35
「私…お風呂に入るわ。」
先程分かった事実…自分の魔力が発動できるかもしれない。
その鍵は、お風呂にあるはずだった。
今までどんなに手を尽くしても、発動することはできなかった。
その為に悪意のある噂や行動、家族の仕打ちに耐えてきた。
それでも魔力は間違いなく、シュロールの中にある。
やっと掴んだ手掛かりだ、焦るのも無理はない。
「ミヨン、準備をお願いできる?シェスもお願い、手伝ってちょうだい。貴女が気付いたことだもの、貴女がいないとわからないと思うの。」
そう指示を受けるとミヨンは頷き、シェスもまた拳をぎゅっと握りしめた。
シェスはもう、怯えてはいなかった。
職を失っても仕方がないと思っていた。
貴族の御令嬢に対して、礼儀のないことをしたという自覚はある。
なのにお嬢様は…羞恥でいっぱいのはずなのに、咎めずに手伝ってほしいとおっしゃってくれた。
お嬢様の為になるのであれば、なんだってする。
「俺はできることはなさそうなので、表で見張りでもしています。」
すっかり忘れられていたヴィンセントが、扉の側で顔を赤くし、口元を手で覆い、少し俯きながら言った。
「…ご、ごめんなさい。少し慌てていて、貴方がいるのに話を進めてしまって…。」
「いえ、なにかありましたら呼んでください。」
ヴィンセントは視線を合わせずに、退室していった。
シュロールは恥ずかしくて、泣きそうになっていた。
いくらアリストロシュが関わっていないとわかったからだとしても、これはない…令嬢として、失格だ。
殿方の前で入浴することをほのめかすなんて、誘っているととられてもしょうがないことなのだ。
ヴィンセントには後で、深く謝罪しよう。
よりによって、ずっと待ち望んでいた魔力の発動の鍵が、何故「お風呂」なのだ。
シュロールは恨めし気に、自分の手を見つめていた。
◇◆◇
「お嬢様、準備が整いました。」
ミヨンがそう声をかけると、シュロールは手を前に組み祈っていた。
すでに入浴用の衣装に着替えていたシュロールは、バスタブに恐る恐る足を漬ける。
…ちゃぽん…。
シュロールもミヨンもシェスも、息を飲んでその様子を見つめている。
すぐに変化は現れないので、そのまま腰までつかってみる。
今日は少し急いで用意をしてもらっているので、お湯の温度がいつもより低めだった。
「…お嬢様、何か変わったことはありますか?」
「…いいえ、特には…ミヨンは何か、気づかない?」
「私も、よくわからないです。シェス?」
シェスは自分のメイド服の袖を肘の上までめくり上げ、シュロールの前に手をかざしてきた。
「お嬢様、ご無礼を承知で私の手をご覧いただけますか?」
シュロールとミヨンの前に両手の甲を、よく見えるように差し出す。
働き者のシェスの手は、手荒れのせいで赤みがすごく、所々にひび割れがあり血が滲んでいる。
「お見苦しいものを、申し訳ありません。お嬢様のお世話をするときは、なるべくお嬢様に傷をつけないよう手袋をしているのですけど…。」
そういうとシェスはエプロンのポケットからのぞく、白い手袋に目をやった。
シュロールは、目を伏せ頭を振る。
目頭に涙が浮かんでくる、自分の手が痛いだろうに、それよりもシュロールを傷つける方を心配するなんて。
「…あとで、アリストロシュ様にお願いして、良い軟膏をもらえるようにするわ。」
そういうとシュロールは眉毛を下げ、「気が付かなくてごめんなさい」と呟いた。
自分の為を思って動いてくれている侍女がいるのに、アリストロシュと関わりたくないなどと言ってはいられない。
「いいえ、いいえ、そうではないのですお嬢様!」
慌ててシェスが、否定してきた。
シェスはこういうシュロールの性格がわかっていたからこそ、中々言い出せないでいたのに…やはり、このお嬢様はこういう人なのだ。
「この手荒れを使って、お嬢様の魔力を試してみてはどうでしょうか。」
一瞬の間が空いたと思うと、同時に声が出た。
「「ああ!」」
そうだ、そうだった。
魔力が発動するのだから、てっきり目に見える何かが起こるのだと思っていた。
しかしそれならば、今まででも気が付いたはず。
気が付かない程の魔力だったから、手荒れのあるシェスにしかわからなかったのだ。
ごくりと喉がなる、再び覚悟を決めシュロールはシェスの目を見る。
「お願いできるかしら。」
「はい、よろこんで。まずは私の手をよく観察してください。私が感じたのは”手荒れ症状の緩和”です。完全に治癒するわけではなかったので、前後の比較が必要だと思います。」
ふむふむと、シュロールとミヨンは納得した様子で、シェスの手をまじまじと覗き込んだ。
二人でシェスの手を取り、手の甲を中心に、掌と指の間まで、ひとしきり観察し終わった。
あまりにも真剣に二人が覗き込むので、シェスは恥ずかしくなってきたが、自分の両腕をぴーーーんと伸ばし、何とか耐えきった。
「では、失礼して…お嬢様のお入りになっている湯船に、手を漬けさせていただきます。」
「いいわ、お願い!」
…ちゃぽん…。
湯面に特に変化はなく、3人揃ってまじまじと見つめ続ける。
シェスには、父親の足の傷で、ある程度確信があった。
数十秒して漬けていた両手を湯船から上げる、慌ててミヨンがそれをタオルで包み込み水滴をぽんぽんと拭き取る。
そっとタオルを開けると、そこには先程の手荒れとは違った手の甲があった。
たしかに治癒をしているわけではない、手に潤いがないままだし、ひび割れも残っている。
だた最初と違い、手の赤みの部分は引き、腫れもなくなってきている。
血がにじんでいた部分に関しては、完全にふさがっている状態だった。
3人はきょとんと、その手を見つめていた。
「本当…なんだわ。」
シュロールはそう声に出すと、涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。
ミヨンも同じように鼻を赤くして、涙をこらえている。
その二人を見つめるシェスは、役に立てたことへの嬉しさで胸がいっぱいだ。
「きゃーー、やった、やったわーーーー!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「お嬢様、信じてました。やっとこの時が来たのです!」
3人はその場で大声を出し、喜びを分かち合った。
…と、同時に表の扉の方で騒がしく声が聞こえる。
「お、お嬢様、何かありましたか?大丈夫ですか?」
ドン、ドン、ドン、と扉を叩く音がする。
騒ぎが聞こえ、ヴィンセントが心配をしているのであろうことが分かった。
瞬時にミヨンの顔色が変わる、眉間に皺を寄せ目を閉じる。
「お嬢様?少し、失礼いたします。あのバカ…コホンッ…兄を少し黙らせて参りますので。」
そう言うと、ひどく堅い笑顔をしたミヨンは、足早にバスルームから出ていってしまった。