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王都についた翌日、午前中からエントランスの方から騒がしい声が聞こえてきた。
何かあった時の為に、邸の警備は厳重に張り巡らされているはず…だとすれば、予想外の何かが起きているのかもしれない。
シュロールは、ミヨンの制止を流し自室を出て確かめようとしていた。
「シュロール!急ぎここへ!」
邸中に鳴り響くかのような、エンジュの声にシュロールは瞬時に反応した。
普段ならば自分で開けることのない扉を開け、小走りで様子がわかる廊下まで飛び出した。
ミヨンや部屋の前に護衛で張り付いていた、ヴィンセントが後を追う。
エントランスから吹き抜けの廊下まで来ると、ますます状況が読めない。
ただはっきりとわかるのは、女性だと思われる外套を纏った人がエントランスの中央で倒れているのが見えた。
ヴィンセントが横に並び、シュロールと共に階段を駆け下りる。
倒れた人の横には様子を伺うエンジュとガルデニア、そして従者であろう男が取り乱して叫んでいる。
シュロールが下りてきた気配に、エンジュがシュロールを招き寄せる。
「姫、姫!お気をしっかりなさってください。どなたかお願いです、姫を!姫を!」
エンジュに肩を強く抱かれ、倒れた人物の側まで行くと覗き込んだ青白い顔に息を飲む。
「…ブロンシュ様…。」
控えめな服装と、薄めに施された化粧…しかし、見間違えはしない。
シュロールはあの時に対峙したブロンシュが、今こうしてこの邸で倒れていることに困惑していた。
ブロンシュのその姿は、水に浮かぶ白い蓮の花のように今にも冷たい床に溶け込んでいきそうだ。
「やはり、本人か。ガルデニア、医者は手配できるか?」
「その前に、エンジュ様…こちらを。」
倒れこんでいるブロンシュの浅い呼吸から、肉眼でみえるかどうかの薄い黒い靄が纏わりついている。
「伏して…伏してお願い申し上げます!この御方を助けていただけるのであれば、なんだってします!どうか!」
エンジュが支えていた手をのけ、シュロールはブロンシュの元へ膝をつき顔を寄せる。
床に放り出されていた手を握り、声を掛ける。
「ブロンシュ様、わかりますか?シュロールでございます。貴女とは一度、対話を交わしたことがございます。覚えていらっしゃいますか?」
シュロールの声に反応したのか、うっすらと開けた目でシュロールを確認すると、口元に力を入れ微笑みの形をつくる。
その瞬間にブロンシュの瞳から一粒、涙がこぼれていった。
「何故…何がこの様な…。」
シュロールは狼狽える従者を横目に、エンジュを見上げる。
エンジュの目は反対しているようだったが、シュロールの強い視線に大きくため息をつき目をつぶる。
「おい、そこの従者…我が領の名をかけて助けてやろう。ただし…絶対に我らを信じ、裏切らず、他言しないと誓え!」
「…医者を、医者を呼んでくださるのですか?」
震える従者に威圧を掛けるエンジュに、それに縋りつく従者。
これはフェイジョアの行く末と、コニフェルードの国としての威信に関わるやり取りだ…シュロールは黙って見守るしかない。
問いには答えず、ただ黙って威圧をかけ続けるエンジュに従者の方が折れた。
「お任せいたします…必ず、この御方を助けてください。」
震え床を凝視した従者は、祈る様にそのまま泣き崩れる。
エンジュは頷き、ブロンシュへ近づくとそのまま抱きかかえた。
「聖女と同等の力を、見せてやろう。」
◇◆◇
「お待ちください、何故私が部屋に入れないのですか!」
足早に付き従う従者は、シュロールの部屋の前でエンジュに訴えていた。
「うるさいっ、お前は主人の裸を見て首を飛ばされたいのか!心配なら、侍女を呼んで来い!」
急いでいるために詳しい説明もしないまま、エンジュは扉を閉めようとする。
「しかし…貴方様は…。」
従者は目上の者であるにもかかわらず、自国の姫の為に許しを得ようと必死ですがる。
「お前…主人がどこに行くか聞いていなかったのか?フェイジョア辺境女伯…私は女だ!」
いや、仕方がないだろう。
ドレスを着た令嬢を、ひとりで抱きかかえることができる女性は見たことがない。
従者は行く先のない手を宙に浮かべたまま、ブロンシュが部屋に入るのを見送った。
「誰かもう一人、女手を!コルセットまで脱がすぞ!」
エンジュがブロンシュを片手で支え、ドレスをはがしにかかっている。
慌てたシュロールとミヨンが手伝い、ドレスを脱がすときつく締めあげられたコルセットが露わになる。
これを外すのにどれだけの時間がかかるのか…。
シュロールとミヨンは戸惑いながらもたついていると、エンジュは持っていた指装甲で締め上げている紐を一つずつ断っていった。
最後の紐を切り、ミヨンも手伝いながらコルセットを外すと、その瞬間ブロンシュから、黒い靄が立ち昇った。
何故…あの剣はハルディンが持っている。
そして解呪もしてあり、使用したとしても呪いの効果はでないはずだ。
そしてブロンシュの体に傷の様なものは、見当たらない。
いったい何故、どうやってこの呪いを受けたのだろう。
そう疑問に思いながら改めて確認する。
この黒い靄は間違いなく、あの時の呪いが込められた靄だった。
得体のしれない呪いに恐怖を感じながらも、シュロールは先に浴槽へ入った。
両手を組み、祈るような気持ちでブロンシュを待つ。
コルセットや靴下、靴を脱がし終わったエンジュは再びブロンシュを抱え、そっと浴槽へ降ろした。
ここはシュロールの自室の為、浴槽は一人が入るのは十分でも、二人はいると少し狭く感じる。
それでも意識のないブロンシュを支える手に力を込め、祈る。
少し前にやった様に解呪に意識を向けて、祈り続けるとやがて湯は白く広がり、白い花の様な形を造っていく。
ブロンシュから溢れ出る黒い靄と、混ざり合いそして白く溶けていく。
その白い花たちは、薄く黄緑色に輝きながら、ブロンシュの周りを形どっては消えてゆき、次第に黒い靄はほとんどなくなっていった。
シュロールの肩に頭を持たれかけていた、ブロンシュから黒い靄が消えた時に囁くような声が聞こえた。
「…ここは?…なぜ…私は、生きているの?」
薄く目を開けたブロンシュは、力なく呟いた。