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王宮での夜会は、華やかで様々な種類の光の渦の中、夢幻の様な空間で開かれる。
磨き上げられた床やグラスひとつに至るまで、ティヨールという国の豊かさを知らしめるかのように整えられている。
今宵、給仕をする者達もまた、普段では着ることができないような衣装で揃えられていた。
白い詰襟の給仕服には金色の刺繍が施されており、全員が白い手袋を着用している。
黒いパンツには、揃いの金色のラインが施されている。
その一つを着込んだ痩身の男性は、自分を消すことにたけていた。
目立つ自身の髪の毛を短いカツラに替え、特徴のある口元をきゅっと結ぶ。
媚びるような目線、自信のなさそうな仕草、そうしてガルデニアは王宮の給仕へと潜り込んだ。
◇◆◇
本来ならば、爵位の低い順に名前を呼ばれ、大扉から入場をする…だが、エンジュはそれらを断った。
そんな目立つことをする位ならば、出席はできないとあらかじめ手紙を出している。
そのおかげで、こっそりと途中から人目を引かずに入場することができた。
…その、はずであった…しかし、目立たないはずがない。
名前は聞き及んでいるものの、女性であって辺境伯を名乗る女性。
女性にしては少し筋肉質であるが、綺麗な体のラインを惜しげもなく披露する。
黒いスタンドカラーから続くマーメイドラインのドレスは、前面の面積と相反して背中が大きくあき、背中にたらすように付いているアクセサリが目立つように作られている。
ドレスとは別に、後ろの腰のあたりからレースの大き目な、ドレープが裾まで広がりボリュームを持たせている。
黒い髪の毛は前髪から綺麗に後ろに流され、きっちりと纏められ、綺麗に結い上げられていた。
それ以上に目を引くのは左の額から見える大きな傷と、目元全体を覆い隠すレースのマスクだった。
堂々とした振る舞い、そして洗練されたスタイル…だが、決して近づいてはいけない。
そう思わせるだけの雰囲気を纏い、エンジュは不機嫌そうにグラスを手に取る。
その後ろには女性の憧れを二分した、あのプラタナス公爵子息が女性を伴って優雅に入場してくる。
一年ほど姿を見ることがなかったが、その時のカリスマ性よりも更に、女性の視線をひきつけてやまない魅力があった。
精悍そうな顔に加え、ふとした瞬間に見せる柔らかい表情。
以前より少し伸びた綺麗な深い赤い色の髪の毛は、男性特有の色気をかもしだしている。
「ああ…ハルディン様が来られるのであれば、今日のドレスを赤色にいたしましたのに。」
「今日に限って、何故赤い髪飾りを身に着けてこなかったのかしら!」
未婚の令嬢たちは、自分たちをエスコートしてくれている男性を忘れ、自分の落ち度を悔しがる。
そのハルディンが優しく手を添えエスコートをする女性、憎々し気に視線を移せば…これもまた驚くほどの美しさを携えた、あの『聖女のなりそこない』と呼ばれた令嬢だった。
一度だけ見た、あの時の張りつめた…触れれば壊れてしまいそうな美しさとは違い、眩しい光が溢れるほどの美を纏っている。
以前の美しさは一輪で立つ、凛としたカラーの花の様な美しさだった。
しかし、今回はどうだろう…寄り添うことで完成するバラの花束の様な鮮やかさだ。
何よりも表情が艶やかだ。
エスコートによる恥じらいで、上気した頬はほんのりと赤く染まり、あの噂とはかけ離れた可憐さがある。
これが演技ならば、なるほどさすがに『傾国の毒婦』だといいたくなる。
社交シーズンのたびに、変貌する様子に…この令嬢はまだまだ美しくなるだろうと貴族たちは値踏みを始めていた。
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ほとんどの貴族の入場が終わり、王太子を待つ間、貴族たちはどうやってこの目立つ者達に声を掛けようかとタイミングを計っていた。
最初に動いたのは、ハルディン目当ての令嬢達だった。
「お久しゅうございます、ハルディン様。このシーズンもお目にかかれ、光栄でございますわ。」
「…ああ。」
ハルディンの表情は変わらない、興味がないことを隠すつもりがないらしい。
それでも令嬢たちは、ハルディンの興味をひける話題を出し、自分に目を向けてもらうことに必死だ。
「プラタナス公爵があのようなことになられ、私共もハルディン様の身を案じておりましたの。」
「私ならばハルディン様のお役にたてると思いますの。是非我が伯爵家を頼ってくださいまし!」
「まあ…貴女の家が出来る事といったら、お金を出すくらいじゃない。我が侯爵家ならば、王家との間を取り持つことができますわ。」
様子を見ていた令嬢たちが、我先にとハルディンの元へ集まり出す。
自然とシュロールとの間に割り居られ、シュロールは小さくため息をつきながらエンジュの元へ移動した。
エンジュはハルディンを見て、舌打ちをしそうな勢いだったがぐっとこらえ、グラスをあおる。
そこへすっと近寄ってきたのは、ラヴァンド侯爵子息のイビスだった。
「こんばんは、フェイジョア辺境女伯。シュロール嬢、今日は一段と美しいね。見たかい?周囲の羨望の目を。目を引く一団が来たと思えば貴女達だとは…。」
にこにこと人のよさそうな笑顔を向けて、イビスは今受け取ったばかりのグラスをひとつシュロールに渡した。
「それにしても、シュロール嬢はたしか…私との縁談の話が進んでいるんじゃなかったかな?他の男にエスコートされている姿を見るなんて…なんだか妬けるな。」
イビスも今回の事は知っているはずなのだが、やはり他の貴族の手前、対面が保てないことに申し訳なさを感じてしまう。
シュロールはイビスに向け、少し眉毛を下げ微笑んだ。
イビスもそれに応え、シュロールの頭に手を乗せようとした。
「…今日は俺のエスコートだ、触れるのはやめてもらおう。」
シュロールとイビスの間に自身の体をはさみ、イビスの腕を掴む。
令嬢に囲まれていたはずのハルディンが、戻ってきていた。
そっと振り向くと少し後ろに、令嬢が数人が眉をひそめ、扇子を開き、こちらを見てなにやら囁いている。
そんなシュロールの隣に立ち、腰に手を回すとハルディンは胸を張りイビスと向き合った。
「これは…はじめまして、プラタナス公爵子息ハルディン殿。」
少しひるんだ格好でイビスはハルディンに対して、礼を取る。
ハルディンは片眉を上げ、イビスから目をはなさない。
「はじめてでもない…そして公爵子息でもないな。今はネニュファールへ籍を置いている。」
イビスはネニュファールと聞き、一瞬眉をひそめたが、すぐに納得した様子だった。
フェイジョアと関係のあるネニュファールに籍を置くならば、ハルディンも関係者だとわかったのだろう。
しかし、イビスは少し納得がいかなかった。
「そうですか…それでハルディン殿。私はこちらのシュロール嬢と、少し縁がありましてね。一番最初のダンスを、申し込もうと思っているのですが…ねえ、次期婚約者殿。」
そう言うとイビスは、シュロールへと意地の悪い微笑みを向ける。
これは絶対本心ではない…そう確信したシュロールはイビスへ言い返そうとするが、ハルディンに先を越されてしまった。
「お断りしよう。シュロール、あちらに他にも飲み物がある。取りに行こう。」
そう言うとシュロールの腰を押し、その場から立ち去って行った。
後に残ったエンジュとイビスは、その後ろ姿を見ながら呆れて言った。
「あれは…彼が若いのでしょうか?それとも私が歳をとり、あの独占欲を持てなくなっているのでしょうか?」
「ちがうな…あれは、ただのバカだ。」
今日はやり切れないことが多すぎる…エンジュはまたグラスを空けた。
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「ハルディン様、あれではあんまりです!」
シュロールは壁際にいたグラスを持った給仕の元へ向かいながら、ハルディンに抗議する。
ハルディンはシュロールをちらっと見降ろしたが、眉を上げて返事をしない。
今持っているグラスを渡し、新しいグラスを給仕の者より受け取ると、ハルディンはようやく口をきいた。
「あいつはお前の事を『次期婚約者殿』と言ったんだぞ?それに最初のダンスだと…下心がすぎるだろ。」
ハルディンの言い分に、シュロールは驚いていた。
どう聞いても先程のイビスの言葉は、本心ではなかった。
なのにこんな風に受け取るなんて…。
「ご自分は、王都の綺麗な御令嬢に囲まれて、はしゃいでらっしゃったのに?」
「はしゃぐ?」
隣でハルディンの機嫌が悪くなったのがわかる、でもシュロールはとまらなかった。
ふいっと、顔を背ける。
なぜこんなことになったのだろう、こんな風になりたくて着飾ったわけではない。
ただ一番きれいに映りたかった、…一番になりたかった、ハルディンの一番に。
「…それが本心ではなく、嫉妬ならいいのだが。」
言われた言葉の意味を考え、泣きそうになるのを堪えて唇を噛む。
「今は…お前が隣にいる優越感と警戒心で、あまり余裕がない。…許せ。」
そう言うとハルディンはシュロールの顎を軽く持ち上げ、唇の横へキスをした。
…ハルディンは、きっとキス魔だ。
言葉はあまりくれないくせに、気持ちが溢れそうになると、必ずキスをする。
それが人前であろうと、気にならないらしい。
羞恥で耳まで赤く染めあがったシュロールは、よろよろと後ろによろけそうになる。
そこはしっかりとハルディンが腰を抱き、自分に引き寄せると、周囲にもわかるように、もう一度頭にキスを落とした。