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必死の抵抗を続ける…シュロールにとっては、初めてのキスだった。
今までにハルディンから受けた、色々なキスとは違う…挨拶や気持ちを表すものではない、これは心を通わす者同士が交わすものだ。
涙が頬に伝う、こんな形で奪われたくはなかった。
もうキスをして、幸福な気持ちになることなんてないのではないかとさえ思った。
オルトリーブは執拗に角度を変え、何度もシュロールの唇を求めてくる。
息が上がり、相手の吐息さえも飲み込むほどの位置で呼吸をし、また求める。
自分の下で涙を流し、か弱い力で抵抗をみせる、その赤らめた表情すらオルトリーブを駆り立てた。
熱い感触を何度も、唇に乗せ、深く交わる。
「(…嫌、嫌なの。本当に嫌!もう私に、触らないでっ!)」
頭の芯が冷えるように、シュロールの意識は何も考えられなくなってきていた。
そこに何か慌ただしい音が聞こえてくる。
「…思ったよりも、早く動いたな。」
そう言うとオルトリーブは、最後に軽く啄むようなキスを落として、シュロールの上から離れる。
周りを見回し砂時計と外套を掴むと、蝋燭を消した。
「…私と一緒に来い、シュロール。」
シュロールはそれまで呆然としていたが、力の限り頭を振った。
行かない…私は駒じゃない、人形じゃない。
「また、私の意思に背くのか。よい…少しの間、預けておこう。必ずお前を手元に連れ戻す。」
―――――― バンッ!
激しく扉の開く音が聞こえ、数人が部屋へ押し入った。
「…っ、シュロール!」
最初にシュロールに気がついたのは、ハルディンだった。
ソファに押し倒されているままの姿だったため、シュロールは涙を流したままハルディンから目を背けた。
「…貴様っ!」
その少し奥で我を忘れたエンジュが、容赦しないと睨みつける。
エンジュはドレスの裾を大きくめくり、少し小ぶりな剣を取り出すと鞘を振りぬく形で投げ抜いた。
片手で持った剣を大きく振り上げた時に、ガルデニアの叫び声が聞こえる。
「エンジュ様っ!…私に貴女を抑える力はありません、どうか冷静なご判断をっ!」
その声に一瞬だけエンジュの動きが止まったことを、オルトリーブは見逃さなかった。
「…苦しむがいい。」
オルトリーブは、砂時計の上をねじって開け、砂を掴むと横一線にエンジュたちをめがけて投げつけた。
一瞬にして、視界が黒く覆われる。
顔を背け、やり過ごそうとしている間に、吸い込んでしまったのかシュロール以外の全員が咳き込み始めた。
「…こ、れは…あの黒い靄と同じ…か…?」
ハルディンが喉を抑えながら、がらがらした声を発する。
あの砂は呪いの蓄積、黒い靄の源にあたる…このままだとブロンシュのようになってしまう。
ハルディンの時を考えると、傷口から黒く肉が溶けていった…ならば、吸い込んだ者は内臓が溶けるのではないだろうか。
シュロールは涙の跡をぬぐうのも忘れて、足に力を入れ、エンジュたちの元へ駆け寄る。
声を発することが出来ない為、身振りで訴えかけるが視界が黒い靄に変化していてうまく伝わらない。
シュロールはガルデニアとハルディンの手を引きエンジュの元へ引き寄せる。
三人を背中合わせに立たせて、エンジュを正面にまとめて抱き着く。
「(三十秒くらいなら、息をしなくても死なないはず。)」
シュロールは目を閉じ、シャボン玉を頭に思い描きアイテムボックスに命じる。
「(全員を包む大きさの、球体のお湯を出して!)」
一瞬で辺りの音が消え、温かい静寂に包まれる。
そして静かに祈る…早く、皆の呪いを解いてと。
まだ数秒しかたっていないのか、とっくに三十秒をすぎているのか…シュロールにはわからなかった。
エンジュの口から、「ゴボッ」という音が聞こえ見上げると空気を吐き出していた。
耳元のガーネットのイヤリングの片方が、音を立てて弾け、シュロールはお湯を解除した。
激しい水音と共に、全員が床に落ちた。
喉を焼き、体の奥へとマグマを送るような苦しさはなくなった…だが全員が肩で呼吸をし、整えている。
ずぶ濡れになり床に両手をつき、横たわるシュロールにハルディンは駆け寄る。
「ぐ…ぁ、だ、大丈夫か?」
声がまだ、思う様にでないのだろう…ハルディンの声はいびつに響いた。
奪われたシュロールの無事を確かめようと、ハルディンは抱き寄せようとする。
シュロールは自分の首に手を当て、声が出ることを確認した…シュロールの魔力は、アイテムの解除もできるらしい。
しかし、声が出ることがなんだと言うのだろう。
シュロールはハルディンの方を見ず、手でハルディンを押しやると、低く泣きそうな声で言った。
「…お願い…私に、触れないで…。」
そういうと、濡れてしまった重いドレスを引きずり、エンジュの元まで移動する。
静かにエンジュの胸へ顔をうずめて抱きつき、じっと何かを堪えているようだった。