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春の訪れとともに、夜に迫る夕闇は、明るく穏やかな空色から、薄く淡い紫色へと染まっていく。
鮮やかに咲き誇る花々も、その色を落とし、夜の顔を見せはじめる。
王都の中心である王宮の奥にある塔より、「始まりの夜会」を知らせる鐘が鳴り響く。
ティヨールの社交シーズンは毎年、王宮主催の夜会から始まる。
参加できる者は、一握りの高位貴族達だ。
王宮より招待された者のみに許される、華やかに彩る贅を尽くした夜会に、人々は憧れを抱く。
そして招待される貴族もまた、自身の権威をかけ、極限まで、磨き飾り立てる。
それは儚く、消え解けていく、春の夜の夢のようだった。
◇◆◇
シュロールにとって、夜会へ参加するのは今回で二度目だった。
ただ前回とは違い、夜会までに十分に準備をする余裕がある上に、今回は強い味方が何人もいる。
午前より自身を磨き上げ、この日の為に準備したドレスやアクセサリで飾り立てる。
鏡に写る姿に、おかしなところがないかを入念に確認しつつ、髪の結い上げ方を調整したりと細かいところが気になってしょうがない。
今日のシュロールのドレスはハルディンのエスコートを考え、深い赤を基本としていた。
白く清楚なドレスを、赤い上質な包装紙で包むようなデザインのAラインのドレス。
ドレスの生地は、赤い色味が軽薄にならないように、一段階濃い赤糸でフェイジョアの紋章に入っている花の刺繍が、縦方向に繋がるよう全体に施されている。
ウエストの少し上には、花冠のような細かな銀細工の中にいたるところに散りばめたイエロートパーズが、シュロールの体の形に沿うようにぐるりと巻き付けられている。
綺麗にうなじが出るよう、ゆるく優雅に結い上げられた髪には、同じ銀細工とイエロートパーズを台座にした赤い花の装飾を。
そして首元には黒の太めのチョーカーと、その大きさと同じ大きさの水晶が、眩しい輝きを放っていた。
肩が思いっきり出ている事や、胸元が心もとない事が気になるが、堂々としていないと様にならない。
シュロールはいつもより、色の濃い紅を唇に乗せ、仕上げをして気持ちを切り替えてみる。
黒いレースの手袋と、揃いの扇子を持ち、鏡の前に立つ。
「どうかしら…おかしくない?」
鏡に映るシュロールは、角度を変え何度も自身を確認する。
そのたびに、細かく散りばめたトパーズが小さな輝きを出し、魅了していく。
「お綺麗です、シュロール様!」
ミヨンは仕上がったシュロールを見て、感動の声をあげた。
ドレスの華やかさと、全体の調和はさることながら…ぐっとあいた背中から、腰にかけてのラインが素晴らしい。
一昔前の丸みを帯びたドレスを着ているものには絶対に出せない、曲線の美がそこにはあった。
照れながらシュロールは恥じらう様な微笑みを、ミヨンに向けた。
「(隣に立つのだから、せめて綺麗に映りたい…。)」
鏡に映る自分を見つめながら、そっと鏡に手を触れる。
隣に立つあの人に、自分がどう映るのだろうと思いを馳せていた。
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大きく息を吸い込み、エスコートをしてくれるであろうハルディンの待つ、エントランスへ向かう。
階段を降りる少し手前で、階下にいるハルディンが目に飛び込んできた。
ハルディンも今日は貴族としての装いをしている。
体に沿うような黒いデザインの燕尾に、タイトなパンツと黒いブーツ。
ボタンはシルバーで統一してあり、落ち着いた雰囲気だが、ハルディンの赤い髪の毛がとてもよく映えている。
首元である立ち襟の内側に白いタイを巻いており、そこにはシュロールと揃いの大き目の水晶のブローチが留めてあった。
シュロールの中のハルディンは、下働きの時のように、容姿に気を払わずラフな格好の印象が強い。
だがやはり生まれてから育った環境がそうさせるのか、着るものを改めるだけでこうも印象が違うのだろうかと驚きを隠せない。
ふと…一番初めに会った時の、肩を掴み上げられた時の記憶が頭をよぎる。
シュロールは目を閉じて、頭を振る。
そうしていると階下にいたハルディンがシュロールに気づき、こちらへ近づいてきた。
足早に駆け寄る姿に、シュロールは二つの意味で戸惑いを感じる。
昔の恐怖と、自分がハルディンにとってどのように映るのか…自分の中で不安な気持ちがあふれ出し、泣き出しそうになる。
心なしか嬉しそうに口元に微笑みを浮かべながら、ハルディンはシュロールの正面に立ち、首元にかかる髪の毛を触る。
首元に触れる手が、くすぐったい。
「…あのっ。」
シュロールはぎゅっと目を閉じながら、恥ずかしくなり、声を上げる。
「ああ、可愛いな。」
目を見開き、口元に手を当て、近い距離にいるハルディンを見上げると、今度は角度を変えシュロールの耳元の髪の毛を撫でつけている。
「…俺の色だ。」
満足そうにそう言うと、耳についているガーネットのイヤリングに手を添え、そっと小さく持ち上げる。
ハルディンは目を細めて、イヤリングに顔を近づける。
「目に入る情報の全てが、お前が俺の物だと言っているようだ。」
そう言うと、ハルディンはシュロールのイヤリングにそっとキスを落とした。
耳元にかかる吐息に、シュロールの羞恥はいっそう高まる。
自分の顔が熱いのがわかるほどに、恥ずかしい気持ちを抑えながらシュロールもハルディンに返す。
「ハルディン様も、素敵です。」
「ああ。」
ハルディンは、シュロールがあまり見たことのない優しい微笑みで見つめる。
いつもいじわるな事しか、言わないのに…。
ハルディンは少し前かがみになり手を伸ばし、シュロールの手をそっと掴むと、シュロールと揃いである自身のブローチの元へ、掌が触れるように導く。
自分も同じだと、伝えたいのだろう…そのままシュロールの瞳を覗き込む。
顔が近くに迫り、シュロールの思考は止まってしまった。
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「おい、何をしている。さっさと降りてこい!」
エンジュのくぐもった声がかかる。
視線だけを向けると、先程までハルディンがいたであろう位置にエンジュが立っていた。
ドレスを着ているエンジュは、腰に手を当て、たいそう機嫌が悪い。
「…エンジュ様が…行かないと。」
シュロールが慌てて告げると、ハルディンは残念そうに頷く。
エンジュはその様子から目を離さずに、片眉を上げながらひとり呟くのだった。
「エスコートは許したが、親しくすることを許したつもりはない。必要ならば、私を倒してからにしてもらおう。」
後ろで聞いていたガルデニアは、小さくため息をつき、シュロールの未来を憂いた。