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「大丈夫ですか、お嬢様。」
シュロールは差し出された手をとり、力なく立ち上がる。
随分緊張していたのだろう…ヴィンセントの手に触れた時、自分の手が冷たいことに気が付く。
フェイジョアに来てからは警戒することがなかったせいか、不意を突かれた形となってしまった。
なんとか…切り返すことができただろうか。
「怪しい会話をしていましたね、先生と面識があったのですか?」
顔を覗き込み、様子を伺いながらヴィンセントが問いかけてくる。
真っすぐにシュロールの目を覗き込み、躊躇いがないかを探る。
「…初対面のはず…だわ。」
少し考え、頭を振りながら、シュロールは答えた。
元々王都でも、監禁に近い扱いを受けていたシュロールに、面識のある知り合いは少ない。
「なら、エンジュ様の所へ報告に行きましょう。なんか後味が悪いし、このままでは終わらない気がします。」
さあっと、シュロールを連れて行こうとしたヴィンセントの手の先をきゅっと握る。
「…エンジュ様には、もう少し…内緒にしておいてほしいの。」
「お嬢様!」
「…待って、わかってる。自分でどうにもならない時には、ちゃんと報告する。でも、気になることがあるの。」
ヴィンセントは、立ち上がったシュロールを見つめる。
ここで目を反らせば、自分の決意がまだ弱いことに感づかれてしまう…シュロールはヴィンセントに向かい、真っすぐ見つめ返す。
「少し、時間をちょうだい?」
そう告げられたヴィンセントは眉毛を下げ、少し悲しそうな顔をした。
違う…心配をかけたいわけじゃない、信頼してないわけでもない。
自分にかかる悪意を、自分で対処できなくては…この先、守られてばかりの令嬢ではいたくないのだ。
わかってほしい…そう想いを込めて、シュロールは少しぎこちなく微笑んだ。
ヴィンセントとミヨンが兄弟だと言うことは、わかりやすい。
実直な性格で、人の目を真っすぐに見る…まるで、人の思考のその奥を読み取ろうとするように。
そしてもうひとつ、厳しさの奥に、深く包み込むような優しさがある。
「…約束を…。」
シュロールが譲るつもりがないとわかると、大きく息を吐きながらヴィンセントは言った。
「今までのやり取りの全てを話していただきます…あと、気になることも。行動を起こす時は、必ず私を同行する事。なにか気が付いたこと、変化があった時も同様です。」
そして…と言いながら一番鋭くシュロールを見つめながら話す。
「手に負えない、もしくは全てが解決した時は、お嬢様の口からエンジュ様へ報告する事。その時は俺も同行し、責任を取ります。」
そういうとヴィンセントは、片膝をつき、騎士の礼をとった。
その言葉と覚悟に、シュロールは焦り、狼狽えた。
巻き込みたいわけではなかった、自分でなんとかしようと考えていたことが、浅はかだったことに気づく。
「わ…私のせいで…貴方に…。」
「いいえ、お嬢様。」
頭を上げないまま、ヴィンセントは言葉を遮った。
「私は、このフェイジョアに…エンジュ様に忠誠を誓っております。そして、お嬢様…私は貴女にも、我が主として忠誠を捧げたい。」
最初に見た時は、エンジュに軽口を返しているところだった。
どこか、漂々としていて掴みどころがない。
兄として、ミヨンと共になぐさめてもらった。
頭をなでてもらったのは、初めてだったかもしれない。
ミヨンを私の元へ、導いてくれた。
ミヨンを思う兄の気持ちが、結果としてシュロールの助けになった。
そして今、共に責任を負うという。
「私は貴方の忠誠を受けるほど、出来た人間ではないわ。」
「いいえ、お嬢様。」
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ふと、気が付いてしまった…2回目?
ヴィンセントの表情が見えないまま、旋毛を見つめながら考える。
今の会話で「いいえ、お嬢様。」と、2回言われている。
それは…否は認めない、そう言っているのだと。
「ふふっ、優しいのか意地悪なのか…わからないわ。」
「それでいいのですよ、お嬢様。」
頭を上げたヴィンセントはすっきりとした笑顔を向け、シュロールに答えた。
深く考えなくてもよい、すでに自分の忠誠はシュロールにも等しくあるのだと。
シュロールは手を差し出すと、よろしくね…と目に涙を浮かべながら、綺麗に微笑む。
ヴィンセントは軽く手を取ると、額を付け誓いの言葉を口にするのだった。