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途中で何かを蹴飛ばしたり、体当たりをしたりしたことはあまり覚えていない。
剣だけを持ち、その場に間に合えば、他はどうでもよかった。
大体の場所へ着いたその先に、シュロールを連れ去った仲間と思われる者が見えた。
自分は間に合ったのか?…そうでないとしても、この者を逃すわけにはいかない。
今後シュロールとの、唯一の繋がりとなるかもしれない。
判断するのに、一瞬もかからなかった…エンジュは自身の「フェイジョアの加護」と呼ばれる力を使った。
走りながら前方に手を伸ばし、力を込める。
頭の奥が強く軋む、更に集中し痛みが頭全体に回ると眼球にまで鈍痛が走る。
エンジュが掲げた掌から、エンジュの体より大きく長い光状の剣が現れる。
その大きさは廊下のほとんどを、埋め尽くすほどだった。
「ぐっ…うあぁっ、ああーーーーーーーっ!」
エンジュは大きく肩から腕を引き、前方に向かい力の塊を放った。
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「フェイジョアには化け物がいると聞いてはいたが…なるほど、間違いない。この世の者とは思えない、醜い化け物だ。」
オルトリーブは座り込んだシュロールの腰を抱え込むように膝立ちになり、剣を当てていた。
やがて視界に入るほどに近づいてきたエンジュを見て、そう呟く。
シュロールはエンジュの姿を見た瞬間に、涙を流していた。
「(エンジュ様が来てくれた。これできっとハルディン様は助かる。)」
たどり着いたエンジュは、ゆっくりと呼吸を整え現状を確認する。
さきほど力を使った時、ハルディンの姿は見えていなかったが、巻き込まれてないところを見ると無事なのだろう。
床に倒れこんでいる姿を見ると、腹に剣が刺さっていた。
エンジュは舌打ちをし、近くにあったハルディンの剣をハルディンの届く位置まで蹴る。
「…これを腹に当てておけ、少しはましなはずだ。」
わずかに目を開いたハルディンは腕を少しだけ伸ばし、剣を掴む。
それだけで、浅い呼吸が少し落ち着いたように見えた。
さらに狙った先を見ると、仲間と思われる者は、何段か下で数か所血を流し、気を失っていた。
あの血の量からみると、命を奪うものではない。
だが壁の一部が足を押しつぶしているところをみると、一人では動けないだろう。
そうしてようやくエンジュは、シュロールとオルトリーブを見た。
シュロールが無事であることに、少しだけ視線を反らし安堵の感情を隠す。
そして同時にシュロールを怯えさせたくはなかった…加護の力を使うと、しばらくは灰色の瞳に血が走ったように真っすぐに赤い縦の線がでる。
「まるで魔の者のようではないか、その力…残すわけにはいかないな。」
オルトリーブがエンジュを蔑むように罵る。
その言葉を、歯牙にもかけない。
シュロールがこれを見てどう思うか…それだけが気がかりだったが、エンジュは挑発する様に自分にかかる髪の毛を後ろに払い、禍々しい目と額にある傷が良く見えるよう髪の毛を掻き上げた。
「それがなんだ、お前のやってきたことに比べると可愛い物だろう?」
腕を組み仁王立ちに、王太子であるオルトリーブを見下す。
オルトリーブは表情を崩さずに、少しだけ目を伏せ、鼻で笑う。
「それで?なぜこの地に、王太子自らがおいでで?…王都で兵を率いるのではなかったのかな?」
大きな態度のエンジュに対し、王太子は冷静であった。
武力では敵うはずはない、しかしこちらには切り札がある。
「ああ、そのことか…気になるなら答えるが、たいしたことではない。私はこの国を捨てたのだ…私の言うことを聞けない国などいらぬ。私の力を持って滅ぼし、再び私の力をもって支配してやろう。」
エンジュはオルトリーブに対して、片眉を上げながら疑問を投げつける。
「国を捨てた王太子など、なんの力も持たない赤子の様なものではないか。なにをもってそう言い切れる?」
オルトリーブはエンジュの疑問を、何故理解ができないのかわからないという表情で答える。
「普通に考えればそうだが…お前の様な、俗世から切り離された辺境の貴族には考えが及ばぬか。教えてやるのも、ばからしいが私にはエートゥルフォイユの王位継承権がある。ティヨールを捨てても、あちらで王位を狙えばよい。そしてこれがあれば、私の地位は揺るぐことはない。」
そういうと愛しそうにシュロールの髪の毛をひと房掴み、ぐいっと引っ張ると痛みに小さな悲鳴を上げるシュロールを無視して、その髪の毛に口付ける。
「これを聖女としてエートゥルフォイユに連れていき、聖女の加護の元にティヨールを滅ぼす。後にもう一度コニフェルードの王女を娶ればよい、あれは使える女だった。私が優しくすれば、再び靡くだろう。三国を手にした私は、この世界で一番の権力を手に入れることになる!」
自分勝手な言い分だった…オルトリーブの身勝手な行動に、様々な人の人生を巻き込んでゆく。
エンジュは言葉の通じない相手に、わがままな子供の癇癪の様な感情をみた。
なによりもシュロールを乱雑に扱ったことに、反射的に攻撃を打ち込みそうになる。
込み上げる怒りをなんとか抑え、会話を続け情報を引き出す。
「そう全てがうまくいくかな?現にコニフェルードは挙兵の準備をしているというが?」
「コニフェルードの向かう先は、ティヨールであってエートゥルフォイユではない。ティヨールが滅びた後に、交渉の席につけば良いだけだ。」
エンジュの突きつける現実を、オルトリーブはひらりと交わしていく。
決定打が打てないまま、二人は動くことができない。
「そう簡単にティヨールが滅ぶとも思えないが?」
「そのために時間をかけて、衰退するよう仕向けてきた。一番やっかいな公爵位も力を持たず、他の貴族達はお互いの利益にしか興味がない。そしてなにより必要のない者達を一掃するために、水脈にこの砂を巻いてきたのだ。万が一にもティヨールが生き延びることはない。さて…。」
オルトリーブがシュロールを抱き上げ、立ち上がる。
「少々喋りすぎたようだ…一番邪魔になりそうなお前を亡き者にして、この者を連れエートゥルフォイユに入るとしよう。」
シュロールを引きずるような形でトンネルの中に入る。
体が薄暗い闇の中へ隠れると、腰に手をまわして何かを取り出そうとしていた。
「…お、王太子様。私は…私の事は…一緒にエートゥルフォイユに入り、私を聖女にしてくださるとおっしゃったではないですか…。」
足が挟まり、動くことはできないが、体をこちらに向けジャサントが王太子に懇願をする。
そのジャサントを王太子はシュロールの肩越しに目を細めて覗き答える。
「お前も役に立つと言い、何度も失敗をしている。今のお前を見る限り、これ以上使えるとも思えぬ。それに自分の手をみてみろ…それで聖女になれるとでも思っていたのか?」
言い終わるとオルトリーブは、本当に自分の役に立てなかったことを悔いればいいと思っているようだった。
ジャサントは前に差し出し、オルトリーブへと向けた手を見つめる。
そこには先程剣で刺したときに浴びた、ハルディンの血がこびりついていた。
「…私は、私は聖女になるの。なるべき存在なのよっ!」
虚しく捨てられ、自分を失くしてしまった女は、渇いた血と砂ぼこりにまみれた手で自分の顔を覆い、空を飛ぶ甲高い鳥の鳴き声の様な叫びをあげ続けた。