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寒さも深まったある日の事、図書室にいたシュロールはミヨンから報告を受け、自室に戻ることになった。
最近ではフェイジョア領の事を学ぶために、自室よりも図書室にいることの方が多い。
用があるのであれば、普段は図書室へと来てもらうのだが…今回はそうもいかないらしい。
報告の内容が今一つ理解できないシュロールは、自室へと急ぐ。
◇◆◇
「それで…誰が…何を、盗んだのですって?」
部屋に戻ると、待っていたのはヴィンセントとミヨン…もう一人、ミヨンだけでは手が足りない時に手伝いをしてくれている侍女だった。
最近ではエンジュを手伝う為、外交目的の貴族の応対などシュロールが担当することもある。
基本的にはシュロールの世話はミヨン一人でほとんどをこなしていたが、このような時などはもう一人、年齢の近いシェスの手を借り身支度などをしていた。
部屋の中にはヴィンセントとミヨン、そしてシェスとシュロールしかいない。
話し合いの場をシュロールの自室としたことから、話によっては内密に収めた方がいいと判断してのことだった。
「シェス…。」
シェスは顔を伏せ、両手を胸の前で握り、しきりと小声で「申し訳ありません」と呟いていた。
シュロールにも、少しは人を見る目はあるつもりだ。
エンジュの邸のお給料は、他に比べて上等な部類に入る。
お金に困っているのであれば、相談してほしかった…それほどにはシュロールは、シェスに心を許していた。
「それが、お嬢様…。」
ミヨンが少し、訝し気な表情で声をかけてくる。
いつも真っすぐな、確信をもった話し方をするミヨンには珍しいことだった。
「お気を悪くされないでください。シェスは…お嬢様の湯浴みにつかった残り湯を、家に持ち帰ろうとしたのです。」
一瞬シュロールには、ミヨンが何を言っているのかわからなかった。
数秒遅れて、それがやってくる。
「…ひゅぇ?…湯?ミヨン何を言っているの!ちょっと、ヴィンセントもいるのよ。それなのに、そんな…え、…まさか本当なの?」
顔を真っ赤にし、眉間に皺をよせながら慌てて否定しようとしたシュロールは、ヴィンセントやミヨンの視線からそれが真実だと悟り、更に顔を赤く染め上げたのだった。
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「ごめんなさい、少し理解が追いつかなくって…。」
混乱したシュロールは、ソファに座りミヨンに飲み物を持ってきてもらっていた。
いつもなら温かいお茶を楽しむところだが、あまりの動揺に喉がカラカラに渇いてしまい、冷たい果実水を用意してもらったのだ。
準備してもらう間に、少し落ち着きを取り戻してきた。
おかげで、考えも回るようになった。
「それで…。」
シュロールは、飲み物をテーブルに置くとシェスに向き直り、話を続ける。
「何故…こんなことをしようと思ったのか、何に使おう思ったのか、教えてもらえるかしら?」
ここからの話は少しプライベートな話になるかもと、ヴィンセントには扉の側で待機してもらい、ミヨンとシェスには向かいのソファに座ってもらった。
使用人であるからと、頑なに断られたが…ここはシュロールが譲らなかった。
同じ目線で、心を開いて話してほしい…そんな思いから二人には無理にでも座ってもらうようお願いしたのだった。
変わらずシェスは、目を強く閉じ「申し訳ありません、申し訳ありません」と繰り返し呟いていた。
膝に置いた両手の拳に力が入る。
そんなシェスの拳に、そっと手を添えてミヨンは優しい声をかける。
「シェス…貴女を罰しようとするならば、最初からここで話したりしないわ…エンジュ様の元へ連れていくはずよ。お嬢様は貴方が何故そんなことをしたのか、お知りになりたいのよ。貴女を理解してくれようと、貴女を信じたいと…そうおっしゃってくださっているのよ。」
そろそろと、少しだけ顔を上げ視線を彷徨わせるシェスの目を、穏やかな表情でそっと見つめる。
「さっきは驚いたけど、私は貴女が私を裏切るようなことをする人じゃないと思いたいの。お願い…話してくれない?」
そう話しかけると、シェスは堪えていたのだろう…涙が溢れるように次から次へとこぼれ落ちていった。
嗚咽で声がつまり、落ち着けるようにとミヨンが背中をさする。
ようやく、普通に話せるようになったことでシェスは、ぽつりぽつりと言葉を探しながら話してくれたのだった。
「お嬢様が湯浴みにお使いになったお湯は、家に持って帰り…父に、父の足にかけてあげようと思いました。」
シュロールは再び混乱した。
私が湯浴みに使った残り湯を…何故、シェスのお父様へ?
普通のお湯ではなくて、私の…残り湯?
わざわざ、私が湯浴みした後の残り湯でなければならないの?
「だめだわ、どうしても…理解が追いつかないし、ますます、わからなくなってきたわ。」
少し前、医師のアリストロシュに悪意をつきつけられ少し警戒していたのだが…どうなのだろう。
扉の側にもたれかかっているヴィンセントを見るが、頭を振りアリストロシュとの関与を否定している。
「ごめんなさい、もう一度…今度は覚悟を決めて聞くから。その前にミヨン、果実水をもう一杯お願いできるかしら。」
シュロールは混乱と羞恥が入り交じり、火照る顔を覆い俯きながら、心を鎮めるために大きく息を吐いた。