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エンジュの執務室を出るとすぐに、ガルデニアも執務室を出た。
エンジュに向かい礼を取りながら、ゆっくりと扉を閉める。
少し困った顔をし、シュロールへと話しかけてきた。
「姫、先ほどのお話ですが…アレに助言が欲しいというのは本気でございますか?」
シュロールはガルデニアが言う「アレ」について、心当たりがあるものの、判断に困っていた。
「ああ、申し訳ありません。今の彼の名はブレシュール=ネニュファール。私の保護下にあるものですから。」
◇◆◇
少し遡り、ガルデニアがフェイジョア領へ戻る時の話。
ハルディンはプラタナス公爵より、身分剥奪ではないものの公爵位を継げないことを宣言されていた。
自分の未来が突然閉ざされ、怒りに身を狂わせそうになった。
しかしそれを上回るプラタナス公爵の怒り…まるで己の信念を侮辱されたようなその形相に、ハルディンはこの時自分の命の終わりを感じた。
少し頭が回ることが、良かったのだろうか…それとも馬鹿のように気がふれてしまった方が楽だったのか。
生き延びることを選んだハルディンは、一人公爵家を出され、手紙ひとつを持ち、ある男を探し歩く事になった。
「…いったい…どこにいるんだ。」
庶民の生活や習慣など、今まで興味のなかったハルディンは、市井で一人の男を探すのにとても苦労していた。
手当たり次第に訪ねて回り、時には口が災いして殴られたこともある。
それでも探す事しかできないハルディンは、フードを深くかぶり色々な場所を探す。
酒場に行けば殴られ、娼館へ行けば物を盗まれる。
食べる物もなく、あてもなく彷徨い、やがて目の前の景色が朦朧として座り込んでしまった。
体を動かすこともできずに、軒下から外の様子を伺うと、雨の中で死んだ男の側に立つ、死神のような男に出会う。
死神はゆっくりとハルディンの元まで近づき、待ち合わせでもしたかのように話しかけてきた。
「長くお待たせしたようですね、手紙を受け取りましょう。」
男は手紙を受け取ると、封を切る。
中にはもう一通の封筒と、一枚の手紙が入っていた。
「貴方はこの内容を知っているのですか?我が主の元へと書いてありますが…。正直、私も貴方を連れて行くのも汚らわしいと思っていますし、貴方も行けばただで済むはずがないとわかっているでしょう?」
「…わかっている。お前も俺に罪を償えというならば、それに従おう。」
死神のような男は、目を細め、ハルディンの様子を伺う。
なにもかも諦めた、そんな風に見えたのかもしれない。
奴隷か?重労働か?それとも、拷問…いや処刑もいい見せしめになるかもしれないな。
そんな風に自分自身に問いかけるハルディンを見て、男は顎に手を添え、囁くように話す。
「私からは、ほんの少しの希望を与えましょう。」
ハルディンは「まさかっ」とあざけ笑うように、鼻を鳴らした。
殺してしまいたいほど憎いであろう自分に、少しでも希望を与えるなど生温いにもほどがある。
「貴方の言う通りです。ですがそこでは終わりません、あの時死んでいれば良かったと思う時がくるかもしれませんよ?」
なるほど…ハルディンは思った。
すぐに殺すのではなく、死にたくないと思っているときに絶望をつきつけるのか。
それとも少しの希望をもったまま、地の底を這い、死を選べばよかったと後悔をするのか。
「ならばそれに乗ろう。死神のようなお前に、引導を渡されるのならば、それが運命なのだろう。」
ハルディンの目に力が宿った。
その目を見た死神のような男、ガルデニアは本当に死神であるかのように、口の両端をにんまりと持ち上げ、薄く笑った。
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王都からフェイジョア領まで、不眠不休で馬を走らせる。
何度も往復をしているガルデニアとは違い、慣れない道にすでに体力のないハルディンは最後まで着いて来れないだろうと思っていた。
途中の街に立ち寄り、馬を替え、また走る。
遠乗りとの比較にならないほど、馬上に居続けるには体力はもちろん、足や腰の力が必要だった。
フェイジョア領へ着く頃には、遠い距離にはいるものの、目視できるまでの距離を付き従ってきていた。
ガルデニアは引き返し、ハルディンが乗る馬へ近づく。
すでに意識がほとんどなく、姿勢を保つ力もない。
足は痙攣し、ただ馬に覆いかぶさっているだけの格好だった。
小さな溜息をつき、ガルデニアは馬を労わる様に手綱を持ち、ゆっくりと進んだ。
ガルデニアはこの馬上の男が、自身の姫とも呼べる存在に、なにをしていたか知っていた。
未遂に終わりはしたものの、淑女として令嬢としての人生が終わるところだった。
最初に見た時は、このまま殺してしまおうと思っていた。
その直前に見届けたシネンシス公爵のように、地面に這いつくばり救いがないまま死ねばいいと思っていた。
だがこの男は、自分がどうあるべきがを知っていた。
罪を償う…その方法が、どんなことであれ受け入れるとそう言ったのだ。
「死なせてほしい…。」
そんな言葉が耳をよぎった気がして、目を見開いて隣で倒れこむ男を見る。
ガルデニアには、戦場で仲間を失い、死に場所を求めて彷徨う同士の姿と重なってしまった。
そんな綺麗な物ではない、卑劣な行いを…尊厳を奪う行いをしたヤツなのだ。
「少しの猶予をあげましょう。」
そういうとガルデニアはハルディンをエンジュと引き合わせることにした。
エンジュの手にかかるのであれば、それでもいい。
ほんの少しの間だけ、貴方の行く末を見守らせていただきます。
その上で、再び間違うことがあれば、私がこの手で葬ってあげましょう。
ガルデニアはハルディンに向かい、優しく優しく微笑むのだった。
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プラタナス公爵からは、ハルディンを騎士として鍛えてほしいと手紙に書いていた。
その為には、どんな鍛え方でもかまわないとも。
エンジュはそれを一蹴し、石材採掘の下働きとしてハルディンを送った。
ハルディンは文句も言わずに、その決定を受け入れ労働に従事したが…体がついていかなかった。
このままでは足と肩が腐るであろうというところまで働いて、ガルデニアはハルディンを止めた。
まだだ、このまま簡単に死なせはしない。
エンジュをうまく誘導し、騎士棟の下働きへ送り込む。
その時点で、シュロールと再び顔を合わせるとは思ってもみなかった。
私の思惑が浅はかすぎたのか、それとも見えないなにかに操られているのか。
お優しいオルタンシア様の、巡りあわせ…ガルデニアは今は亡きオルタンシアの、慈悲の力を感じていた。