閑話 ガルデニアとヴィンセント
もうすぐお昼になろうかという時間帯に、シュロールの部屋の前で腕を組み、ぶつぶつと呟く男がいる。
目の前の廊下には人気はなく、逆にここで待機をしている自分の方が、なにかあったのかと詰問されそうである。
エンジュよりシュロールの身辺の警護を任されて以来、側にいることが多くはなった。
皆が敬愛するお嬢様の警護となると、やっかみも多い。
ふうっ、と大きく息を吐く。
ヴィンセントは少し、頬を赤くし先程までにあったことを振り返る。
「しかし、風呂…だったとはなぁ。」
何年間も、魔力の発動に取り組んできたと聞く。
その手掛かりがようやく見つかったのだ、男の自分がいることも忘れて話が進むのもしょうがないということはわかってはいる。
「でも、御令嬢だぞ?」
そう言うと、ガシガシと頭を掻き照れを隠そうとする。
もとは公爵、今は辺境伯の養子となった御令嬢だ…男爵の子息で騎士の自分とは身分も違う。
そうだ…御令嬢なんだ、最初から綺麗な子だとは思ってたんだ。
色は白いし、澄ました仕草がとても綺麗で…でも頼りない。
妹のミヨンと同じように泣くし、支えないと崩れ落ちるかのように儚い。
支え…支えたこと、あったな。
細かった、男の俺と違って細くて柔らかくって。
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「それで?なんなんです?」
いきなり耳元で、男の声が聞こえる。
視線は三日月のように弧を描き、口元はにんまりと笑っている。
しかしその声色は、どこまでも冷ややかだ。
「げっ、ガルデニア様!」
隣を見るとすぐ側に、自分と同じように壁にもたれかかった、ガルデニアの姿があった。
さっきまで誰もいなかったのに、いつ現れたのかと周囲をきょろきょろと見渡す。
「それで?私としては”柔らかい”までは読み取れましたが…それから、なんなのですか?」
ヴィンセントは目を見開いた。
一瞬で赤くなり、そして青くなる…そのまま口をパクパクと声にならない声を発する。
何故この人はいつもこうなのだ、ふらりと現れたと思ったら人の考えを読み当てていく。
「んんー、あなたの反応はどうもいただけませんね。」
片目をうっすらと開け、ヴィンセントの動揺を指摘する。
「まるで化け物をみるように…仮にも私は、貴方の妹の師匠筋にあたるのですが?」
ヴィンセントはガルデニアが苦手であった。
エンジュの側近の二人は、対照的である。
グルナードは騎士として、このフェイジョア領の頂点に立つ人である。
エンジュを支え、騎士の見本となるような人物である。
ただし、口数は驚くほど少ない。
それに対し、ガルデニアはフェイジョアの頭脳と呼ばれる参謀である。
細い体に対して、柔らかな物腰。
そして何を考えているのか、まったく読み取れない、底の知れない人物である。
何を答えたとしても、この人の手のひらの上なのだ。
うぐぐと、声を漏らしガルデニアをきつく睨む。
それを見たガルデニアは下から覗き込むように、ヴィンセントを眺めると面白そうに口元を持ち上げ、視線を外した。
「まあ、いいでしょう。本来の目的が先ですから…。先程まで姫が魔力の発動に取り組んでいると思っていましたが、情報が途絶えましてね。仕方なく、自分の目で確かめに来たわけです。」
ヴィンセントは驚き、更に目を見開いた。
シュロールが魔力の発動に対して、やっと手がかりを見つけたのは今し方だ。
しかもこの部屋の中だけで、話が進んでいたはずなのに…この人は何故?
「ああ『姫』というのは、シュロール様のことです。私は元々、オルタンシア様の騎士でしたからね。」
ガルデニアはヴィンセントが驚いていることをわかっていて、とぼけて見せた。
こういうところが、ガルデニアが他から距離を置かれている理由だと言うことは、本人には十分に理解できていて、その上での行動である。
人が苛つくことを敢えてやる、それがガルデニアの性格だった。
「…今は亡きオルタンシア様も、フェイジョアの加護より聖属性魔法が強い御方でした。」
うっすらと目を開き、扉を見つめるガルデニアの顔には悲しみが見えた。
ヴィンセントは、ガルデニアがシュロールにオルタンシアの面影を見ているのではないかと思った。
そう思うと、このガルデニアもまた『辺境の雷鳴』の被害者なのだと。
ヴィンセントは、胸が締め付けられる思いでガルデニアの横顔を見る。
「ほら!なにかあったようですよ?奥…バスルームの方が騒がしい!」
はっ、と意識を扉に向けると確かにバスルームが騒がしい。
ドン、ドン、ドン、と扉を叩き、中の様子を探る。
自分は何を呆けていたのか、警護の為にここに待機していたというのに。
「お、お嬢様、何かありましたか?大丈夫ですか?」
慌てて声をかけ、扉を叩き続ける。
ガチャ。
扉が開くと共に、妹のミヨンの笑顔が……とても怖い。
「お兄様?お嬢様は入浴中だとおっしゃったはずですわよね?それを何です殿方が、押し入ろうとするなど!」
「い、いや…バスルームが騒がしいと、ガルデニア様が…。」
そう言い振り向くと、その視線の先にはどこを見渡してもガルデニアはいない。
「師匠がどうしたと言うのです。まさか人に責任を擦り付けようとするなんて…ブッドレアの名のもとに恥を知りなさい!」
「ちがう、ちがうんだ!本当に、ガルデニア様が…。」
◇◆◇
その頃台所へ向かいシュロールに、冷たい果実水を用意するようメイドに申し付けていたガルデニアは口元をにんまりと上げて一人呟いていた。
「単純は扱いやすい。私の姫で、不埒なことを考えた罰…ということにしておきましょう。」