73
シュロールが外庭に出てからどのくらい時間がたったのだろう、やっと気持ちが通じ合った二人には離れがたく、いつまでもここにいたいと思っていた。
しかしいつかは朝がやってきてしまう、人の目に着く前に自室に戻らなければならない。
・
・
・
どちらからともなく、そっと体を離す…離れた体の隙間を、夜の風がすっと吹き抜けていった。
シュロールは離れてはみたものの、ハルディンの服を掴んでいた。
ハルディンとて同じ気持ちなのだろう、シュロールとの間に隙間は空いたが、自分の腕の中からは出す気がない。
「もう…誰にも譲らない、遠慮もしない。お前の気持ちが俺にあるのなら、誰にも触れさせない。…俺のものだ、シュロール。」
せっかく気持ちを奮い立たせて、体を離したのだというのにハルディンはまたシュロールをきつく抱きしめた。
シュロールから気持ちを告げられたことが、ハルディンの恋慕を高揚させた。
抱きしめては、頭や額、頬に何度もキスを落とす。
やがてシュロールの顔を覗き込み、自身の親指でシュロールの唇に触れる。
「…っ!」
シュロールは驚き、顎を引く。
先程から自身が羞恥で赤く染まっていることはわかっていたが、今は耳の後ろが痛いほど緊張している。
ハルディンの服を握る手に、力が入る。
まさか…もしかしてハルディンは、シュロールとのキスを望んでいるのだろうか…。
自分で考えた予想だというのに、シュロールは罪悪感と恥ずかしさで、ハルディンの顔がみれなくなっていた。
しかし、視線を合わせてなくてもハルディンがシュロールを熱心に見つめているのがわかる。
もう一度シュロールの唇に触れ、顎に手を添え、ハルディンが顔を寄せてきた。
やはりそうなのだ、言わなければ…このまま黙っているわけにはいかない。
目をきつくぎゅっと閉じる…しかし、これはハルディンの唇を受け入れるためではない。
瞼の裏に浮かび上がる、オルトリーブを憎く思いながら、奥歯を噛みしめ、シュロールは意を決した。
「あの…私、話しておかなければならないことが…。」
シュロールはこれから話すことが、二人を別つことになるかもしれないと、悲痛の色を表情に滲ませる。
ハルディンは側にあるシュロールの表情をみて、なにか大事なことを話そうとしているのだと理解した。
きっと、言わないという選択肢もあっただろう…しかしこの令嬢はそれを良しとしない。
それでもハルディンはもう、シュロールを手放すことはできなかった。
「バカだな…。」
シュロールを再び抱きしめ、頭に頬を寄せキスを落とす。
不器用で生真面目、相手にとって正直であろうとする姿は好感が持てる。
王都の夜会で会う令嬢達の、裏に隠れた真意を探ろうとする姿とはまるで違う。
「言わなくていい…嫌な事を言うかもしれないが、俺は経験がある。でもそれは、色恋でのいくつもある駆け引きの中の、手段のひとつだ。気持ちというか…感情が入ったのはこれが初めてだ。」
ハルディンは言葉の最後の方で照れ臭くなったのだろう、シュロールを抱きしめていた片手を離し、口元を手で覆い隠した。
だが見上げているハルディンの眼のふちが、うっすらと赤くなっているのがわかる。
ハルディンには経験があるだろうとは思っていた、シュロールとは違い夜会で憧れの人と囁かれるハルディンの周りには常に令嬢達が寄り添っていたと聞く。
そのことを聞いてもシュロールはあまりショックを受けてはいなかった、きっとハルディンの気持ちが入っていないということが重要なのだろう。
「(私も…そうなの?そんな風に思っても、いいことなの?)」
貞淑であれ、令嬢たる者は常に周囲よりそう言い聞かされる。
シュロールは自分がすでに、その道を踏み外してしまったと思っていた。
しかし、ハルディンの言葉を聞くと心の在り方なのかもしれないと思う。
自分が想う方に寄り添い、心まで奪われてはいけない…シュロールは目の前が晴れたような気分がした。
「お前も気持ちがこもった行為は、これが初めてだろう?」
そう言うと再びハルディンは、シュロールの顔を覗き込む。
迷う気持ちは、言葉と共に消え溶けていった。
自分の気持ちに向き合うべきだ、シュロールは今から起こることを考え、緊張で震えてた。
指先が冷たく、力が入らない…想っている人の気持ちを受け入れる、こんなに嬉しいことだというのに。
自分の意思で顔を上げることはできなかった、頬に添えられていたハルディンの手に行く末を任せる。
手が顎に移り、ゆっくりと持ち上げられる。
ハルディンの顔は月の光を背に受け、あまり良く見えない…ただその後ろにある月の光は青白く、眩く光り、二人を祝福しているようだった。
ハルディンの顔が近くまで来て、一度止まる。
ハルディンはいつかの時のように、シュロールの片手を取り、自身の心臓の上に導く。
その心臓は、壊れてしまうのではないかというくらい、激しく鼓動を打っていた。
これはハルディンが、自分も同じだと伝える時にする仕草だった。
シュロールの緊張は少し解け、ハルディンと同じ気持ちだったのを嬉しく思い、目に涙を浮かべる。
そして二人は目を閉じ、唇を重ねた。
・
・
・
唇が離れる時、二人とも小さく震えているのがわかった。
想いが届いた時、人はこんな気持ちになるものなのかと、満ち足りた気持ちに溢れていた。
しかし離れた瞬間から、またどこか切ない気持ちが押し寄せてくる。
ハルディンは握っていたシュロールの手に力を込め、シュロールを近くから覗き込むともう一度唇を重ねてきた。
今度は合わさるだけではなく、もっと深くへと。
再び唇を離したハルディンとシュロールからは、熱い吐息が漏れていた。
この時が二人の永遠になればいいと、何度目かの抱擁を交わす。
「俺は、ずるいな。一度は生を諦めた…その後は導かれ、償いに生きようと思った。そしてお前に出会って、焦がれ、側にいたいと願う。それが叶えば、今度はお前を俺の手で幸せにしたい、誰でもなく俺の側で。どんどん欲望が溢れてくる。」
シュロールの目から先程まで浮かべていた涙がこぼれ落ちる、ハルディンの声もまた喜びに震えているようだった。
「誰にも渡さない、シュロール。ずっと俺の側に、ずっと俺だけのお前でいてくれ。」
その言葉を受け、シュロールは頷くともう一度二人で抱きしめ合う。
もう夜が明けてしまう、これで最後にするからと、二人はきつく長く抱き合っていた。