。
無事に戻ることを誓ったうえでの、聖魔力の行使。
そしてその上にアシュリーの願いを聞き入れると、戻りが遅れることになる。
それはアシュリーの願いによって、シュロールが限界を越えて自分の能力を使うことを願ったということなのだ。
アシュリーはひとりの令嬢に、自分の力以上を望んでしまった。
聖職者として…求めてしまった罪悪感で、心臓をえぐられる思いだった。
しかし…この国を救うためには『正しい指導者』がどうしても必要だ。
「自分が代われるものであれば、いつでも変わります。自分にできることがあれば、なんでもしましょう。…どうか、どうかこの国の為に、今少しお力をお貸しください。」
アシュリーは空に向かって、シュロールの意思だと思われる、白く発光する生き物に向かって祈り、願った。