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シュロールを抱き上げたエンジュと、それを追いハルディンを担ぎ上げたグルナードが湯船より上がってくる。
意識がないシュロールと、いまだ傷を負っているハルディンを大浴場の休憩できる場所へ移動する。
アリストロシュが近寄り、ハルディンへできる限りの処置を行い、シュロールの無事も確認する。
ハルディンの状態は最初の傷より大きく抉れた腹は、出血や腐食の進行は見られない。
この状態でよく生きていると思わせる位に、時間が停止しているかのような、安定した状態だった。
シュロールの方は、今まで使ったことのない魔力の大量放出が原因だった。
エンジュはシュロールの側を離れず、自らの羽織っていたストールを巻き付け近づく者を威嚇していた。
これもエンジュの本能なのだろう、自身で願ったことだというのにシュロールが倒れたところを見ると、我を忘れた。
今はシュロールの意識が戻るまで、誰にも触れさせまいときつく抱きしめていた。
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「この方は『聖女のなりそこない』と、呼ばれていたのではないのですか?」
力なく問いかけるアリストロシュへ、エンジュの殺気があふれる。
側にいたガルデニアは状況見て、アリストロシュを制止しようと足を踏み出し腕をアリストロシュの前に出す。
「先程見たアレは、間違いなく聖属性の魔力でした。傷の回復と呪いの解除…どちらか一方ではなく両方を癒すだなんて。それも複数をいっぺんに!聖女の御業としか…考えられない。」
制止を聞かず、アリストロシュはしゃべり続ける。
知ることをしなかった自分の愚かさが、止められたはずの惨事をおこしてしまった。
アリストロシュは、知らねばならなかった。
「…だから、なんだ。」
エンジュの殺気は収まらない。
グルナードはアリストロシュの側へ移動した、いざという時にエンジュを止められるのはグルナードしかいない。
他の騎士へも、視線を通し控えさせる。
「私は…いえ、この方は『傾国の毒婦』だと。今現在の王都が、あのような状態になったのは…すべてこの方にあると。」
そこまで聞くと、エンジュは言葉を発することはしなかった。
周囲にいる者たちは、鳥肌が立つのを感じた。
エンジュの顔が翳り、目に宿す光が消える。
ゆっくりと自分の手を持ち上げ、アリストロシュに向かい掌を向ける。
ただ向けられただけで、死を覚悟するには十分だった。
やがて表情なく、憎しみをすべて込めたようにゆっくりと掌を握りこもうとしたとき、空気が漏れる音のような囁きが聞こえてくる。
「…さ…エ…ジュ…さ、ま。」
シュロールが、エンジュを呼ぶ声だった。
いまだ意識がないままエンジュを呼ぶ声に、エンジュの意識はいっきにシュロールへ引き戻された。
「私でわかることは、全てお話いたします。」
アリストロシュは、膝をつきがっくりと項垂れる。
医師として人を救うと誓い、今まで生きていた。
しかし自分が救われて初めて、人を人として見た気がする。
◇◆◇
瞼が重い…光を感じるのに、目を開けることができない。
体も思うように動かすことができない、どうしてこんなに力が入らないのだろう。
「…お嬢様、お目覚めですか…お嬢様?」
ミヨンの声がする、早く起きないと心配をかけてしまう。
シュロールは熱く重い瞼を、力を入れて薄く開けてみた。
見知らぬ天井が見えたが、瞬間ぐるぐると回り出し胸から突き上げる物に襲われる。
「シュロール。」
エンジュの声が聞こえる。
あまりの気分の悪さに再び目を閉じたが、その声色はとても心配そうだった。
「大丈夫です、エンジュ様。」
目の上に冷やした何かを置かれたシュロールは、がんばってそう答えた。
この人にこんな声を出させたくない。
なんとか口元に、笑みを作って見せた。
「今しばらくこの状態が続きますが、問題ありません。時間と共に解消するでしょう。」
この声は聞きなれない、多分アリストロシュだろう。
問題ないと聞き、安心したシュロールは大きく息を吐く。
ふと重く回らない頭に、浮かんでくることがある。
「エンジュ様、ハルディン様は?」
「大丈夫だ、傷は大きく残っているが、不思議なことに生き延びている。」
言われていることは、いまひとつ理解できなかったが大丈夫そうだと聞いて、シュロールは目じりから涙がこぼれた。
なんとか…なんとか、魔力を発動することができた。
エンジュが信じてくれたことに応えることができた。
ハルディンを救うことができた。
皆を救うことができた。
今まで理不尽を感じたことが多くあったが、今この時をと、自分の中の魔力に感謝して再び眠りについた。