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寒さが本格的になってきた日の午後、中庭で体躯の良い庭師に声を掛けてみた。
好きな花の話をして、今一番可愛く咲いているローズドゥノエルの鉢植えを貰う。
白く細工の細かい植木鉢に収まり可愛らしい花を咲かせているその花は、まだたくさんの蕾を携え長くその丸く可愛い姿を楽しませてくれそうだ。
窓際に置き愛おしく眺めていると、紅茶の準備をしていたシェスから声がかかった。
先日エンジュ様より分けていただいたミュスカの紅茶は、香りがよくさらりと口に広がる。
あとでこの紅茶に合いそうなフィナンシェに、アリストロシュ様からいただいたブローブラン産のヴァレニエを添えてエンジュ様に届けてみよう…機嫌よくそう思いつくとシュロールはシェスへ、厨房よりフィナンシェを作ることができないかを訪ねてきてもらうことにした。
シェスは少しぎこちない様子で引き受け、自室をでていった。
シュロールの自室には数日前と変わらず、数人の騎士が護衛の為に待機していた。
この頃になるとシュロールも少しは慣れてきたのか、自室でのお茶を楽しむ余裕がでてきていた。
ひとつ部屋を挟んだ先の扉より、ノックの音と数人の声が聞こえる。
シュロールは持っていたカップをソーサーに戻し、立ち上がり本棚へ向かう。
控えていた騎士が扉より現れ、来客を告げてきた。
「お嬢様、ヴィンセントがお嬢様と面会をしたいと言っておりますが…。」
「今忙しいと、断って下さい。」
手に取った本を適当なページで広げ、視線を上げないままシュロールは告げる。
二、三冊を選び、ソファへと戻る。
取り付く島もないと悟った騎士は、入り口の扉へと引き上げていく。
そうしてシュロールはたいして興味もない本へと、意識を向けるのだった。
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「お嬢様、無礼を承知で申し上げます。ミヨンに謝罪の機会を与えてやってはいただけませんか!」
図書室へ向かう廊下にて、シュロールはヴィンセントとミヨンに待ち伏せされていた。
こんなこともあるだろうと護衛の騎士にも一応は伝えていたが、やはりと言った行動だった。
廊下の途中で頭を下げる二人。
シュロールが声を掛けるまで、頭を上げる気配がない。
シュロールは静かにミヨンに対して怒っていた。
あの日あの時に、落ち着いてからすぐ、ミヨンに対して「下がりなさい」と命を出した。
それから数日は、側に呼んでいない。
周囲もそれを察してか、静かに見守っているかのようだった。
シュロールは溜息をつく、自身でもこのままでよくない事はわかっているのだ。
「いいわ、機会と言うのであれば…今ここで。」
ぱっとミヨンが顔をあげる。
その顔には喜びが浮かんでいた。
「こ、この度は私の采配がいたらないせいで、お嬢様には大変申し訳なく思っております。もし次があるのであれば、お嬢様にあんな思いは絶対にさせません。」
一通りの事を言い切ると、ミヨンは再び頭を下げた。
勢いよくそう畳みかけるミヨンを、シュロールは表情がないまま見つめている。
「(ほらね、やっぱり。)」
シュロールにはミヨンがさっぱり理解できていないことが、手に取るようにわかっていた。
この謝罪はきっと、シュロールに対して軽口をきいた騎士達を制しきれなかった事に対してだろう。
このやり取りを見て、ヴィンセントの顔に疑問の色が浮かんだ。
シュロールの表情をみて、ミヨンの謝罪が的を射ていないことを悟ると、申し訳なさそうに頭を下げ力強く頷く。
その様子にシュロールはわからないままに頷き返した。
「あー…今日は大変な一日でした。もう体中が痛くて痛くて。そうだ!お嬢様といつも一緒にいるミヨンなら、同じような効果があるかもしれない。ミヨンが入った後の湯につかって疲れをとれるか確かめてみようか?ミヨンもいい感じで煮出されるかもしれないしな。」
ふふふん、と楽し気な声をだしてヴィンセントは話す。
ミヨンは一瞬にして兄であるヴィンセントへ、侮蔑の視線を投げた。
いつもいつも、兄はデリカシーのないことを平気で口にする…ミヨンはそれが自分の兄だということがたまらなく嫌だった。
「お兄様、大概になさいませ。騎士として、それ以前に紳士として恥ずかしくないのですか。妹をそんな風にして辱めるなど……ありえ…ま…。」
顔を真っ赤にし、ヴィンセントへの怒りを隠さずにミヨンは声を荒げて罵倒していた。
その途中で何かに気が付き、声を小さくしていった。
ミヨンの視線は落ち、一点を見つめながら何かを考えているようだった。
「しかし、私とお嬢様では神聖さが違います。」
曇りのないまっすぐとした目で、ミヨンはヴィンセントに疑問を投げかける。
ヴィンセントはそんなミヨンを宥めるように、柔らかい口調で答えた。
「ミヨン。お嬢様も令嬢であり一人の女性だ、恥じらいはあると思うよ?自分から滲み出ていると思われるものを、他人に浴びせるなど…それも口に出して言われるなんて羞恥に耐えないと思うな。」
シュロールは現在、ヴィンセントがそれを口に出して諭す事さえ恥ずかしいが必死に耐えている。
ミヨンの元気は段々となくなり、下を向き自分の思いをぽつりぽつりと話し出した。
「私は…お嬢様の魔力が神聖な物であり、皆が敬う物だと思っていました。それをお嬢様がどう思っているか、誇らしくありこそすれ、恥ずかしがってらっしゃるなんて微塵も考えていませんでした。」
ミヨンがやっと…気が付いてくれた、シュロールはほっと胸を撫でおろす。
見る見るうちにミヨンの目に涙が溜まってゆき、ぽろぽろと泣き出してしまった。
「も、申し訳…ござい、ません…お嬢様。」
自分がお仕えする大事なお嬢様に、恥をかかせてしまった。
それに気が付かず、今もこうして兄に助けられている。
ミヨンは自分が情けなく、謝罪をしてもなお、涙がとまらなかった。
シュロールは近づき、頭を抱えるようにしてそっと抱きしめた。
「気づいてくれてありがとう、ミヨン。これから図書室へ行くの。部屋へ戻ったら、美味しい紅茶を入れてくれるかしら?」
ミヨンは掛けられた言葉に、顔を上げると近い位置でシュロールの視線と交わる。
「それにね、ミヨンの言葉もだけど…あの失敗は私のせいなのだし…。」
そこまで話すと、ミヨンに聞こえるか聞こえないかの声で囁く。
「とても会いづらい方もいるのよ。」
顔を真っ赤にして、視線を落としながら再びミヨンをぎゅっと抱きしめる。
あの時の事は、何度も思い出す…寝る前に目を閉じると浮かんでくるし、夢にまで見る始末だ。
あんな令嬢として、はしたない事をしてしまうなんて…次にあった時はなんと言われるのだろう。
そしてそんなシュロールの事を、どう思ったのか。
その原因となる人の事を考えていた。