閑話 カメリアとハルディン
綺麗に洗われ、陽の光を浴び、風にたなびくタオルを眺めるのは、存外気持ちの良いものだ。
目に映る整列された洗濯物と、その先にある薄いパウダーブルーの空を見上げて汗をぬぐう。
「ブレシュールさん、お偉い方がブレシュールさんにお会いしたいと…。」
侍女の一人が、不安そうに声を掛けてきた。
この侍女は最近気がつけば側におり、世話を焼いてくれているようだが…あまり構わないでほしいと思っているが、伝わっていない。
それにしても朝早くから、会いたいと伝言をしてくる者。
あの女や狐顔ならば、有無を言わずに呼びつけるはずだし、シュロールならばこの邸の者は「お嬢様」と、全員が親しみを込めて呼んでいるはずだ。
なにか、嫌な予感がする。
「今、忙しい。」
そう言って作業に戻ろうとすると、戸口より令嬢らしい声が聞こえてくる。
「そこをなんとか…私と貴方の仲なのですから、少し時間を取っていただいてもよろしいのではなくて?」
人聞きの悪い内容に、うんざりする。
この思わせぶりな口調、柔らかくお願いをしているようで、その実ハルディンに拒否する権利はない。
顔に絶望を塗り付け、天をも仰ぎたくなるような気持ちで振り返る。
そこには以前王宮にて、お節介にもハルディンとシュロールの間に割り込んできた、隣国の次期王太子妃が親し気な微笑みを浮かべながら供の者を連れて立っていた。
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騎士棟の裏側にある外庭は、下働きの者や使用人達の休憩に使われることが多い。
時間的に誰も来る様子がなく、人に聞かれたくない話をするのにはちょうど良い。
きちんと手入れをしてある垣根の前に、椅子を運びカメリアを座らせると、ハルディンは近くにあった大き目の植木鉢を逆さまにし、カメリアと向かい合うように腰を落とす。
ハルディンは足を組み、その上に腕をのせ答える。
「それで?」
カメリアは供の者に少し離れるように声を掛け、視線で場所を指定する。
離れたことを確認すると、困ったような顔をして話し出した。
「まさか…貴方がここにいるとは、思わなかったわ。王宮で貴方を追い返した時に、シュロとの縁は切れたと思っていたのに…。」
カメリアは、小さな溜息をつく。
「ああ…あの時はまだ、諦めてはいなかったけどな。」
視線を落とし、遠くを見つめるようにハルディンは答える。
皮肉な言葉に口元を上げ、あの時の自分を振り返り自嘲的に笑う。
今思えばあの時はなんと愚かだったのか、このフェイジョアに来て何度後悔したかわからない。
「今は諦めているというの?」
手に持っていた扇子を開き、口元を隠しながら鋭い視線を投げかける。
カメリアとハルディンは互いの意図を推し量るかのように、しばらく無言で相手を探っていた。
「…当然だろう?」
「当然ね…いえ、違うわ。ならば貴方はなぜ、まだここにいるの?」
カメリアの問いに、今度はハルディンが片眉を上げる。
自分からは話すつもりはない、カメリアへ続きを促すかのように黙って見つめている。
「償いというのならば、もう必要ないはずよ?身を挺して、シュロールを護ったと聞いたわ。命より重い償いなんてない…貴方の償いは、十分すぎるほど返せてるはずよ?」
もっともな言い分だ、もうハルディンにはここにいる理由はないのかもしれない。
きっとこのお節介なシュロールの友人は、シュロールの周りからハルディンを排除したいのだろう。
「それも結局は、あいつに治してもらっている。今度は償いの上に、命の恩人がついてまわる。」
肩を竦めて、口元を歪ませる。
諦めていると口では言いながら、まだここにいる理由を探している自分に驚いていた。
「強情な男ね…。」
「花姫に認めていただけるとは、光栄だ。」
「言い方を変えるわ、この場所に拘る理由はなに?」
「…………。」
「ご実家も爵位を返上されているとの噂よ?今の貴方なら、迎え入れてもらえるのではないの?」
「爵位を返上しているのであれば、どこにいても同じだろう。ここにいても問題はない。」
ハルディンはそれこそ意味がないと、皮肉気に笑いながら答えた。
プラタナス家に戻っても爵位もなく、居場所もないなら、働けるここにいた方がましだとばかりに言葉を突き返す。
カメリアは溜息をついた。
この男から本心を引き出そうと、話しかけたのだが…やはりと言うべきかなかなか一筋縄ではいかない。
文句も言わずに下働きをしていて、態度も真面目だと評判だったので、少しは期待していたのだが。
こうなると、こちらの手の内を明かさないと、進みそうにない。
「本当に強情ね、シュロはもう少し素直だったわ。」
「あいつが…なんだっていうんだ。」
シュロールの名前を出すと、ハルディンを包む空気が変わる。
先程と同じような態度をしているが、関心がこちらに向いたことがわかるほどだ。
「私から言うのも悔しいのだけれど、シュロは貴方の話をすると…顔を赤くするのよ。」
くすくすと笑いながらカメリアは、羨ましいわねとハルディンに囁く。
「なっ!」
一瞬でハルディンの耳が真っ赤に染まる。
手を口に当て、表情を隠すのに必死の様子だ。
「あら、貴方もそんな反応をするのね。」
「……高貴な身分の割には、人が悪い。騙したのか?」
口元を抑えたまま、視線だけでカメリアを射抜く。
下働きをして少しは丸くなっているのかと思ったが、まだこんな表情ができるのかと驚くほどの威圧感だった。
「いいえ、本当のことよ。残念だけどね。」
「…そうか。」
残念と言われたことは気に留めず、本当の事だとわかると、ハルディンは悟られないように少しだけ表情を緩めた。
カメリアはその隙を見逃さずに、更に話を進める。
「先日、シュロに縁談が来たそうね。貴方はそれでいいの?」
「俺に何ができる?あいつとどうにかなれる身分でもない。」
努めて平常心を取り戻し、ハルディンはなんでもないことのように振る舞う。
この先…それが現実になったとしても、その時の自分がどんな行動にでるかわからない。
だから常に自分に言い聞かせる、「諦めるしかない」と。
「私は…じきにドラン様に嫁ぎグランフルールの王太子妃になる。グランフルールに有益に動いてくれるのであれば、爵位を用意すること位できるわ。」
ハルディンはカメリアの正気を疑った、色々な意味でそれは無謀としか言いようがなかった。
何を考えているかわからないが、根底として揺るがないことがある。
「国を裏切るつもりはない。」
「ティヨールを裏切れとは言わない、でもティヨールとグランフルールにとって有益になることなら貴方にもできるでしょう?」
ハルディンはカメリアが自分に何を求めているのか、計りかねていた。
ただ…自分の都合の良いように解釈すると、シュロールの為に這い上がれと言われているようだと感じる。
瞼を閉じると、他の男の腕の中に納まるシュロールの姿が浮かび上がる。
ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
「シュロを諦めるの?」
ハルディンの気持ちを煽るかのようなタイミングで、カメリアはたたみ掛ける。
心の奥にしまったはずの炎が揺れ始めたかのように、瞳に力がこもっていく。
大きく息を吐き、一度ゆっくりと目を閉じる。
あがけるだけあがき、這い上がれるだけ這い上がり、隣に立てるだけの男になれれば、気持ちを伝えることくらい許されるかもしれない。
あの日、掌にしたキスの意味は本当だ。
「…少し、時間をくれ。」
それだけをようやく口にし視線を落とすと、地面の近くに花を咲かせている薄紫色のクロキュスの花にうっすらと微笑みかけた。