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すっと体温を奪うほどの、冷たい空気が肌の上を通り抜ける。
髪の毛を結い上げ、うなじにかかる風が心地よい。
入浴後のシュロールは、果実水を口にし、何か考えるように窓の外を見つめていた。
◇◆◇
シュロールは風呂から上がり、それを悟られないよう衣服や髪の毛を整えると皆に集まってもらうようお願いした。
部屋にミヨンとシェス、ヴィンセントが真剣な面持ちでシュロールが話し出すのを待っている。
「皆の意見が欲しいの。」
シュロールは、いきなり核心をつくように話し出した。
先程のシェスの手荒れは、魔法と言えるほどわかりやすいものではなかったが、確かにその効果はあった。
ならばよりその効果を引き出すには、どうしたらいいのか。
王都では、魔力について様々な人と意見を出し合い研究を続けてきた。
その結果魔力量を増やすことはできても、発動に繋がる成果は得られなかった。
だが今回は違う、アプローチの為の手掛かりがある。
それを有効に活用するために、自分以外の意見が欲しかった。
最初にシェスがオドオドと手を上げてきた。
「あの…恐れながら、私の手荒れだけではなく他の方の怪我や病気で試すというのはどうでしょうか?」
シュロールは眉毛を下げ、少し困った顔になってしまった。
シェスの言うことは尤もだ、繰り返しの検証は必要なことだと思う。
ただしその場合、シュロールは毎回見ず知らずの人物をバスルームに招かないといけない。
「待て!待て待て!それは少しどうかと思うぞ!」
ヴィンセントが顔を赤くしながら、慌てて止めに入った。
「あ…あぁ!そうですよね、シュロール様のお姿をお見せするわけには!ああ、申し訳ございません!」
シェスも顔を赤くし、両手を顔の前で振りながらバタバタしている。
本当に…この方法は困ったものだ。
シュロールにも、辺境伯令嬢としての恥じらいがある。
簡単に誰でもと、バスルームに人を招き入れるわけにはいかないのだ。
他に方法はないかと思っていると、ミヨンが手を上げた。
「検証を重ねるより先に、効果の質を上げてみるのはどうでしょうか?」
「私もその方向で進めることに、賛成ですね。」
思わぬ方向から、第三者の声が聞こえる。
壁に作り付けてある、本棚の方からすっと人影が動く気配がする。
ヴィンセントが構えるより早く、ミヨンが声をかける。
「お師匠様!」
お師匠様と呼ばれたその男は、ティーカップを持ち、すたすたとヴィンセントの隣まで来ると立ち止まり、無言でティーカップをヴィンセントに持たせた。
「姫。エンジュ様の側近としてお仕えしております、ガルデニア=ネニュファールと申します。」
そう言うと、優雅に跪き騎士としての礼を取った。
「私は以前、オルタンシア様の騎士としてお仕えしておりました。姫とお呼びすることをどうかお許しください。……本当に…オルタンシア様の面影を、色濃く受け継いでいらっしゃる。」
そう言うと立ち上がり、シュロールの両手を取り薄く目を開け微笑む。
他の人から見るとその微笑は、張り付いたような仮面の微笑に見えたかもしれない…ただシュロールにはどこか悲しそうに見えた。
お母様の名前を呼び、悲しそうに微笑むこの男性を、疑うことはできなかった。
ガルデニアは、きゅっとシュロールの両手の先を握ると名残惜しそうに離しヴィンセントの元まで戻っていった。
「さて、私もお仲間に入れていただいてよろしいでしょうか。一応こちらでは”フェイジョアの頭脳”と他の者に呼ばれておりますゆえ、お役に立てればと思っております。」
左手の平をヴィンセントに差し出すと、ヴィンセントは預かっていたティーカップをガルデニアに返した。
ヴィンセントの表情は、どこか引きつっている。
それに対し、ミヨンは生き生きとガルデニアへ紅茶の入ったポットを持っていく。
「お嬢様、お師匠様が味方に付いてくれるのであれば心強いです!」
ミヨンはガルデニアに紅茶を注ぎ、キラキラとした目でシュロールに訴えかける。
「お師匠様?」
「ああ、これが私に『王都で通用する完璧なメイドになりたいので鍛えてほしい』と言ってきたので…少々手ほどきをしたまでです。」
「はい、あの時は死ぬかと思いました。」
「あと姫が夜会に出る時にも、アドバイスを求められましたので。」
「あの時は、マダムを紹介していただきありがとうございます!」
シュロールは少し、引いていた。
あの…夜会対策班の入れ知恵は、この人だったのか。
ミヨンとガルデニアの関係はなんとなくわかった、だがなんとなく会話がおかしい。
ちらっとヴィンセントを見ると、こちらもなんとも言えない表情になっている。
冷静に聞いていたシェスが、おずおずと話しかける。
「あの…それで、ガルデニア様には、何か案があるのでしょうか?」
おやおや、とシェスに目を向けるガルデニア。
「冷静な判断ができる子は嫌いじゃありません。そうですね、ありますとも!」
そういうとティーカップを再び無言でヴィンセントに持たせ立ち上がった。
すたすたと壁に作り付けてある本棚の方へ向かうと、くるりと振り返り鷹揚に手を振り上げた。
「皆さん、フェイジョア領のお勉強の時間です。」