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朝食を食堂でとる為、朝の身支度をする。
昨日は大変な一日だった。
魔力が発動できた喜び、ミヨンの暴走、そしてハルディンとの再会…。
何度もお風呂に入り体もほぐれはしたが、疲労感もあったのだろう、夜は早く眠りに落ちた。
今日は朝食が終わったら、エンジュ様を訪ねこれまでの報告と、今後の協力のお願いをしなければならない。
エンジュ様は、魔力を発動したことをどう思うだろう。
そう思い浮かべたところで、ふと王都のシネンシス公爵と妹のクロエが頭をよぎる。
きっとあの二人なら、シュロールを利用できると喜んだだろう。
「エンジュ様は、そんな人じゃない。」
眉間に皺を寄せ、頭を振る。
シュロールは心からエンジュを信頼していた、ただ…長年の家族への不信がシュロールを不安にさせる。
◇◆◇
「話は聞いている、姪御殿。まずはおめでとうと言っておこう。」
エンジュの執務室へ迎えられ、第一声がこれであった。
変わらずエンジュは男性が馬に騎乗する時の様な服装で、シュロールを出迎えた。
唐突の堅い挨拶ではあるが、エンジュはとても優し気に目を細めていた。
「エンジュ様、シュロールと。」
シュロールは少し困った笑顔で、エンジュにそう問いかけた。
エンジュもばつが悪い、表情をしながらも「ああ」と答えてくれる。
「それで…シュロール。やりたいことは見つかったのかな?」
入口よりソファへ移動し座らせ、自ら紅茶を入れてくれる。
勧められた紅茶は、少し澄んだ果実の香りがした。
「良い香りだろう?ミュスカのフレーバーとブレンドしてあるそうだ。ブローブランで買ったものだが、気に入ったなら分けてやろう。」
エンジュはそういうと、カップとソーサーを持ち上げ、優雅に香りを楽しみながら口にする。
シュロールはカップの中の琥珀色の綺麗な紅茶を眺めながら、自分の事を一つずつ話し出した。
「私は聖女になりたいわけではありません。王都へも戻るつもりもありません。できればこの土地で…この魔力でなにができるのか、見極めたいのです。」
その想いを聞いて、エンジュは嬉しそうに微笑んだ。
エンジュのそういった表情は貴重だ、それほどにシュロールに起こった出来事を喜んでいると感じる。
「できれば人の役に立ちたい…その為の努力をしてみたいと思います。その為に、騎士棟の大浴場を訪ねる許可が欲しいのですが。」
そこまで言うと、隣でがちゃんと陶器がぶつかり合う音がした。
隣を見るとエンジュは変わらず、微笑んではいる。
カップとソーサーも持ったままだ…だが、位置とエンジュの手の形がおかしい。
エンジュの手は、カップの取っ手を握りこみ、へし折っていた。
紅茶がほとんど残っていなかったことが幸いして、こぼれることはなかったが、ソーサーへ落ちたカップの中身は酷く揺れていた。
静かに怒っていることがわかる。
なにかおかしなことを言ったのだろうかと、心配してエンジュを見る。
「…ガルデニア。」
エンジュは一気に不機嫌な声色で、ガルデニアを呼ぶ。
どこかに控えていたのであろう、今まで気配もなかったガルデニアが、呼ばれたことによってソファへ近づき答える。
「不可抗力でございますよ、エンジュ様。」
やれやれといった様相で、ガルデニアは答える。
エンジュがそういう態度をとるということが分かっていたかのようである。
「目につかないところへと、言っただろう?」
「男性専用の大浴場以上に、目に触れない場所があるとは思えませんが?」
「お前…知ってて報告しなかったな。」
「すれば私の責任と、追及するではありませんか。」
自分のせいで、二人に争いが起こっている。
二人のやり取りを聞き、おろおろと戸惑うシュロールは、間に割って入ることにした。
「あの…もしかして、ハルディン様の事でしょうか?」
シュロールがそう言うと、エンジュは目を細め、更に機嫌が悪くなった。
「すでに会ったという報告も、受けてはないが?」
「ここまで情報を得ていれば、考えを巡らせれば思いつくことでしょうに…それとも私の口から、事細かに聞きたかったのでしょうか?」
エンジュはガルデニアを睨み上げる。
その姿は紅茶を持ち優雅にソファでくつろいでいるのだが、纏っている空気はそれとは違い、重く冷ややかだ。
ガルデニアはガルデニアで、エンジュの思惑を我関せずとさらりとかわしている。
沈黙が続く…一番に耐えられなくなったのは、シュロールだった。
「あの、心配していただいている気持ちは、有難く思います。私自身まだ…怖い気持ちは残っていますので。ですがハルディン様には、今回のことで手助けをしていただきました。以前のように私に関心があるわけではないようですし、できれば今後も助言をいただきたいのですが。」
そこまで言うと、エンジュはシュロールが持つカップをテーブルへ置き、自分の方へ向き合わせる。
顔の位置を合わせ、目を覗き込み感情を探る。
シュロールが無理をしているのではないかと、心配しているのだろう。
「シュロール…世の中には、許さなくてもよい者という存在もある。」
シュロールはこくりと頷いた。
自分にもそういう存在があることは、身に染みてわかっているつもりだった。
「それでもお前の中に、ヤツを許してもいいと思う気持ちがあるのだな?」
「…はい。多分そうなんだと思います。」
エンジュはそっとシュロールの両肩に手を置き、溜息をついた。
「人の良い部分を見ようとする、その心は美徳だと思うが…周囲はたまったものではないな。私は可愛い姪御殿を、守りたいだけなのだが。」
そういうとエンジュは幼い子供にするように、シュロールの頭をなでる。
シュロールもエンジュも家族との距離というものがわからない、恥ずかしくくすぐったい気持ちが込み上げる。
微笑ましい光景に、優しい時間が流れていた。