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フェイジョアの冬の空は、他の都市に比べ雲が厚く広がる。
昼間だというのに少し暗く感じるその空は、現在のエンジュの心境のようだった。
執務室の窓へもたれかかり、先程話した内容を振り返る。
数日前に王都のラヴァンド侯爵家より、手紙が届いた。
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内容はシュロールへの縁談、年頃の子息がいるので一度二人を引き合わせたいとのことだった。
更に腹が立つことに、手紙を出した翌日には王都を出立するので、そうお待たせはしないという。
断る時間を与えない、戦略としては悪くない方法だが、エンジュとしては相手の思う通りに事が運び、苛立ちを隠せない。
相手が侯爵位なのといい、王都より伝わり聞いた、『傾国の毒婦』を捕獲せよという、命令に沿った行動なのだろう。
いよいよ動く者がでてきたかと、エンジュはほくそ笑んだ。
だがシュロールの反応は違っていた。
ラヴァント侯爵が来ると聞いただけで、嬉しそうに顔をほころばせたのだ。
なんでも幼いころから、魔力の研究を進めた仲間の一人なのだという。
嬉しそうな姪御殿の顔に、客人の意図を探るのは本人を前にしてからで…とエンジュは考えを変えた。
ただ警戒だけは怠らない。
万が一にも悪意を持って襲い掛かれば、フェイジョアの牙をもって叩き潰すだろう。
だが我が姪御殿は本当にわかっているのだろうか…相手が来る理由を。
◇◆◇
あくる日の夕方遅くに、馬車はエンジュの邸へとたどり着いた。
大きな四頭立ての馬車は、綺麗な栗毛色の馬で揃えられていた。
二台目の馬車から、優し気な印象の紳士が降りてくる。
久しぶりに見るその姿に、嬉しさから思わず駆け寄り声を掛ける。
「ラヴァンドの小父様、お久しぶりです。遠いところをわざわざお出でいただけるなんて…。」
シュロールは目にうっすらと涙を浮かべながら、挨拶をする。
「おお、シュロール嬢…お元気そうで、少し大人っぽくなられましたかな?」
シュロールを見つけたラヴァンド侯爵は、手を広げ抱擁を交わす。
ラヴァンド侯爵は共同研究の出資者の一人であり、シュロールが知っている王都での数少ない優しい大人であった。
「エンジュ様、こちらラヴァンド侯爵です。王都ではとてもお世話になりました。」
「これはこれは、噂に違わず気品のある御方だ。ラヴァンド侯爵家、オルム=ラヴァントと申します。こちらは息子の…。」
「ラヴァント侯爵が子息、イビス=ラヴァンドと申します。本日は滞在の許可をいただきありがとうございます。」
「よくお出で下さった、私がエンジュ=フェイジョア辺境女伯だ。どうぞゆっくりしていってくれ。旅の疲れもあるだろう、まずは部屋へ案内させよう。そのあと夕食をご一緒に、シェフがお客様と聞いて張り切っているのでな。」
そういうとオルムは緩み切った笑顔で、眼鏡を上げながら助かりますとお辞儀をした。
その日の夕食は楽しいものとなった。
シェフはお客様のことを考え、王都の様に洗練された料理とフェイジョアの特色を見事に融合させた。
王都では食べた事のない味にオルムは感激をし、イビスは楽しそうに分析していた。
デザートには、フェイジョアで採れるグリオットがいくつも載ったタルトが出てきた。
シュロールは目を輝かせて、その皿を眺める。
赤く表面が反射するほど艶のあるグリオットは宝石の様だ。
ひとくち口にすれば、口いっぱいに広がる甘酸っぱさと、ぷつんと気持ちのいい弾力が口の中で味わえる。
「さてそろそろ、男性陣はシガールームへ移動する頃合いだが?」
エンジュが夕食の終わりを告げると、オルムは丁寧に断りを入れてきた。
旅の疲れを理由に、明日改めてとのことだった。
「ではお部屋まで送らせていただく栄誉は、私にいただけますか?」
イビスが丁寧にシュロールへ、お伺いを立ててきた。
シュロールは子供のごっこ遊びの様に、「よろしくてよ」と手を差し出した。
◇◆◇
翌日のシュロールとイビスは、お昼までの時間を軽めのお茶を飲みながら過ごそうとサンルームへ来ていた。
王都での研究がどうなったのかなど、たわいもない話をしていたところにシュロールはふと話の方向を変えた。
「イビス様も小父様に付いてここまで、大変だったでしょう。わざわざ付き合わなくても、良かったのでは?」
自分に振られた話題に、イビスは少し困った顔で答える。
「まあ、自分の縁談の話だからね…自分で来るのは、当然だよ。」
こくんと紅茶を飲みながら、なんでもない風を装いイビスは答えた。
その答えに手が止まったのはシュロールだった。
「えっ、でも…それは口実なのでしょう?イビス様が、私とだなんて…。」
自分がこんなにも周りが見えてなかっただなんて、思っていなかった…まさか、本当に縁談の話だったなんて。
シュロールはオルムが縁談を口実に、自分の様子を心配して見に来てくれたものだと思っていた。
「そうなっても構わないと、私は思っているんだけどね。」
カップをソーサーに戻し、イビスはゆったりとシュロールの目を眩しそうに見つめた。
シュロールが加わるより前から、魔力について研究をしていたイビスは、歳が近いシュロールを共同の研究へ快く受け入れた。
一緒に学び、意見を交わす…仲の良い兄の様な方だと思っていた。
イビスと夫婦になる、その事を想像すると、心のどこかでひっかかりを感じる。
いつかはシュロールも、相手を見つけ、結婚をする。
でもそれは自分と共に、フェイジョアの未来を考えてくれる人。
そしてシュロールの魔力を、理解してくれる人だと思っている。
イビスは優しい、きちんと人の意見を聞くことが出来る人だ。
でも違う、なにかがシュロールの中で違うのだった。
「その様子を見ると、シュロール嬢は違うみたいだね。」
優しく相手を不快にさせることのない口調で、イビスは言った。
その結論の様に呟いたイビスに対して、シュロールは何も返すことができなかった。