09
夜の闇が、段々とその色を染め上げようとしている。
肌に感じる空気が昼間のそれとは違い、ひんやりと冷たくなっていく。
王宮へ集まる貴族たちは皆、自分を飾り立てることに余念がない。
馬車から降りる最後まで、ドレスの襟や香水、化粧の出来を確認している。
「ごきげんよう、本日は『あの方』が来られるとお聞きしましたわ。私楽しみにしてまいりましたの。」
「まあっ。それは最近、皆様がおっしゃっている『あの方』のことですの?」
「そう…『あの方』、王太子殿下の婚約者である方ですわ。」
「それは是非お目にかかりたいですわ、さぞや立派なご令嬢なのでしょう。」
ご婦人達はこぞって、噂になっている公爵令嬢を見ようと楽しみにしていた。
一度も夜会に出たことがない公爵令嬢…どのような世間知らずがくることかと興味が隠せない。
また紳士達も、そんなご婦人達を窘めるでもなく『あの方に価値があるのか否か』を見極めようと待ち構えている。
◇◆◇
夜会への入場は爵位の順に行われるため、かなり遅めに来たものの…時間がかかっていた。
今回の夜会は公爵家としての招待だったため、お父様と妹のクロエとも一緒だった。
お父様もクロエも、正直…私と仲が良いとは言えなかった。
お父様は私を、魔力を発動できないことで、公爵家の恥だと罵り続けている。
出来る事なら今すぐにでも、私をどこかにやってしまいたいと思っているのだろうが『神殿』と『王太子の婚約者』という立場がそれを許さない。
視界に入れるのも忌々しく思っているのだろう…普段から私の存在は、無視することにしているらしい。
妹のクロエとは、もう何年も話していない。
私の魔力測定の日から、私の周りにミヨンやユージンがいること、魔力の研究で成果を上げていることが面白くないらしい。
今も自分のドレスと私のドレスを比べては、ブツブツ文句を言っているようだった。
「(それにしても、ミヨンはやりすぎじゃないのかしら?)」
そっと自分のドレスの一部をつまむと、今日までの出来事を思い出してみる。
あれは…例えるなら『合同演習』だった。
◇◆◇
ミヨンの手配は、すごかった。
どんなコネを使ったのだろう…翌日には、王都で有名な仕立て屋のマダムが打ち合わせに訪れていた。
何故かミヨンはマダムに向かって、私がいかに素敵かというプレゼンを始めていた。
幼いころから順を追って、紙に書いた文章と絵で説明していく。
「(これって、紙芝居ってやつじゃないの?)」
私は半ば呆れて、その光景を見守っていたが…これまた何故か、マダムもミヨンの力強さに目を輝かせていった。
「お嬢様の素晴らしさは理解できました。私からはこういった趣向を提案いたします。」
マダムもまた、ミヨンに応えるべく紙に書いたデザインや洋服の生地、色味についての説明をしていく。
ただ漠然としたドレスとしての話ではなく、テーマと方向性についても語っていた。
「(あっ、プレゼンに対してプレゼンで返している。これドラマで見たことあるやつだ。)」
当事者であるのに、蚊帳の外…シュロールはぼんやりとそれを眺めていた。
それからほぼ一日をかけて、デザインの検討と採寸に費やしたのだった。
さらに翌日からも、スケジュールは決められていた。
午前はいつものように魔力の研究に費やしていたが、午後になると迎えが来る。
「夜会対策1班、お迎えに上がりました。」
まずはダンスの練習、執事やメイド7人による実技練習である。
1人がピアノを弾き、もう1人がフロアのテンポをはかる。
1人は私と組み、残りの4人は2人ずつ組み一緒にフロアに出る。
フロア内の動きや間隔等を、把握するためである。
号令や音楽に合わせて、何度も何度も足並みが揃うまで踊り続ける。
「夜会対策2班、よろしくお願いします。」
時間通りに訪れるマダムをお迎えして、ドレスの調整が始まる。
ここに関しては、ほとんど私の意見は通らない。
立ったまま…時には右に左に回転させられ、マネキンを続ける。
指示に従い、従業員達が私に布やパーツを当ててゆく。
マダムやミヨンの表情は緩むことなく、話し合いが続いていく。
「夜会対策3班でございます。」
夕食をはさみ…4人のメイドによる、お風呂での磨き上げである。
4人それぞれが役割を分担し、無駄なく動いていく。
最初こそ抵抗してみたが、美しさにこだわる女性には勝てなかった。
それなりの時間をバスタブで過ごす為、水分補給は欠かせない。
「夜会対策3班補佐、2名入ります。」
寝室に移行し、2人のメイドを追加…6人でのマッサージが始まる。
ミヨンの指示で、特に髪の毛は念入りに手入れを施されている。
すでにお風呂での疲れも相まって、体に力が入らない。
1人の体を6人でマッサージするので、相当に体力を消費した。
最後に現在の王都の情勢や、貴族の政略の流れについての資料に軽く目を通して一日が終わる。
「(令嬢が使う体力じゃ…ないわね…。)」
眠るというより、意識を失うといった感覚で眠りにつく。
毎日その繰り返しを続けていくと、黒い髪はすべての光を集めたように艶をだし、肌はどこまでも白くなめらかだ。
社交に対する知識も持ち、様々なダンスにも応えることが出来る。
…ただ、誤算があるとすればダンスでの優雅さと微笑は習得することができなかった。
なにしろ方法が『合同演習』なのだ、無理もない。
どこにだしても恥ずかしくない令嬢が、出来上がったと思いたい。