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最近エンジュの邸が、何故か慌ただしい雰囲気が流れていた。
使用人や騎士たちの態度がよそよそしく、意識も集中しきれていない様子だ。
詳しい話はわからないままだったが、ミヨンが聞いたところによると、王都の経済が不安定な影響が辺境まで影響しているとのことだった。
エンジュやその側近のグルナードやガルデニアは忙しく、一日姿を見ない日もある。
代わりにヴィンセントがシュロールの側を離れない。
その他にも交代で騎士数名と、何故かハルディンも入っていた。
「お嬢様、少し窮屈な思いをされると思いますが、エンジュ様のお許しがでるまでこのまま我慢してください。」
ヴィンセントは申し訳なさそうに、シュロールに申し出た。
自室から出ることはほぼない、ベッドルームとバスルームは自由に行き来ができたが、ソファが置いてある部屋には護衛が交代で見張りをしていた。
ここまで徹底されると、まるで監禁のようだと思わなくもないが、根拠がないことをするエンジュではないので、黙って従っていた。
「このままだと、魔力の発動を試すことは無理そうね。」
騎士数名が扉を隔ててはいるが、中の気配を伺っているというのに…昼間から入浴をするなんてことはできそうにない。
それにもうひとつ課題があった、そのことについてハルディンに助言をもらいたかったのだが…あれ以来なにを話していいのか、シュロールは戸惑っていた。
◇◆◇
「夜分に申し訳ありません。エンジュ様より伝言を預かっています、シュロール様はご就寝でしょうか?」
夜も更け護衛も交代し数名が待機している応接室へ、エンジュの伝言を届けに騎士が訪ねてきた。
対応した騎士が顔見知りだったらしく、軽く話をして手紙を受け取る。
入って来た者は部屋が珍しかったのか、きょろきょろと辺りを見回すと奥へと入っていった。
「おい、奥へ行くな。」
ハルディンがそう声を掛けると、伝言を持ってきた者は振り向かずに、突然奥へと駆け出した。
騎士たちの意識が一気にそちらに集中した、状況を見ていたハルディンは動きが早かったが、他の騎士は入り口で手紙を見入っていたため出遅れてしまった。
扉をあけ更に奥へと進もうと、ベッドルームの扉に真っすぐ突き進む。
その手にはすでに抜かれた剣が構えられていた。
ハルディンが肩に手を掛け力を入れて、引き戻そうとする。
それを逆手に取り振り向きざまに、切りつけてくる。
ハルディンは護衛と言っても下働きの身分で、唯一の丸腰だった。
このまま行かせるわけにはいかないと、相手の動きに沿うように加重をかけ二人して床に倒れこんだ。
そこまですると少し時間を稼げたのか、他の騎士が駆け寄ってくる。
剣を持った者は暴れ抵抗し、死に物狂いで剣をふるい続けた。
太刀筋もなにもない、ただ振り回すだけの剣に騎士達は翻弄された。
床に転がるハルディンをかばって、腕を切られるものもいた。
なんとか抑えつけることが出来た時は、すでに惨事の後だった。
素早く伝令を出し、エンジュと側近の二人がシュロールの部屋へ現れた。
医師であるアリストロシュも呼ばれてきたようだった。
シュロールもガウンを羽織り、扉から声をかける。
ベッドルーム側から騒ぎは聞こえていたものの、騎士によって扉は開けてはもらえなかった。
エンジュの命により扉が開けられ、目にしたものはハルディンが腹より血を流し床に倒れている姿と、数名の騎士が腕や頭から血を流している様子だった。
「それで、先生。状況はどうなんだ?」
エンジュがアリストロシュへ問いかける。
アリストロシュは頭を振りながら、布を傷口に当て回復を試みる。
「これはやっかいです。傷も大きいが…同時に呪いが、加わっています。」
その話を聞き、側近の二人は周囲を探す。
伝言を持ってきた者が持っていた小ぶりな剣…あまり見たことのない形の剣が呪いの元になるものらしかった。
「これには触れるな。騎士を数名呼び、この剣の周囲を見張らせろ。」
しばらくすると、傷を負った数名から黒い靄のようなものが立ち上ってきた。
傷を見ると徐々に肉が溶け、腐り、異様な臭いを放っている。
「ダメです!傷はなんとかできても、同時に呪いが蝕んでいく。医師が数名と聖職者が数名同時に処置をしなければ、もうもたない!」
アリストロシュは悲鳴のような叫びをあげた。
それこそ無理な話だった、夜も深く、ここに医師はアリストロシュしかいない。
聖職者ともなれば、領に一人いればいい方だろう。
エンジュは部屋全体の様子を見て、低く唸る。
「弱音を吐くな。誰一人諦めることは許さない。」
シュロールはハルディンから流れる血をみて、震えていた。
声を上げたくても、あげられず。
駆け寄りたくても、足に力が入らない。
これはなんなの?なぜハルディンがこんなことになっているの?
エンジュはシュロールの側まで来ると、震えるシュロールをそっと抱きしめた。
抱きしめられた瞬間に涙がこぼれる。
「姪御殿、怖いだろうが助けてくれないだろうか?」
耳元で囁かれる言葉に、何を言っているのか、シュロールには理解ができなかった。
流れる涙をそのままに、エンジュを見つめる。
「姪御殿にどこまでの力があるか、わからない。まだ試すこともできていないのだろう?だが今、必要としている者がいる。私はフェイジョアの領主としてこの者たちを救いたいのだ。もし上手くいかなかったとしても誰も姪御殿を咎める者はいない。私がそうさせない。だから頼む、助けてくれ。」
エンジュは優しく、シュロールに問いかける。
シュロールにもようやくわかった、今が自分の魔力を使う時なのだと。
「エンジュ様、私を信じてくださるのですね?」
エンジュは頷き、シュロールの頭を撫でた。
「やってみます、皆さんよろしくお願いします。」
そう言うと、シュロールは自分の涙をぬぐった。
エンジュは叫ぶ。
「今から騎士棟の大浴場へ行く!そこの数名は剣を見張れ、人を近づけるな…任せていいな?足の速い者は伝令を。先生も同行してくれ。神殿にも一応報告を、聖職者を寄こすよう要請してくれ。詳しくは話さなくていい。グルナードはブレシュールとシュロールを抱えて来てくれ。その他の者は負傷者を支えて移動だ。全速力で行くぞ!」
「姫は私が!」
そう言うとガルデニアがシュロールを横抱きにして抱える。
「私は自分で…。」
「この方が早いので、我慢していただきます。」
有無を言わせない勢いでそう言うと、エンジュを先頭に準備ができたものから走り出す。
夜の邸は人通りがない為、全速力で走る騎士たちの速度は馬のように早かった。
姿勢を低くし、床を蹴る、障害物をものともしない身のこなし。
シュロールはガルデニアの頭を、抱えるように抱き着く。
自分で走ると言ったのが間違いだったと、恥ずかしくなるほどの速度で騎士棟までたどり着いた。