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ハルディンと夜に会って想いを確認し合ったあの日より、シュロールは自室より出ることはなかった。
王都より挙兵の知らせがきて、狙いがシュロールである可能性が大きかったせいでもある。
用事があれば、皆がシュロールのところまで訪れてくるし、扉の前では騎士達が見張りをしている。
シュロールにとっては、自室より出れないことがつらいのではない。
自室より出れない為に、他の者が犠牲になるのではないかと、心配でならなかった。
そんなシュロールの心を少しでも軽くしようと、ミヨンとシェスが交代で朝早く中庭で摘んだ花を部屋に飾ってくれる。
今日も来てくれたのだろう、扉の前で護衛の騎士とのしゃべり声が聞こえてくる。
「お嬢様、おはようございます。」
「おはよう、シェス…今日はどうしたの?」
「なにが…で、ございますか?」
花を持ってきてくれたのだとばかり思っていたが、シェスは手に何も持っていなかった。
不思議に思い、少し顎を引き考える仕草をとる。
シェスは笑顔のまま、シュロールを見つめ言葉を続ける。
「お嬢様…先程ご領主様より、今後の危険を考えて、部屋を移るようにと言われております。荷物は後で移しますので、先にお嬢様だけ移動をお願いいたします。」
「そうなの?聞いてないわ…どうしたのかしら、エンジュ様。」
シェスの目が一瞬、眩いものを見るように細くなる。
「おかしいですね、先に伝わっているとばかり思っていました。…いかがなさいますか?急ぐようには言われておりますが。」
「そう…いいわ、あとでエンジュ様に確認することにします。まずは、部屋を確認しに行きましょうか?」
「わかりました、では。」
シェスに導かれ、自室を出たシュロールはまた不思議な感覚に襲われる。
「ここにいた騎士の方がいないわ。さっきシェスと話してたのよね?持ち場を離れる時は、交代の方が来るはずなのだけど。」
「先程の騎士の方でしたらご領主様よりの指示で、先にお嬢様のお部屋を確認をしに行かれました。あちらで落ち合うようになっておりますのでご心配なく。」
そういうとシェスはシュロールに会釈をし、再び先に歩き出す。
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何かがおかしい、シュロールはそう感じ取っていた。
今までにない行動をひとつならず、ふたつ、みっつと重なることがあるだろうか。
そしてシェスはどちらかというと、不明瞭な指示に対しては消極的な方だ…急ぐからと言って、伝達ミスを押し通すことなどするはずがない。
目の前にいるシェスをじっと見つめながら、ゆっくりと足を進める。
時々シェスが後ろにいるシュロールを視線だけで、確認をする。
「そうだわ、シェス。最近お母様の具合はいかがかしら。」
シュロールは問いかけてみた。
ゆったりと令嬢らしく、少しだけ心配そうな面持ちを造り微笑む。
「…ご心配ありがとうございます。お嬢様に心配していただけるなんて、母も喜びます。」
足を止め、振り返り、シュロールに向かい深々と頭を下げる。
「(…ああ、やっぱり。)」
具体的な質問ではなかったことに対し、無難に返答をしている…他から見れば、普通に見えたかもしれない。
しかし決定的に、彼女がシェスではないと言い切れる。
彼女の母親は、彼女が幼い頃に亡くなっているのだ。
今ここにいない本物のシェスが心配だった。
どうやってシェスの姿を、ここまで真似することができたのだろう。
(ああ、さすがにそっくりには無理だったな。見た感じだけが変わる幻術をかけている。触れば違和感があるだろうが、そもそも触れることはないだろう。あちらの私達はこの後、二人きりになりたいと中庭に出る予定だからな。)
いつか聞いた言葉が頭の中でこだまする…これは夜会でオルトリーブが言っていた言葉だった。
シュロールは身震いをし、その場で足を止めてしまう。
「どうかなさいましたか、お嬢様?」
心配そうにシェスが近寄り、覗き込んできた。
シュロールを心配しているシェスの表情は本物だった、でも違うのだ…これは王太子側の手の者だ。
「…ここ数日、気分がすぐれなくて。ごめんなさい、心配をかけたわ。それで…どこに向かっているの?」
「この先のお部屋…もう少しでございます。」
どこと明確に言わないシェスに、自身が狙われていることを確信する。
そっと視線だけで周囲を確認するが、対抗できるそうな者や助けを呼べそうな者がいない。
これからどうするべきかと、歩みをゆっくりと進め時間を稼ぐ。
そこへ通路をひとつ挟んだ先から、大きな叫び声が聞こえる。
「シュロール!何故こんなところにいる…部屋から出るなんて、何かあったの…か?」
ハルディンの、その叫び声が終わる前に、シェスはスカートを軽く持ち上げ、シュロールを真横から蹴り倒していた。
いきなりの衝撃に、シュロールが身構えることはなく、そのまま廊下に体を打ち付けていた。
声が出ずに痛みに叫ぶことが出来ない、でも続けて起こるであろうことから逃れるために力を込めて立ち上がろうとする。
シェスは倒れこんだシュロールの足を、自分の足で踏みつけた。
ぐりぐりと力を込めて両足を割ると、足と足の間に剣を打ち付けドレスを床に縫い付けた。
立ち上がることができなくなった、シュロールは強い視線でシェスを睨む。
シュロールを見下ろしているシェスは片手で顔を隠してはいたが、心から喜びを隠しきれない笑顔を浮かべていた。